日記前編:精神保健福祉士が精神科に入院してみた
「精神保健福祉士」とは、精神障害を持つ人々への福祉的支援を専門とする国家資格です。
ちなみに筆者は、より広範的な福祉資格である「社会福祉士」も持ってます。
なんなら社会福祉学の修士号を持っており、博士号を取得予定です。
研究テーマは「不登校の子ども達への健康支援」であり、精神保健領域を含みます。
そんな福祉界ずぶずぶな筆者(26)が、このたび〈患者として〉精神科急性期病棟に入院いたしました。
ので、日記的レポを書いてみようという次第です。
*もちろん、他の患者さんのプラバシーがありますので、書ける範囲内で書いてゆきます。
1.「死にたい」と伝えた入院希望
4月から初めての定職(といっても週3勤務の非正規雇用)に就いた26歳の僕は、主治医の心配通り、1週間でかんたんに体調を崩した。
微熱、腹痛、吐き気。
不安。希死念慮。
とりあえず受診した婦人科から虫垂炎疑いで大きな病院に回され、検査結果は「異常なし」。
母に電話で「心因的なものじゃない?」と指摘され、初めてこれが精神疾患に関連した症状だと気づく。
相変わらず、ストレスへの感受性は強いくせに、ストレスへの自覚は弱い。
心因性発熱。機能性腹痛。
ネットで少ない情報をかき集めると、ともかく安静に休息せよ、とのことだった。ストレスで、心と体が悲鳴を上げているのだ、と。
それでも、双極性障害で言うところの「混合状態」だろうか、心はソワソワと落ち着かず、家の中でも動き続けてしまう。
仕事は辞めさせてもらったが、衝動的な行動が増え、心も体もまったく休まらない。
───入院した方がいいんじゃないか。
そんな考えが自然と浮かんだ。
「入院したい」
でも
「入院するほどではない」(と医者に笑われるのではないか)
病状も気分も日々変わるため、思いが拮抗し、迷った。
かかりつけの主治医の診察で、僕は
「入院したい」
とは言い出せず、
「死にたい」
と言った。
死にたいのは事実だったが、それと同時に、希死念慮が強いとなれば、医師から入院を選択肢に提示してくれるかもしれないという考えもあった。その打算通り、
「入院という手もあるから、入院したくなったら、いつでもクリニックに電話してきて」
主治医は優しく言ってくれた。
次の日、僕はクリニックに電話して「〇〇病院に、任意入院したいです」と伝えた。
自分でも驚くほど「か細い声」が出て、びっくりした。
「病人役割」を自分は演じようとしているんだ、と思った。
─クリニック・日本社会への願い─
『気軽に入院したいと言える環境を用意してほしい』
2.不安に埋まった入院前
入院が決まって、まずほっとした。
やっと心と体を休めることができる、専門的なケアを受けられる、と思った。
それに、入院すると聞けば、まわりも仕事を辞めるのをすんなりと受け入れてくれるはずだ。無責任で申し訳ないけど、僕は入院という社会的パワーワードを手に入れたのだ。
3日ほどはルンルンで、遠足気分で荷造りをした。
だが、病院から提示された入院開始日は、最初に入院希望の連絡を入れた日から約10日も先だった。
荷物の準備はすっかり終わってしまい、することがなくなって、次第に不安が募ってきた。
「入院中は安静にしてそりゃ症状も落ち着くかもしれないけど」
「退院したら、また元の状態に戻るんじゃないだろうか」
入院する前から、退院後のことが心配になった。
しかも入院先の連絡窓口である地域連携室の担当者に「スマホは持ち込めない点ご了承ください」と言われ、スマホ依存な僕の入院へのモチベーションはだだ下がりしてしまった。
(結果的には、医師から携帯持ち込み許可を得られ、こうして記事を書くことができてる)
「もう少し入院を早めてもらえませんか?」「ほかに持込み禁止の物はありますか?」等々、何を訊いても一辺倒に「医師の判断次第です」としか答えてもらえず、不満と不安が募った。
