没ネタ祭「電子レンジで焼き芋を作る」

本作のタイトルは「電子レンジで焼き芋を作る」です。焼き芋はサツマイモを水に浸したキッチンペーパーとラップで包み、200ワットで30分加熱すると美味しく作れる、これだけの話を書こうとしたのに、ついいつもの悪い癖で、ナナメの方向から書き始めてしまい…。

気が付けばいつも同じ袋小路に迷い込む。
およそ見慣れた場所で、「ああ、またここに来てしまった」と僕はため息をつく。

交流分析という学問に「人生脚本」という概念がある。個人の行動原理はパターン化されていて、人生のそれぞれの局面において帰着する結果は概ね同じものになるという。

例えば、僕の知人に悪い男に騙され続ける女性がいる。彼女はいつも悪い男を恋人として選択し、その男を甘やかしては情緒的な欠落を助長させ、すっかりソイツを悪い男に完成させる。その完成した悪い男はもはや彼女自身の手に負えないモンスターで、彼女は散々な目にあった挙句、逃げるようにして別れることを繰り返している。

そういう男を選ぶのは止せと言っても、彼女が好きになるのはそんな類の男ばかりだし、甘やかすのは良くないと言っても、やはり男を甘やかすのが好きなのだ。

人間の人生は性格や趣味嗜好、信条等によって一方向を向いている。
同じ失敗、同じ成功を繰り返すのが人生なのだ、というのが「人生脚本」の要旨である。

この手の話を僕がすると「何をやってもダメな奴はダメ」と聞こえるようで、目の前の人間に嫌な顔をされる。決してそんな話ではないんだ。

ただ今日に至っては僕の言葉は僕に返ってきた。「何をやってもをダメな奴はダメ。」そんな言葉に我ながら打ちひしがれている。

「いつまでも芋が出ない(出せない)」
という堂々巡りの袋小路。本作の求める読者は「電子レンジで焼き芋を作りたい」方々の筈で、その読者にこの冒頭文が受け入れられる是非がない。なんとか冒頭分を端折ったり、切り詰めたり工夫を凝らしたが、「焼き芋に繋がる魅力的なイントロデュースにならない」という根本的な問題が解決しない。結局、私はいつも同じ失敗をするのである。と何もかも嫌になり、挫折。
書き出しは本年の1月6日。
私はnoteのコラム系記事の人気の高さを歯噛みして妬んでいた。私も何かコラムでちょっと良い事書いて人気を博そうと画策していた。「上っ面の精神論をちょこちょこ書けば人気出るんでしょ」とか。完全に世の中を舐めた餓鬼だった。たった9ヶ月前のことだが、私は青い小僧だった。
(その若さが今となっては羨ましくもあるが、当時も今も外見は変わらず「いい年したおっさん」である。外見も内面もおっさんであることと、少なくとも内面は青い小僧、はどちらがマシなのか。興味深い問題ではあるが、たった9ヶ月の差を考えても詮無いので今日は看過する。)
その上っ面の精神論を「読ませる技術」を身に着けることが如何に上っ面だけでは備わらないことか。そこに信念を要することか。つまり、「上っ面」ではないのだ。「上っ面」なのは「上っ面」で受け止めている私自らであった。焼き芋の事が書きたいのに小手先で格好だけ整えようとしていたのは他ならぬ私だ。私が最も「上っ面」人間であった。
やはり不純な動機は良い作品に繋がらない。
いつか焼き芋はサツマイモを水に浸したキッチンペーパーとサランラップで包み電子レンジの200ワットで低音加熱すると美味しく作れることを、真意を以て語りたい。