起業するあなたへ未来からの伝言
小学1年生の時に急性腎炎で入院した。
手術はしなかったけど、味気のない病院食と退屈な日々。
病室から見える夜の橋は行き交う車のライトできれいだった。
7歳の僕は、何を考えて過ごしていたのだろう?
そういえば、看護師さんには懐いていた。
お昼になるとナースセンターに行き、
「お昼の時間です。ご飯を取りに来てください。」
という放送をさせてもらっていた。
退院した夜、病院を離れるのが寂しくて泣いたのを覚えている。
わざわざクリスマスの日にお母さんに病院に連れて行ってもらったっけ。
退院後も定期的に検査のため病院に通う必要があって、小学3年生くらいまではまともに運動できなかった。
水泳の時間は泳いではいけないので、プールの隅でちゃぷんと水につかるだけ。かけっこもいつもビリか、下から2番目。
いま思えば漫画に出てきそうな子だったな。
小学4年生になって運動できるようになったけど、やりたかった野球部は親から反対されて入れなかった。剣道部なら入っていいと言われて入ったけど、いま思えば剣道部の方がきつかった気がする。
中学生になってバスケ部に入った。
勝ちにこだわるコーチだったと思う。
試合でキャッチミスしたため、試合後に壁際に立たせられて、
たくさんのボールが入ったボールかごの横にコーチが立って、
「取れ」
と言われて、3mくらい?の至近距離から僕に向かってボールを投げつけられた。
取れないと
「取らんか!」
と言われるようなスパルタ教育だった。
おかげで高校生の体育の授業で、ハンドボールのキーパーをやったときに、スーパーキャッチしてハンド部の人からビビられた。
小学校の頃に自転車を買ってもらえず、ずっと走って遊びに行ってたのと、中学時代の部活のおかげで、中学3年生の最後の成績表で、
「体育5」
をもらったときは、本当にうれしかったな。
小学生の時は運動に苦手意識があったから克服できた気がして、見たときに思わず「やったー」と声に出るくらいうれしかった。
そして、高校1年生の時、50m走はクラスで1番速くなっていた。
高校受験の説明会の時、ある高校の先生が
「何のために勉強するか考えてほしい」
と話していた。
「受験のためでしょ」とそう思ったけど、なんかひっかかった。
他の高校の人は、
「うちはこんなところが良い」
「ぜひ来てほしい」
という話だったのに、なんでこんな話をするんだろうと。
そして、その高校に行ってみたいと思った。
中学3年生の夏休みの時点では、その高校は合格圏外だった。
バスケ部は不完全燃焼で、
「もっと頑張ればよかった」
が強い思いだった。
部活の引退後、ひたすら問題集を繰り返し解いた。
たぶんぎりぎりだったと思うが、合格できた。
ただ、高校生活は順調ではなかった。
調子に乗っていた僕は、高校のバスケの練習で
「2年生より、僕ら(1年生)のほうが3年生の練習相手になりますよ」
と監督に言うくらい調子に乗っていた。
その一方で、恋愛は全くうまくいかなかった。
「バスケの試合に出るので見に来てください」
とお願いして断られたので、不貞腐れたまま試合に出ていた。
先輩からは、「あれはいかんだろう」というようなことを言われたけど、全く自分では気づかなかった。
次の試合ではさらにイライラしたのか、自分では訳が分からないまま、5ファウルで退場。監督からは
「お前はもう出さん」
と言われて、ますます自分をコントロールできなくなっていた。
メンタルが弱すぎた。
ぎりぎり入学できたくらいなので学校の成績も良くなく、学校の授業をサボって部活だけ来るみたいな、スラムダンクの宮城くんと同じことをして、先生に怒られた(当たり前だ)。
そんなこんなで学校が面白くなくなり、あれほど頑張って入ったのに学校に行かなくなった。
たまに学校に行くと、通り過ぎるたびに
「あの人って…」
とか言われてた気がする。僕の被害妄想だと思うが。
高校は出席日数がぎりぎりでなんとか卒業できたものの、大学受験は失敗し、予備校に入ったが、途中で
「何のために勉強するのか?」
がわからなくなり、予備校も辞めた。
孤独で誰にも愛してもらえないような気がした。
