《 短編 》ふたりのままで抱きしめて

ふたりのままで抱きしめて



 彼女はどちらかといえばスキンシップは少ない方だと、私は思う。そんな彼女、えむにもひとつだけ、いつもすることがあった。手を握るのだ。
 『そろそろ遊ぼう』と時折連絡が来る。えむは大人になっても遊びの誘いをくれる数少ない友人の一人だった。『いつがいい?』私は決まってこう返し、決まって土曜日の11時、駅の改札前が待ち合わせ場所だった。

 「あきちゃん!」
 改札を出ると目の前にえむがいる。応えて嬉しさを余すことなく手で振るのはあき、こと私だ。
 「ごめんおまたせ、電車ちょっと遅れちゃった」
 「いいよう、気にしないで」
 私の数分の遅刻を気に留めるふうもなく、ふふん、と両手を差し出してきた。
 「握手!」
 つられて、ふふ、と笑みが溢れたところで私もえむの両手に両手を重ねる。えむの手はいつも小さくてあたたかい。
 「久しぶりだねえ」
 会うたびえむは「久しぶり」だと言う。本当に久しぶりなこともあれば、つい2週間前のこともある。それでもいつでも同じことを言い、子犬が尻尾を振るように繋いだ両手をゆらゆら振って微笑むのだ。
 「今日はどうしようか」
 大抵は会う日と時間だけ決めて、あとは行き当たりばったりだ。電車に乗ってえむに会いに来たのに、引き返しの電車に乗って植物園や水族館へ行ったこともあった。

 一日のプランを考えるうちにいつの間にか手は離れていて、彼女は自分の肩にかけた鞄のひもを両手で握っているのだった。

 その日は近くのカフェへ行き、ゆっくり話でもしようということになった。話をする、と言っても付き合いが長いので互いに知らないことはあまりない。仕事の愚痴、最近ハマっていること、とりとめのない話をただもたもたと続けるのが習慣になっていた。


 「ああ〜楽しかった!もう時間かあ、さみしいね」
 カフェを梯子し、街中でショッピングを楽しんだところで今日のタイムリミットとなった。えむと過ごす時間はいつもF1レースみたいに目の前を一瞬で過ぎていく。
 「次に会えそうなときまた連絡するね」
 「うん!」
 少しの沈黙の後、電車の時刻が流れる電光掲示板に目を向ける。この瞬間が、好きじゃない。いちばん寂しいなと思う。
 「あきちゃん、」
 「ん?」
 横にいるえむに視線を戻すと、仰向けた両手をこちらへ差し出していた。今日は帰りも"儀式"をやるの、と少し嬉しいような恥ずかしいような含み笑いが口元を緩ませたが、私もえむに倣って両手を重ねた。
 「ふふ、またね!」
 「またね」
 次はいつにしようか、なんて早くも考えながら電車へ乗り込んだ。見えなくなるまで両手をめいっぱい伸ばしてえむは手を振っていた。


 えむの訃報が私の元へ飛び込んだのは、それからひと月足らずのことだった。連絡の取れないことを心配した上司がえむの一人暮らしの部屋へ行くと、すでに眠っていたとのことだった。


 毎月22日になると、えむのことを考える。
 いつも、ひとつだけの後悔がえむの声でこだまする。抱きしめて。と。
あの両手はいつも、本当は体いっぱいに温度を感じたがっていたんじゃないか。何か打ち明けたい悩みがあったんじゃないか。私には話せなくても、抱きしめて、守ってあげられたんじゃないか。
返事のない疑問は天井に吸い込まれて、私の両手は空を切る。
 人は声から忘れていくと聞くので、最早えむの声なのかそう思いたいだけなのかは確かめようもないが。

 一緒にいても、人間はいつだって一人と一人のままだ。私もえむも、何年の付き合いがあろうと、一人と独りだった。

 『えむ、ひさしぶり!遊びにいこうよ』

返信のないメッセージを送っては一粒また一粒と、画面を滲ませてゆく。






『あきちゃんへ

驚かせてしまってごめんね。

こうするのが一番いいと思って、全部のお別れを決めました。

いつも会うたびに、手をにぎってくれてありがとう。

一回ずつ、手をにぎってもらってきたから、こんなに長く生きれたよ。

だいすきなだいすきなあきちゃん。

あきちゃんの人生がたくさんの幸せで溢れますように。

長い間ほんとうにありがとう。

深田えむ』


私は今日も夜を迎える。目をつむって、開けたら、朝になる。
一枚の便箋とよれた文字を抱えて、歩いていくのだ。
たまに忘れて、でも失くさないで、生きてゆくのだ。


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