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夢枕獏 原作 谷口ジロー 漫画 「餓狼伝」大判レビュー「小学館の所業を断じて許すまじ。」

本作品との出会いは1990年に朝日ソノラマから刊行された単行本で
原作者の夢枕獏氏の次の様な後書きが付いていた。

『(前略)谷口(ジロー)さん以外の漫画家の線で描かれるくらいなら,
「餓狼伝」の漫画化は永久になくていいと思ってた。
谷口さんは,プロボクサー,アマレスラー,プロレスラーの肉体の違いを,
はっきり描き分けられる稀有な作家である。(後略)』

何という熱烈な恋文であろうか。
漫画本編も勿論熱いが後書きも負けじと熱く,
折に触れ繰り返し読んだものだ。
後書きによると編集者に自分の小説の漫画化を希望する漫画家名を
挙げても殆ど実現しないと言う。
作家側が漫画家の方を口説き切れないからだ。

梶原との再戦を恋情に近い思いで焦がれていた
丹波は余人を介さず直談判に打って出る。

梶原「ずいぶん遠回りしやがって」
「いきなり今日みたいに(直談判に)来ればよかったんだ」
丹波「そうだったな」
梶原「複雑にしやがったもんだ」

恐らくではあるが夢枕氏は御自身を丹波に谷口氏を梶原に
例えておられたのではないか。
直に谷口氏に訴えてでも俺の小説を漫画にして欲しい。
後書きには,そこまで深読みさせる真情が込められていると言いたいのだ。

僕は夢枕氏の燃える様な恋文をしたためた初恋の話をしているのであって,
後年他の誰かが「餓狼伝」を描こうと心底どうでもいい。

そもそも「グラップラー刃牙」が連載開始するのは翌年(1991年)で
板垣恵介氏は認識すらされてない頃だし,
夢枕氏の「二度目の恋」には関心が無く,
本書のレビュー内容とも全く関係無いのである。

ただ朝日ソノラマ版の後書きを
本書に収録してくれた事に心から感謝したいだけである。

ここ迄本作品に対する好意を書き綴って来たが,
こっから先は非難しなければならない。
僕は本書を読み始めて心底ガッカリした。

それは何故か。

本書は何故だか知らんが小学館から刊行されている。
小学館だから小学生の日本語教育に配慮してるのか知らんが,
朝日ソノラマ版にない句読点が全編に渡って勝手に付与されてるのである。
朝日ソノラマ版
「ハッ」「ハッ」「ハッ」
小学館版(本書)
「ハッ、」「ハッ、」「ハッ、」
朝日ソノラマ版
「ハァ」「ハァ」「ハァ」
小学館版(本書)
「ハァ。」「ハァ。」「ハァ。」

一体全体これは何だ。
句点と読点の明確な付与基準も分からぬし,
そもそも!
本作品は1990年に(句読点抜きバージョンが)世に出ているのに,
33年も経ってから
「学習指導要領に照らして教育的でない」
とでも言う心算か。
一体!
創作物を何だと思ってるんだ!
小学館編集が勝手に付与した句読点が谷口氏の流れる様なネームを寸断し
ギクシャクした読後感を与えているのである。
学習指導要領などクソだ。
僕は昔読んだ通りのネームで漫画が読みたいのである。

小学館の愚行は今に始まった事ではない。
島本和彦氏の「燃えよペン」は最初全13話が収録された単行本が
竹書房より刊行され,
後に小学館で仕切り直して「吼えろペン」の連載が開始された経緯があるが,
その際,竹書房の「燃えよペン」も名義を小学館に変えて刊行されている。

左:竹書房版,右:小学館版

僕は竹書房版と小学館版を持っているが
後者には逐一句読点が付与されている。
つまり小学館の軒先を貸すからには
小学館の「しきたり」に従って貰うと言う訳だ。
発想がヤクザの仁義そのものなのだ。
本来句読点等の記号も作品の一部であって,
句読点を付与するか否かは作家のみが決められる筈なのに,
編集が勝手に介入しているのである。

昨年購入した「谷口ジローコレクション 孤独のグルメ」は
扶桑社から刊行されており,こうした愚行は一切ない。
只々小学館ひとりが愚行を繰り返してるのである。

本作品の評価は星10個でも足りないが,
その評価に小学館編集がドロを塗りたくったので
誠に残念ながら星2つ減点する。


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