入院前って、ただでさえ調子が悪い時なのに、肝心の入口対応がこれでは、ますます調子を崩してしまうじゃないか。
─精神科病院への願い─
『入院希望後、なるべく間をあけずに早く入院させてほしい』
『入院前の入口対応は丁寧にしてほしい』
3.大泣きした入院初日
前夜は不安と緊張であまり眠れなかった。何しろ入院自体が人生初だし、コロナ禍で実家の親も来れないため、1人で病院まで行かねばならない。
朝の検温結果を伝えるために入院先へ電話すると、開口一番「今日入院できなくなったというお電話ですか?」と訊かれ、あぁ、そういうことって精神科では往々にしてあるのだなと思った。
病院に到着後は、まず保険関連の手続き、そして検査の嵐。
病院にもよると思うが、僕の場合は1日の間に血液検査・心電図・レントゲン・脳のMRI検査を受けた。
僕は採血が極度に苦手で、採血後に涙が出た。歯を震わせながら、シクシクと泣いた。
看護師さんは優しく「泣いていいんだよ。よく頑張った」と言ってくれた。
ここは小児科か。
情緒が幼児のようでも当たり前に受け容れてくれる「精神科」という環境が、ここちよく感じられた。
担当医による診察も、非常に丁寧で落ち着いていて、こんなに自分の話を深く聞いてくれるんだ、というだけでも嬉しく感じた。
ただ、あちこちで検査を受けたり大泣きしたり、もうそれだけでもぐったりなのに、
検査の際、(1人だけだけれど)明らかに「精神科患者を下に見ていて尊重する気がない」振る舞いのスタッフがいて、心底腹が立った。詳しくは書かないけれど、腹が立ったし、こわかった。
看護師さんにチクりたくて、でも早速「厄介な患者だ」と思われるのも嫌で、でも抱え込むことも我慢することも自己消化することもできず、迷った末に「頓服ください」と理由をつけてナースステーションに行った。
検査の疲れや緊張もあって、愚痴と不満を言いながら、涙がボロボロと出た。
看護師さんは「それはびっくりしましたね」と優しく僕に共感してくれ、頓服を飲ませた。
あぁ、ここは甘えていい場所なんだ、変に我慢するのはやめよう、と思った。
初めて飲んだ頓服は、視界をチカチカとさせた。
4.荒ぶる入院前半
入院したてであろうと、看護師さんが付きっきりで付いていてくれる訳ではない。
入院生活は右も左も分からない状態で始まった。
精神科病棟に足を踏み入れること自体は初めてではなかったし(実習や付添で何度も来ている)法制度や決まりも大体は知っているが、何しろ〈患者として〉生活するのは初めてだ。
食事の準備、食器の片付け、朝の健康報告など、僕はほかの患者さんの行動を必死で見よう見まねした。
食事中も肩に力が入りっぱなしで、緊張のあまり頭まで痛くなってきた。
しかも、入院した急性期病棟は、言うならば「短期集中治療型」の病院で、不安定な病状の患者さんが多い。
無駄に感受性や気分反応性の強い僕は、周りの患者さんの不安定な様子に共鳴してしまい、動悸と汗が止まらなくなった。
もともと入院するほど調子が悪い上に、生活環境が激変した上に、初対面の人々に囲まれている上に、共同生活の相部屋な上に、まわりも調子の悪い人ばかりなのだ。そりゃ不安定にもなる。
耳栓やイヤホンをしても、ほかの人の様子や泣き声、看護師さんとの話し声、ドアやカーテンの開閉音が気になり、精神が摩耗していった。
意を決して詰所の看護師さんに「泣き声が気になってしんどい」と伝えに行ったところ、看護師さんは「ありがとう!」とその患者さんのところへすっ飛んで行った。僕を置いて。
看護の優先順位って、こういうことだ。
*僕の伝え方が下手だっただけで看護師さんは何も悪くありません
(続く)
使用用途::不登校関連書籍の購入、学会遠征費など