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厨二病の末期症状
久しぶりに、暗い話をしますよ
1月10日、寒波が京都府を襲った。
いつものようにスマートフォンの怒号で目を覚まして、カーテンを開けて外を見れば、
俺の住む街は一面の銀世界と化していた。
隣の家の庇には氷柱ができていた。
冷たい日光を浴びて
徐々に目が覚めていくと共に、
この氷柱に貫かれる様な不安を感じた。
この様な天候では、
いつもみたいに自転車通学をするのは無理だ。
電車で登校するなら、すぐに家を出て乗れるものに乗り遅れるとまずい。
田舎の電車は本数が限られているから、
一本逃すだけでかなりの遅刻になる。
朝食は摂らず、慌てて家を出た。
早足で歩いて、靴の中に雪が入ってくるのに
不快感を覚える。いつもなら同じ制服を着た
高校生たちが自転車なり徒歩なりで
同じ方向へ行くはずの通学路だが、
昨日は誰もいなかった。
青白い桜が舞っているのを見ていると、
中学時代のことを思い出した。
俺はいつだって消し去りたい過去に囚われているし、毎年この時期になると、
その寒さも相まって感傷的になってしまう。
自分は中学時代、どうしようもなく醜かった。
むろん、今でもそんな人間であることは
自覚しているが、もっともっと酷かった。
知識をひけらかすようにブラックジョークを
飛ばして、理解できる自分の「教養」とやらを
心と教室の隅っこで誇りに思っていた。
そうして元いた友達は離れていって、
中3のクラス替えを経て完全に孤立した。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心を、
虎が牙を剥き出しにする様に
表出させていたあの頃、
それでもその牙に食いちぎられた
純粋さの欠片が、わずかに心に残っていた。
俺は高校生活に漠然とした憧れを抱いていた。
誰もが大人びていて、個性的で、
そんな人が集う高校で送る青い春に
淡い期待を寄せていた。
思えば、満足のいかない現状からの逃避行だったろうが、とかく自分は彼らの生活ぶりを見て嫉妬に狂うことなく真っ直ぐに羨望の眼差しを向けていた。
孤独だった中学3年生の頃、
俺は受験勉強ができなかった。
孤独すら受け入れ、寧ろ快楽を見出して
自己陶酔していた自分は怠惰を極めていたのだ。
どうしても、どうしても、
何ヶ月も努力を続けることができなかった。
そこまで精神的に成熟していなかった。
今振り返れば、昔の自分がブラックジョークを
好んだのも、頭の悪さを誤魔化すために
薄っぺらい知識で理論武装して、
知性の欠如が露呈しない様にしていたためだろう。
俺はここまで過去を振り返って、
肩に乗っかっている雪のような
憂鬱を振り払うかの様にぶるっと体を振るわせ、
次に高校入学当初のことを思い出した。
頭が弱いくせして努力すらできない俺は、
偏差値の低い高校に適当に入った。
今ではそれを強烈に後悔しているが、
当時の自分は高校入学という人生の転機が
訪れたことに胸を躍らせていた。
俺は中学時代の反省を生かして、
とりあえず教室に擬態することにした。
自分が「普通じゃない」なんてことを言おうとは
決して思わない。俺はそこまで芸術的でもない。
けれども、確かに劣っていた。
だから生存戦略として、擬態するしかなかった。
俺は劣等種である事実をひた隠しにすることで
社会生活に順応しているふりをした。
気持ちの悪い烏賊が、自ら発光することで
海面そのものに擬態する様に。
根っこはどうしようもないため時々ボロは出るが、以前と比較して、多少は朗らかに振る舞った。
そうすれば自然と友達はできることがわかった。
俺は憧れていた青春を、象徴的なほどの蒼色のそれではなくとも、水色のものを手に入れたと思っていた。自分の力でそれを掴んで見せたと。
けれども、時々自覚する。
自分は何も変われていないと。
今の自分は、捻くれた中学生が大嫌いだ。
心のどこかで見下してすらいる。
それは、あの頃「普通」とされる人々を1人残らず
軽蔑していた頃から攻撃の対象を変化させただけで、根本的に人格を変え、成長することができていない事を示しているだろう。
思慮や正義のもとブラックジョークを嫌ったのではなく、際限のない虚栄心がために過去の自分の様な人間に同情するのでなく嫌ってしまい、そうならないよう抑制しているだけなのだと時々自覚する。
であるならば、自分のこの醜い本性を受け入れてくれる人も社会も存在しないことになろう。
必死に演技して、ようやくまともな人間関係を
構築できたのだから。
本当の自分を出せないことは
誰しもが抱える普遍的な問題であるが、
今の俺の知力で答えを出すことはできない。
高校卒業が近づく今、頻繁に考える。
根本から変われていないとなると、
自分は大人になれたのだろうかと。
最近、冬が厳しくなるにつれて、
自分が成人したという自覚が芽生えてきた。
俺がいつ成人したか。
それについて具体的に言及するのはやめておこう。
もうとうの昔に18歳になっていたかもしれないし、今まさに成人し溢れた感情を書き殴っているかもしれない。むしろまだ成人していない可能性もある。
これを読んでいる人がいるかはわからないが、
あなたに確実に伝えられることは、
俺の中で「大人になるべき」という
ある種の責任感がようやく芽生え始めた、
ということだけだ。
成人することは、法的に自由を齎すが、
それ以上に精神的に窮屈になるだろう。
それ相応の振る舞いを求められ続けることになるからだ。だが俺は、その要求に応えられるほど精神的に成熟していない。
結局のところ俺は変われていないのだから。
結局、昨日、学校にはなんとか間に合った。
雪の影響で時間割が少し特殊だった。
暖房の胸焼けするような熱気に侵されて居眠りをしていたら、いつのまにか放課後だった。
雪の日の帰り道、
中学時代のブラックジョーク仲間と
偶然駅で遭遇した。
彼は俺が中二病に罹患したのち、唯一俺のとなりで同じ様に捻くれた持論を展開して傷を舐め合っていた、イカ臭い男だった。
再開した時の彼は、背も髪も伸び、垢抜け、
イカ臭くもなくなっていたが、
姿勢の悪さだけは現在だった。
再開は、当然予期していないものだったし、
途轍もない気まずさと淡い興味と
体液全てが沸騰するかのような焦りを
伴うものだった。
俺は、自尊心のコピーミスで生まれた
虚栄心の悪性腫瘍のせいで、
ここで失敗を犯した。
俺は彼の前で唐突に
ブラックジョークを否定してしまった。
厨二病の症状が出てしまった。
殆ど自覚のない、夢遊病の様な末期症状だった。
"ルサンチマンに支配されている感じが哀れで、
頭がいいと錯覚したいだけ"
などと弄した。
ちなみに「ルサンチマン」の意味を
説明することは俺にはできない。
俺が成長を誇示するために、
かつて2人を繋げていたボロボロの鎖を貶しているのを見て、彼はただ苦笑いしていた。
彼はとうに成長していた。
俺はまだ厨二病のままだった。