対孤独自己防衛的反応
ずっと1人でいると、独り言が上手くなってくる。
1人でいるという事は現実世界に自分が所属している集団がないという事だから、脳内で友達をつくってそいつらと会話する。いわゆるイマジナリーフレンド。より正確にいうなら、数少ない過去の友達なら俺の言葉に対してこう返答するだろうという妄想だ。
しかし決して、俺はおかしな奴ではない。
結局人っていうのは集団で生活する生き物でしかなくて、一匹狼はいつか正気を失くす。
一匹狼と言えば格好いい様に感じるが、
実際のところ群れの中で一際弱い個体が、群れから弾かれた結果、一匹狼になるらしい。
そんな中、正真正銘一匹狼の俺は正気を保つために脳内友達と集団をつくって、1人でなくなる。
そういう意味では、俺はいつも1人ではなくて、友達に囲まれて過ごしていると言えるかもしれない
脳内友達と話すのは簡単だ。
彼らは俺の価値観の分身で、俺の考えと存在を否定しない。分身なんだから、共通の話題しかないし、俺が話したい時に一方的に話すことができて、その間脳内友達は黙って話を聞いてくれる。
しかしその会話に意味はない。
人が集団で居続ける意味というのは、違う価値観を共有するというところにあると思う。
互いに違う価値観をもって、刺激し合うから、
多角的に物事を考えられるようになる。
それを成長と呼ぶのではないだろうか?
なら俺は自分の価値観に閉じ籠もって、いつまで経っても成長できないのでは?
言葉のキャッチボールというメタファーは有名だが、俺が脳内友達とやってるのは壁あてだ。
彼らは実在しないし、実際のところ俺が考えた
言葉を物言わぬ壁に投げかけて、そのままかえってきた言葉に対して俺が返事を考える。何の刺激もない、ただ気楽なだけの会話。
孤独だという現実から目を背けて壁あてをする。
ずっと壁当てをしていると、話題の否定をしがちになってくる。
自分の価値観を出し切ったから、今度はそれを自分自身が否定し出す。
でもその否定というのは自分が閉じこもって凝り固めた価値観から生じるもので、他人から受け取る否定より刺激が少なくて、自分の成長につながる事はない。
俺は数年前から孤独で、孤独でいることに対して、寂しさを感じることは少なくなってきた。
しかし、ずっと独りでいても、なんの成長もしないことは事実である。
この孤独から脱却するには、脳内友達のことを忘れて自信をつけるしかない。
でも俺には自信をつける足掛かりになる、取り柄と呼べるものは何もない。何か努力をするべきだが、現状に甘んじているのは確かだ。
‥‥まずい、この文章の落とし所がなくなってしまった。頭が悪いせいだ。
とにかく、孤独な人間は自分の捻くれた価値観が
一般的な考え方からどれだけ乖離しているかを
自分自身で理解しておかないと、
いつまで経っても煙たがられるだろう。
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