短編小説「蟹」
「蟹」
「恃(たの)もう」
一日の学課を終えて、賀川豊彦は通町の教会を訪ねた。全く以て散々な一日であった。
「名門徳島中学の名が廃る。」
豊彦は憤慨していた。
「ドウシマシタカ」マヤス神父が尋ねた。
其れに対して豊彦は「うむ」と答える。
「中学の学課に軍事教練があるのだ。」
憮然として豊彦は言った。豊彦は中学に「飛び級」で入学したため、他の生徒に比して年齢が幼い。体躯も小さいため身体能力が格段に劣る。であるからして体操の授業が嫌いだ。軍事教練は厳しく行われるからもっと嫌いだ。このような事情から豊彦の平和主義は中学に入学して以降、徹底を増した。
「学徒の本分は勉学であるのだ。」
重ねて豊彦は言う。
「諸外国で活躍する国際人を作らねばならぬ。それが学府の使命だ。その為に国際平和への道を先ず説かねばならぬ。所がその学府が自ら、諸外国を仮想敵国と見做し、軍事教練を行うとは何事か。」
憤慨冷めきらぬ豊彦にマヤス神父は焼き上がったばかりのパンを持たせた。
「マアマア。」と神父は言った。
「ソノウチ、イイコト、アリマスヨ。」
明日の集会準備が忙しいからと体よく追い出されてしまった。
憤懣したまま豊彦は通町を抜けて福島橋に来た。
「川は滔々と流れている。」
豊彦は川が好きだ。自然が好きだ。清らかな水が世事を浄化する。初夏に吉野の清流は涼しく流れるのだ。
「余に問ふ。何の意ぞ碧山に棲む。笑って答えず。心自ずから閑。桃花流水、杳然として去る・・・。」
豊彦は川に向かってやぶれかぶれに李白を唱える。その慳貪の声を浅瀬の水声が掻き消す。
「ええい。」
豊彦はパンに齧りついた。
「食らってやる。」
忽ち半斤を食らった。乱暴に食い散らかしたのでパン屑が零れた。そのパン屑に蟹が群がる。
「お前たちは何故に蟹であるのか。何故に鋏を持ち、何故に扁平に暮らし、何故に節足で横歩きをするのか。お前たちはその潜望鏡の如き双眼にて何を見る。」
古代の海にはゴカイのような無数の肢を持つ環形動物がいた。無数の肢はやがて変形して機能になり、口器、触覚、鋏角等に分かれた。進化である。
進化は偶発的事象である、と学者は語る。しかし豊彦には進化に生物の意志を感じる。意志とは道徳である。つまり蟹の肉体は蟹族の社会的道徳がもたらした獲得物である。理想世界を夢見る蟹が、理想世界実現の為に自らの肉体を変容させるのだ。蟹は物を言わぬが、蟹の肉体を紐解けば恐らく蟹族の進化を促した道義心が見えるのだ。
進化は自然淘汰という消極的進化ではなく生物の意志による能動的進化である、と豊彦は考える。
人類も同じである。人類も道義心に即して能動的に進化をしたのだ。であるからして人間の姿形が道義心の多年的顕れである。しからば現世において進化の途上である人類は、更なる進化のために人類たる道義心を忘れてはならないのだ、と豊彦は思っている。
「食らえ、食らえ。」
豊彦はパン屑をまき散らした。蟹が群れている。
「生きよ、生きよ。」
「愛せよ、今日も汝らを慈しみ愛せよ。」
蟹たちに豊彦は言った。今日一日の愛が明日の蟹を進化させるのだ。
蟹はつくづく扁平である。
扁平な蟹の上に扁平な蟹が重なる。
またその上に別な蟹が重なる。
一つの餌に群がって重なり合っても、扁平であるから重く感じないのだな、つまりは餌を取り合って群がるための肉体なのだ、と豊彦は思った。なるほど。
人間は違うな。と豊彦は思う。群がると胸が潰れて息苦しい。人間の肉体は、餌を取り合って群がるようにできていないのだ。
その帰納はこうも云える。
