とよ田みのる先生の「これ描いて死ね」第5巻レビュー「『光あるところに影がある』…手島先生の私情に満ち満ちた熱血指導に感動しました!」
本巻の主題は「いいキャラクターの作り方」。
安海のデッサンの技量が低いのを見て取った同じ漫研の藤森は
安海の絵の勉強の為に美術部への体験入部を提案する。
美術部顧問から与えられる課題は
「球体」「円錐」「立方体」のデッサンの繰り返し。
「光が当たる部分が一番明るくて」
「その下に影が出来る」
「物体の下の方には反射の光が入る」
「光」「影」「反射光」…を延々デッサンして描いて行く安海。
美大志望の美術部在籍の藤森の姉は安海に次の様に指摘する。
藤森姉「その子(安海)邪魔です!」
藤森妹がすかさず割って入り
「(お姉ちゃんは安海さんが)もっと自由でもいいんじゃないかって(言ってるんだよ)」
と藤森姉の言ってる事を「翻訳」する。
藤森姉「この子は未だそういうレベルじゃない」
藤森妹「(お姉ちゃんは)私達だって最初は自由に描いて絵を好きに(って言ってるんだよ)」
藤森姉「(この子(安海)に)こんな特訓に耐える根性なんて無い」
藤森妹「(お姉ちゃんは)基礎ばかりだと嫌になってしまう(って言ってるんだよ)」
藤森姉「(要するに安海さんは)子供なんですよ!」
藤森妹「(お姉ちゃんは安海さんに)先ず絵を好きになって貰わないと(って言ってるんだよ)」
この…藤森姉妹の会話に,もし藤森妹の「フォロー」がなく
藤森姉の台詞しか無かったら
藤森姉は「厳しい」とか「キツイ」と思われただろう。
それがとよ田先生の指摘される「キャラクターを一面でしか見ていない」ってコトなのだ。
「光」あるところには「影」があると
白土三平先生の「サスケ」の前口上を
とよ田先生は実地で教えて下すっているのだ。
上記は入門編であり藤森妹の詳細な解説が付くから分かり易いが,
本巻には応用編が収録されている。
ソレが漫研に突然やって来た石龍光の母親にして
本作品のラスボス・へびちか先生が一体どういう人物なのかを描く
第22話「いいキャラ」なのだ。
へびちか先生は手島零先生の師匠であり
「全然ダメね~30点」
「またまだね~」
「コレなし~」
「レイ(零)ちゃんはいい人ね」
「でもね」
「「いい人」の描く漫画ってつまんないのよね~」
と歯に衣着せぬ言動で手島先生の心を搔き乱した相手であって
漫研での手島先生の生徒への
「キャラクターに多方面から光を当て立体的に描く」
指導の際にも
「おもしろ~い」
「アナタにナニが教えられるの~」
と相変わらずの物言いに安海はへびちか先生に対し少なからず嫌悪感を抱き
怒りに任せてへびちか先生をモデルにした4コマ漫画を描き拡散してしまう。
その漫画を読み血相を変えて部室にやってくる手島先生。
手島「安海さん。この漫画は何ですか?」
安海「それは…(へびちか先生が)手島先生にあんまり酷いから…」
手島「私の為に描いたと?そんなコト,ワタシは頼んでません」
安海「いえ…私が怒って…」
手島「では私憤の為に人を一面だけで捉え,貶め,侮辱したんですか?」
手島「漫画は人を楽しませる為のものでしょう?」
手島「恥を知りなさいッ!」
手島先生が本当に素晴らしいのは怒って怒りっぱなしにしないで
手島「あの人(へびちか先生)は…私達とは「違う理(ことわり)」で生きてるんです」
と安海をキチンとフォローする所なんです。
そうして安海が描き直した漫画が元の漫画より
ずっと面白くなっていると言うこれ以上無い「オチ」が付いてます。
手島先生は離島の教師になって漫画への情熱を封印してる様に見えて
「オマエに…オマエに…へびちか先生のナニが分かるッ!」
「このガキンチョがッ!」
と「素」を大人気なく安海に晒す描写が堪らなく魅力的ですね。
現役の売れっ子漫画家へびちか先生を「光」
漫画家への夢破れた手島先生を「影」
と描いておきながら「光」を安易に貶める事は絶対に許さない
「影」の矜持に…クソデカ感情に震えるのです。
へびちか先生「貴方…お名前は?」
安海「や…安海相(ヤスミアイ)です…」
へびちか先生「ワタシ…敵の名は覚えるコトにしてるの…」
へびちか先生「頑張って(漫画で人を)殺してねアイちゃん♥」
この場面がもうね…。
「ラスボスが初めて勇者の存在を認識し,側近に名を尋ねる」
場面そのものでへびちか先生の「格」が上がる一方なのですよ。
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