とよ田みのる先生の「これ描いて死ね」第4巻レビュー「へびちか先生とは一体「何」なのか?」
「これ描いて死ね」は第3巻第13話「この世の90%はカスである」
からとよ田先生が「本音」を隠さなくなったと思う。
それまでは手島教師の元に集う子供達を「理想の子供」の育てる
とよ田版「エミール」を指向してたのだけど,
とよ田先生が本当に描きたかったのは「地獄」であって,
周りの人間を全員巻き込んで周りの人間を全員不幸にしながら
地獄に向かってまっしぐらに進む「脅威」がへびちか先生なのだ。
へびちか先生の提唱する「どんなものもその90%はカスである」理論は
新刊・第4巻でも遺憾なく発揮されている。
「漫画家志望者が十万人いたとして」
「漫画を描く,いつか描くと口先だけで描かない人が9割いて脱落」
「残りの子達の中で賞が取れるのが1割」
「その1割の中で読み切りを描かせて貰えるのが1割」
「その1割の中で連載を取れる子が1割弱」
「その1割弱の中で安定して連載が続けられるのが1人いるかいないか」
へびちか先生は十万人の漫画家志望者達が
何遍も「どんなものもその90%はカスである」のふるいにかけられて
脱落して行くのを楽しげに語り
「1人いるかいないか」の生き残りを集めて
殺し合い(バトルロワイアル)を演じさせるのが「プロの世界」と結論する。
へびちか先生は
「「いい人」の描く漫画はつまらない」とアシスタントのひとりを斬り,
2週間かけて別のアシスタントが描いた背景を没にする。
そのふたりのアシスタントは後年「最悪の仕事場だった」と述懐するが
とよ田先生が仰りたいのは,
ふたりは「最悪の仕事場」に何処かのタイミングで負けた
「90%のカス側の人間」であって,
その「最悪の仕事場」から決して逃げださず,
業火に焼かれながら地獄の真っ只中で今でもずっと漫画を描き続けている
へびちか先生とは一体「何」なのかを読者に問いかけているのだと思う。
「どんなものもその90%はカスである」のふるいに1度もかかってない
へびちか先生を娘のヒカルは「猫科の魔獣」を表現して
「僕のママは綺麗で強くて世界一大好き」
「僕の爪はママに似て鋭いから,いつもうっかり傷つける」
「90%の子といると牙が鈍るから僕はママのいる森に帰る」
とへびちか先生を自分を通して描く。
へびちか先生と再会した手島先生は
「全然年取ってない!」
と驚いてたから「猫又」なのかも知れない。
ヒカルにしても手島先生にしても,言い方は違うけど,
へびちか先生を魔獣か妖怪の類と見做してるのだ。
「90%の呪い」を避け続ける,脅威の存在の
へびちか先生は最早「人間ではない」のだ。
コレがとよ田先生が描かれる「プロの漫画家」。
地獄の瘴気に当てられて異形の奴ばらと化した元人間。
とよ田版「白面の者」かと思ったけど
とよ田版「富士鷹ジュビロ」の方が近いのかもね。
とよ田先生は最初健全なとよ田版「エミール」を指向されててたけど
先生の「業」がそれを許さず,異形の奴ばらと化したへびちか先生に
人生を引っ掻き回された大人達の話に移行し始めてると思う。
へびちか先生は「人間」に戻って牙や爪の鋭さが鈍る事を恐れている。
「恐れ」…それが先生が稀に見せる「人間らしさ」とは皮肉である。
僕は漫画にせよアニメにせよ映画にせよ常に
「酷い酷い酷い地獄が見たい」
と願っている。
故に僕はへびちか先生が如何なる地獄の光景を見せてくれるか期待してる。
ただね。
へびちか先生はウェルゲリウスとなって地獄の案内をしてくれるだろうが
ベアトリーチェになって天界の案内はしてくれないと思うのだ。
天国は「退屈でつまらない」からね。
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