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10万人の漫画家志望者が漫画家を目指して実際に漫画描いて食って行けるのは1人いるかいないか…は漫画に携わるものの実感なのか。

先般上梓された,とよ田みのる先生の「これ描いて死ね」第4巻で,
最も心に残ったのはプロ漫画家のへびちか先生の
「10万分の1理論」だった。

「漫画家志望者が10万人いたとして」
「漫画を描く,いつか描くと口先だけで描かない人が9割いて脱落」
「残りの子達の中で賞が取れるのが1割」
「その1割の中で読み切りを描かせて貰えるのが1割」
「その1割の中で連載を取れる子が1割弱」
「その1割弱の中で安定して連載が続けられるのが1人いるかいないか」

…とここまで生存競争の凄まじさを語っておきながら
へびちか先生に言わせると「ここからが本番」で
「その「1人いるかいないか」を集めて
殺し合わせるバトルロワイアルがプロの世界」
だと言う。
アシスタントの幸村が思わず
「ほとんど無理ゲーじゃないですか…」
と呟くと,へびちか先生は
「その無理ゲーが楽しいんじゃない」
と答えるのだ。

「10万分の1」の競争を勝ち抜いた者たちが殺し合うのがプロの世界だと。

このへびちか先生の「10万分の1理論」を別の言い方で表現してたのが
大場つぐみ氏の「バクマン」であって
第1巻でサイコーはシュージンに次の様に語る。

「マンガ家なんてなれねーよ
なれるのは本当の才能を持って生まれたごく一部の天才
あとはただの博打打ち」
「マンガ家っていうのはマンガを描くだけで一生食える奴を言うんだ
週刊誌で連載できたとしても
毎週読者アンケートで順位をつけられ人気がなければ10週で打ち切り」
「大当たりするか何発も当てて一生食えればマンガ家
そこまでゆかなければただの博打打ち」
「マンガ家目指して一生食えるのは10万人に1人くらい」
「マンガ家なんて連載してなきゃただのニート」
「「デスノート」の原作の人(=大場つぐみ氏)だって言ってたぜ,
何か仕事しないと5年後には飢えて死にますって」

サイコーの「10万分の1理論」に対してシュージンはこう言う。

「確かに博打かもしれないけど宝くじだって買わなきゃ当たらない
マンガだって描かなきゃ当たらない。3億円が手に入る確率どっちが高い?」

シュージンはサイコーに

「お…おまえこのままダラダラリーマンになるんだ?
お前の人生それでいいんだ?」

って言ってたから堅い職業に就くより博打打ちに憧れたんだと思う。
「バクマン」はNHKでアニメ化されたけど
シュージンのこの台詞はカットされている。
ヤクザな博打打ちの分際で
日々真面目に働く会社員を見下す事は許さねえってんでね。

漫画家を目指して食って行けるのは
10万人に1人で描いた漫画が当たるか否かは博打だと言うのである。
漫画家を目指すって事は「ヤクザな博打打ち」に憧れる事だと。

仮に普段会社員を辞めて「これからは伸び伸びと生きたい」と思っていても
実際に辞表を提出して退職金を元手に懸賞生活に入れる程割り切れない。

「毎日葉書を書いてポストに投函するだけで「生活」出来る訳ないじゃん!」

って理性の制動(ブレーキ)がかかるのが「まとも」なのだから。
漫画家になろうとするのは,そのブレーキが壊れているのである。

僕の勤めていた会社に宝くじを買うのが趣味の人がいて

「3億円当たったら,こんな会社辞めてやる」

が口癖だった。
結局その方は定年退職まで勤め上げられました。
「夢」と「定収入」を切り離して考えるのが「まとも」で,
「定収入」の道を断って
「夢」で「一攫千金」を目指すのが「博打打ち」なのである。

とよ田みのる先生も大場つぐみ氏も実感として
「漫画家目指して実際に漫画描いて食って行けるのは10万人に1人」
と仰られていて,大場氏は結論のみズバッと書いて,とよ田先生は
何故10万人いた漫画家志望者が1人になってしまうのかを解説されてる訳。

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