芸術家であっても、霊感を待っていてはいけない
今朝、NHK-FMの「クラシックカフェ」を聞いていたら、チャイコフスキーの『交響曲第5番』の紹介をしていた。
この曲は、1877年に『交響曲第4番』を作ってから、「な〜んだか創作意欲がわかないんだよな〜」と交響曲の制作からは遠ざかる時期を経て9年後、なんとかかんとかして作った曲なのだそうだ。
その時、「クラシックカフェ」の解説によれば、チャイコフスキーには「芸術家であっても、霊感を『待って』いてはいけない」という心持ちがあったのだそうだ。「持って」じゃなくて「待って」いてはいけない。
そうだったのか、世紀の大作曲家と言えども、いつもいつも「雷のように降ってきて」「インスピレーションが湧き上がって」「何かに取り憑かれたように」曲を作っていたわけではないのか。
ついつい芸術家という人たちが、いつも霊感のような、何ものかかが突き動かす衝動によってのみ創作活動を行う人々と考えてしまいたくなるが、案外そうでもないのかもしれないな。
「嫌でもなんでもとにかく完成させた結果」であっても、私達が何度も聞きたくなる名曲ができあがったわけだから。
だから、芸術家でもない私なんぞは、日常のあれこれを粛々と行うまで、ということか(論点がずれている?)
チャイコフスキーは大好きだ。昔バレエを習っていたので、『くるみ割り人形』とかバレエ曲はいろいろ知っているつもりだし、バレエ曲以外も、ドラマチックというか、「メロ」ドラマチックで、なんとなくバレエ曲っぽい。オーボエなんか出てくるくだりは全部『白鳥の湖』に感じられる。
あとは、娘がいつか『バイオリン協奏曲』を弾いてくれるのを楽しみにしている。
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