「蟹は一つの餌を奪い合う生物である。」
「人間は食物を分かち合う生物である。」
人間の体が扁平でないのは、人間の体が食物を分け合うためなのだ。これが人間の道徳である。だから人間は食物を奪い合ってはいけない。浅ましい真似をすれば人間の体は、有史以来培った芙蓉を失い、蟹の如く扁平に変容していくであろう。
「そういえば吝嗇の叔父の足の裏は偏平足であったな。」豊彦は一人苦笑した。
「申し申し。」と豊彦に声を掛ける者があった。
が、蟹にパン屑を与えるのに夢中の豊彦は気が付かない。
「申し申し。」
声の主は再び豊彦に声を掛けたが、やはり豊彦は気が付かない。「お前たちに神の愛を」などと大言壮語を吐いている。
痺れを切らした声の主は、我慢できずに豊彦の頭を噛んだ。
「あいた。」 豊彦は言った。
そして振り返ると馬の生首が浮いていた。
「武具馬具武具馬具・・・」と馬の生首が歯茎を見せて嗤っている。
いや、気のせいであった。
男がいた。白髪混じりのザンバラ髪、無精髭。埃に塗れた鈴懸に脚絆姿。大きな厨子を背負っている。眼帯をしており隻眼。何時から其処に居たものか、先程から豊彦を呼んでいる。「申し申し。」と。
「それは何でござるか。」と男が豊彦の持っているものを尋ねた。
豊彦の手に持っているものと言えばパンである。
「パンである。」豊彦は答えた。
「パン、でござるか。」
「パンを知らぬか。」
「存じませぬ。」
「食ろうてみるか。」
「試してみたく候。」
豊彦は男にパンを呉れた。
「うむ。」と男は言った。「美味でござる。」
「うむ。」と豊彦は言った。
「これは通町教会のマヤス先生とローガン先生が焼いたのだ。」
「その御仁たちは耶蘇教の神父でござるか。」
「如何にも、耶蘇様の神父である。」
「相済みませぬが、もう一口下さらんか」と男は言った。
「よかろう。」と豊彦は言った。
パンを食べて男は「うむ、美味い。」と言って消えた。
豊彦は英語教師の片山正吉の家に下宿している。他にも数名の下宿生がいる。夕飯時に豊彦の従兄弟である新居格が、日中、福島橋の袂で何をしていたのか、というような意味の事を尋ねた。
「見知らぬ御坊にパンを呉れておったのです。」と豊彦は説明したが、食卓の皆には状況が掴めぬらしい。
「パンを呉れ呉れとせがむので、パンを何切れか呉れましたら、満足したようで消えました。」
「消えたのか。」
と英語教員の片山正吉が言った。
「消えました。」
と豊彦が言う。
「ドロン。」
「まるで幽霊だ。」と新居格の弟の厚が言う。
「幽霊であるな。」格が言う。
「福島橋と云えば人柱だ。人柱の幽霊が出たのじゃないか。」
「どんな格好だったのかね」と片山に訊かれて、豊彦はかいつまんで特徴を言った。
片山がナマズ髭を撫でて言った。
「まるで夜行サンだ。」
徳島の村の各戸の蔵には古道具が祀られている。豊彦の馬詰村の実家にも古い白徳利が祀られていた。古来より夜行日は古道具たちが百鬼夜行を為すと忌まれた。其の先頭が「夜行」と呼ばれる鬼である。夜行は白い法服を着ており、一つ目、首なし馬に乗っているのだ、と片山正吉が説明した。
「おう、怖い。」まだ幼い新居厚が震えた。
「この世紀開闢の御時世に非科学である。」
新居格がせせら笑った。
その夜、布団の中で豊彦と新居格は「福島橋の幽霊」の話をしていた。
徳島市内は吉野川の支流が流れ、幾つかの中州に分かれる。そのうち徳島城下の瓢箪島から西の福島に架かった橋は増水の度に何度も水に流された。困った村人は人柱を立てて阿波岐原三神に捧げることにした。
「人柱はどのようにして選んだのだ」
