【TOP10】全世界愉悦ランキング〜!


極めて個人的




10位 YouTube short

時間を盗む大怪盗


ショート動画はまさに麻薬のような中毒性を孕んでおり、休みの日はこれを死んだ魚のような目で見つめて画面をスクロールしているだけで太陽が沈んでしまうことがよくある。
ただ、一つのショート動画で得た知識や快楽は、
次の動画をスクロールしたころには完全に頭から抜け落ちている。



9位 本

重苦しい噺だけど、生きづらさを感じている人には 読んでみてほしい


個人的には、本を好きになるにあたって、
エンタメとして面白い噺であるかより、
自分が共感できるか、
そして「陰鬱具合」の方が大事だ。
これが浅はかであることは自覚している。

自分が好きな本は、
ドストエフスキーの「地下室の手記」
カフカの「変身」
カミュの「異邦人」
サルトルの「嘔吐」
中島敦の「山月記」
などだ。

・・・人間性が窺い知れる。



8位 にんにくと生姜



つまりラーメンと餃子のこと。
自分にとって、料理とはこの二つを食べる為の
手段と口実にすぎない。



7位 二度寝

アラーム音固定パターン1に
感情まで支配される朝は
血でも魂でもなんでも売っぱらって
たった1秒でも長く眠りたい

ハヌマーン 「トラベルプランナー」

↑これ




6位 射精


これを読んでいるあなたが女性であるなら、
まず謝罪しなければならない。

けれども、これが愉悦であることは否定できない。
自分がホモサピエンスとして生まれた理由を
突き詰めて考えれば、
子孫と遺伝子を残すことだけになるだろうし、
生命の神秘なのは間違いないはず。
だが、これは本能的に最大級の愉悦であるとともに不快感と強い虚無感を伴うこともある。



5位 人と話すこと


腹のうちを曝け出せる人間関係を
築けたことのない自分は、
人と関わるのが嫌いだ、と思っていが、
自分が根暗で病んだ人間である原因を追求してみると、他人よりも人と話す機会に恵まれなかったことだと感じるし、
それは人と話すことに愉悦を感じていることを
指している。



4位 音楽

「けいおん!」はサブスクで観れるけど、自分には青春すぎて苦しかった。


好きな音楽は、
間違いなく今の自分の価値観を形作っている。
いや、今の自分の価値観で「いいな」と思えるものしか好きになりえないというだけかもしれないが、
間違いなく言えるのは、
好きな音楽はその当人の人格を
反映する鏡のようなものである、ということだ。
人はみんな、
何かを支えにしなければ生きていけないが、
自分にとってそれが音楽だっただけの話。
だが、音楽は鏡であるが故に時に自分自身を
俯瞰させてくる時があり、
そうなると自分の姿に
嫌悪感を抱くこともある。



3位 隻狼全クリ



フロムソフトウェアのゲームは間違いなく芸術だ。
いつかフロムゲーについてもnoteを書きたい。
アートワーク、秀逸なアイテムテキスト、
そしてゲームデザイン。
何度も何度も強敵に挑み、倒したときの達成感は
間違いなく最高レベルの愉悦であるが、
俺は絶対に「ミコラーシュ」と「神肌のふたり」を
許しはしない。



2位 クリシェ使われてるやんけ!

沈みゆく夕陽みたいだから

クリシェ進行とは、コード進行の技法の一つで、
コード(複数の音が同時になった時の響き。例えばCコードは、ドとミとソの3音で構成される)の構成音のうちの一つが半音ずつ上がったり下がったりすることである。
お手元に楽器のある場合、
Em→EmM7→E7→C♯m7-5→C→D→Gと
鳴らしてみていただければ良い。

アルファベットがずらっとならんでいるので
圧倒されるが、聴いてみればわかりやすい。
自分のように音楽的な素養が
中途半端な人間にとって、
聴けばわかるコード進行とは
クリシェ進行くらいであるが、
クリシェ使われてるやんけ!と反応できると、
まるで自分が音楽に造詣が深い
人間であるかのように錯覚できるため、
自称音楽好きとしては愉悦の限りなのだ。

まさにクリシェ信仰である・・・・・・



1位 不幸

先に断っておくと、これは理想論でもある。
ここでの不幸とは、
たいへん広い意味での不幸を指し、
人の不幸から自分自身に降りかかった災禍まで
さまざまである。
不幸に愉悦を見出せれば、
人生はこの上なく楽しいものになるはずだし、
不幸に愉悦を見出すことだけが、
人生をうまく生きる術であるはずだ。

救いようのない厭世主義、
いざとなったら死んでやるぞ!という覚悟、
不幸への信仰のようなものが愉悦なら、
何もかもが幸福のはず。
端的に言い表せば、不幸に愉悦を感じることは、
悲劇のヒロインぶる自己陶酔だ。

病んでいるようにも思われるかもしれないが、
俺自身はいたって健康だ。
難しいことのように思えるかもしれない。
けれども不幸への愉悦と信仰とは
胸の張り裂けるような悲劇に感嘆し
涙の海に浸るようなもので、
けして身近な不幸に限定してこれを始める必要はない。

ここでの「悲劇」とは、例えば、
あらゆる人間のあらゆる人生などである。



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