まあ、なんと灰色の青春時代なのだろうか。
家の芝生に寝っ転がって空を見た。
「空って広いな。人間ってちっぽけだな。」
中二病のようなことを思った。
人間の心理が不思議に思って、近くの図書館にある心理学の本と大脳生理学の本をほぼ全部読んだ。
「ああ、そっか。知りたいから勉強するのか。」
それから独学で勉強して、立命館大学に入学した。
社会復帰したものの、コミュニケーション能力や対人スキルは低かったと思う。まあ、当然モテなかった。
ただ、研究には没頭できて、研究室で倒れて病院に運び込まれて点滴を打つくらい、面白かったと思う。
ちなみに研究内容は、散乱ごみがどう変化するかを毎日デジカメで撮るという謎の研究。
誰もやらないことをひたすら地道にやることを選んだ。
研究成果は、散乱ごみが一定数集まると、さらにごみが増えるので定期的な清掃が有効であると、統計学的に示した。
というような、単に「禁止」するのではなく、どうしたら抑制することができるのか、誘導することができるのか、などを考えていたので、のちのち、行動心理学や、行動経済学に興味を持つきっかけになったと思う。
こんな研究、誰がやるんだろうと思っていたのに、僕の卒業時に後任が付いたのはびっくりした。継続は力なんだねと徐々に思い始めた。
就職活動時はちょうど氷河期で、数年前まで引きこもっていた私は面接が苦手で大苦戦。
なんとか大企業の孫会社にシステムエンジニアとして入社。
何の因果か、研修後に親会社で働くものの、情報系の基礎知識がないので、1年経たずして、異動を勧められる。
「もうちょっとだけ時間をください」
そう上司に懇願して、休日にプログラムの勉強を始めた。
このご時世だと問題になってしまうが、40日だか50日連続出社してVisual Basicの本に書かれている4~5冊分のプログラムを全部マネして書いた。
最低でも土日のどちらかはプログラムを書いてたと思う。
そんなことを半年以上続けていたら、特に苦手意識はなくなっていた。
入社3年目くらいで、ソフトウェアは普通レベルでも、映像と音声とネットワークの知識があって、映像配信システム全体がわかっているというのは武器になると覚えた。
一つ一つはもっとできる人がいるし、その人たちに勝てる気は全くないが、
「一人で全部やれるよ」
は、セールスポイントになるので、それを意識し始めた。
もう一つ意識し始めたことは、写真屋さんが時間をかけずに写真を撮って帰っていく姿を見て、
「100点満点を目指すのではなく、お金をいただいた分に見合う仕事ができれば良い」
ということ。
それから、仕事で結果が出やすくなった。
いまの会社の外に出て、ブランドではなく、自分の力でどれだけやれるか試してみたいと思った。
仕事はホームページの企画から運用まで。当時「ドットコム」全盛期で、システムがわかっていて、デザインも好きで、中身のコンテンツも作れて、SEO対策のような地味でコツコツとやる仕事は向いていた。
SEO対策は本を読みながらの独学だったが、当時、まだ成長期だったこともあり、「環境」というビッグキーワードで3位に表示されるくらい、やりこんだ。
毎日データを見て、試したことによってどう変化したのかを分析して、試行錯誤を繰り返して、目に見える成果を出せていけたのは楽しかった。
リーマンショックの時は、「中古」というキーワードが増加していることに気づいて中古サイトを企画も含めて1ヵ月で立ち上げ、2年目には年間2億円の注文をいただき、べた褒めされた。
社会人1年目の時は能力不足で他部署に飛ばされそうだった状況からすると夢みたいな飛躍だった。
わかっていると思うが、
継続こそが「力」だ
頑張り続ける = 「習慣化」だ
毎日考えて実行し続けることだ
それがすべてだ
目的はなんだ?
何を実現したいんだ?
紙に書き出してイメージしろ
どういうステップで達成するのか
目的達成のために使える強みやスキルは何だ?
すぐに結果は出ない
過去がそうだったように、
試していまいちなら修正して、また試せ。
毎日続けて、それが当たり前になった頃に結果はついてくる。