と豊彦は尋ねた。
「工事初日の朝一番に、其処を通りがかった者を人柱にする事に決めたと云われる。」
「それでは全く他人ではないか。」
「全く他人を人柱にしたのだ。」
通りがかったのは旅の六部であったという。人々は六部に懇願した。六部は了解し、自ら棺に入ったと云う。
「六部の鳴らす鉦の音が四十九日の間、聞こえたと云うな。」
「なるほど。」
と豊彦は言った。
「立派な御仁であるな。」
と感心した。豊彦も人間社会の役に立つ人柱に成らねばならぬと決意を新たにした。
「おいおい。」
と新居格が言った。お前は阿呆か、と。
「常々、お前は阿呆じゃないかと思っていたが、本当に阿呆だ。とんだ御人好しだ。」
豊彦はむっとした。
「そもそも見ず知らずの人間が、見知らぬ土地で人柱にされる事など納得しよう筈がない。不本意であったから福島橋には幽霊が出ると云われるのだ。」
と新居格は言うのである。
ちなみに弟の新居厚はとうに寝ている。小さな鼾が先程から聞こえている。
其うだろうか、と豊彦は思う。自己犠牲の精神は尊い。其ういう尊い精神を人類は持っているのだ。
豊彦の生家は神戸の島上町であるが、近くに築島寺がある。平家物語の中に平入道が大輪田泊の築島を作る話があるが、工事を安泰に終わらせる為には「人身御供が三十人必要」と託宣が出る。その三十人を救うために一人の小姓が身代わり人身御供になったと伝えられる。その菩提を弔ったのが築島寺である。
子供の頃からそんな「美談」を聞いていたので、新居格のような「穿った」考えがあるとは豊彦も吃驚した。
その晩、枕元に昼間の男が立った。
「豊彦殿。」
と男は言った。豊彦の体は動かない。男は豊彦を見下ろして言った。
「パンとは良き物でござるな。」
「うむ。」と豊彦は心の中で頷いた。
男の周りを蛾の如く馬の生首が飛び回っている。
「武具馬具武具馬具・・・」と生首が嗤っている。
「もしまだ残っておりましたら、もう一つ下さらんか。」
と男は言った。大層厚かましい。
「もう、無い。」
と豊彦は心の中で念じた。
「そうでござるか。」と男は残念な顔をして錫杖を鳴らした。それを合図に背中の厨子が開き馬の首が仕舞われた。
「そうでござるか。」と男はまた言って錫杖を鳴らした。それで今度は男自身が消えた。
「うむ。」豊彦は目を瞑って朝まで寝た。
次の日は日曜日であった。豊彦と新居格は通町教会の日曜ミサに出掛けていた。
「ハイハイ、ドウモネ。」
マヤス神父が二人にパンをくれた。
「パンニ、チクワ、イレテミタヨ」と神父が言った。
二人は福島橋の袂に座って、パンを食べる。昨日あれだけ現れた蟹が今日は見えない。
白い服の男も現れない。
黙々と二人はパンを食べた。
「おい、蟹だ」新居格が言った。
川砂利の上に蟹が止まっている。
「何かしているな。」と目を凝らす。
「死んだ蟹を食べているな。」
食べる蟹と食べられる蟹。それが蟹どもの平和であるのだな、と豊彦は思った。そのような道義心も自然界にはあるのだ。
二人はまた黙して川を眺めた。
遠くに人が群がっていた。
「土座衛門が上がったぞう。」と声が聞こえた。
何となく二人は其方に行ってみた。若い母親と、その母親の背に紐で括られた子供が死んでいた。揚げられたばかりの死体は地面の上に弛緩している。
「自死だろうか」
新居格が言った。
食い詰めて自死する者も多いと聞く。子どもの間引きもあると聞く。
「どうだろう」豊彦は答えた。
死んだ母子に蟹が群がり始めていた。
「蟹を追い払え」
と漁師風の男が言った。
(終)
(短編小説「蟹」村崎懐炉)