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エニアグラム:ウィングの新しい解説~5w4・5w6・そして純5~

綾紫は自身をMBTIでいえばITのどれか、エニアグラム(Enneagram)でいえばタイプ5と思っている。所詮、自称レベルだが。これについては既に触れた。

上の文章ではウイングにも言及している。と同時にタイプ5に比べ、タイプ4・6は「人によっていう事が違う」印象がぬぐえない事にも言及している。この理由は、

で一応の解説をしたつもりである。

あぁ、道草をしてしまった。もう昔話になるが、一風変わった5w4と5w6の解説を見つけた。XwYとは主タイプがX、副タイプがYという意味だ。それはともかくタイプ5となるとやっぱり注目してしまう。出典はD.R.RisoとR.Hudsonの"The Wisdom of the Enneagram"[1](WE)の当時、まだ完全には日本語化されていない部分だ。今はどうなのか気になるが、ともかく綾紫の下手な語学力で和訳すると、

◆5w4
通常の段階でタイプ5は超然としていて人との接触を避けたがるが、これはw4の密度の濃い関係への欲求とは対立する。5w4は親しい人と秘密を共有したがる(これは誰にもしゃべっていないんだよ)が、それ故に惹かれる相手と関係を深めたいけど付き合う技能には自信が無い、と言う矛盾に常に苛まれる。かくて5w4は強迫的と言って良い程他人と深く関わりたがる反面、不安を感じたり、少しの間引きこもったりする場合もある。即ち、5w4は他のタイプ5よりも感情を表現し話し好きだが、暫くの間身を引き姿を隠す事もあり、その為他人はびっくりしてしまう。そして5w4は誰かに浪漫的関心を抱いている場合、タイプ9の如く開放的で一体化しているが、逆に誤解された場合には、即刻情緒的に離れて行ってしまう。その結果5w4は他人との激しい関係の時期、そして長い孤独の時期を交互に体験する事になる。知性と結びついたw4の要素は、突出的な想像力をもたらす。そして5w4は仮想現実--いろんな種類があるが、私的な「世界」--を創造し、近づくかもしれない人に開示する。と言うのは、5w4は変人振りに興醒めしない理想的な相手、人生を歩む為のパートナーを探しているからだ(私の態度にびっくりしませんでしたか)。5w4はw4の部分故に感激を伴う接触のリスクを恐れないし、絶え間ない思考に陥る事もない。即ちw4の部分は地に足を着ける1つの道である。しかし健全度が下がると、想像力と親密さへの願望が混じって暗い、物象愛的な傾向を産み、この為5w4はおどろおどろしい夢や空想に耽溺するようになる。不健全な段階では、失った愛への渇望と拒絶を恐れる感情故、5w4は孤立と自己破壊的行動に向かう場合もある。そしてしばしばその覗き趣味的な傾向故に、危険なライフスタイルや社会の裏側に惹かれるようになる。

◆5w6
通常の段階で5w6は、知識や技術を通じて他人と関わり、また社会での居場所を見つける。即ち5w6は自分自身を叡智の体得者と見做したがる。砕いて言うと、5w6は特定の分野で欠くべからざる人物になろうとする(例えば職場でコンピューターの修理が分かる只1人)。タイプ5の中でも最も知的であるから、5w6は専門的な学問や科学、或いはこれと異なるが何らかの教義体系にしばしば惹かれる。かくて5w6は預言者、つまり潮流の最先端にあって秘された知識をもたらす賢者の役割を演ずる事になる。5w6は重々しい話題や複雑な理論については話したがるが、社交の雑事には無関心である。よって5w6が他人と接するのは、観念に関する議論を戦わせたり、社会を批判したり、傾向を分析したりする場合だけである。健全度が下がった場合、5w6は専門領域を離れると、他人と交われなくなる。そして5w6は集めた情報を交換条件、言い換えると力を生む手段として使う。このような5w6は知的・芸術的なエリート集団の一部でありたいと願う面で、社会的な野心家になるかも知れない。ここまで来ると、5w6は時間を無駄にしたくない、要するに成果や作品を理解できない者とは付き合いたくないと思うようになる。不健全な段階で5w6は、極端で熱のこもった見方考え方を表出しがちである。かかる5w6は無政府主義的・反社会的になり、人類全体を烏合の衆と見做しつつ冷たい敵意を示す。そして社会や現実に関しひっくり返るような理論を作る場合もあるが、5w6は純粋な5と異なり、更にそれを他人に押し付けようと決め込んでいる。

となる。上記の5w4をRisoとHudsonの手による他の箇所の5w4と比べてみよう。タイプ5の傾向へw4が与えた影響として強調されているのは2点、想像力と対人的な関心であるが、"性格のタイプ"[2](PT)での描写に於いてもこの2つは強調されている。PTの想像力に関する

◆想像という内面の世界に頼って自我を防衛し、自己感覚を補強する。
◆分析的で体系的な頭の働きよりも、想像力を生かす傾向がある。
◆極めて創造的で想像力豊かであり、微に入り細に亘って仮想現実に思いを巡らすが、自分自身の知的景観に飲み込まれてしまう事もある。

等の記述は丁度WEの"仮想現実"に符合する。対人的関心についても

◆情緒的で内向的であるが、矛盾した事に、より社交的でもある。

となっていて、「矛盾」と言う言葉があるが、WEの5w4もまさに孤独志向と対人志向に挟まれている。そして

◆・・・個人的な事、精神内部の事により関心を抱く。

とあるがこれは想像力と対人的関心が同時に存在する場合の傾向だ。健全度が下がると、

◆邪悪や禁断の題材や、他者を混乱させたり悩ませたりする様な自己表現の仕方に惹かれる。不気味な物やぞっとするものに引き込まれる人もいる。

となる。これもWEの"危険なライフスタイルや社会の裏側"に相当する。このように当然乍らWEとPTの描写には共通点する面が多い。但し前者では対人的関心、後者では想像力が強調されている。即ちWEの5w4は理想のパートナーを常に求めており、もし見つかったら何らかの秘密を共有したがるが、PTの5w4はこれ程の対人性を呈する事は殆どなく、僅かに「より社交的」と言う取って付けた様な言葉が与えられているのみである。一方、PTの5w4は健全であれば

◆直観と知識、感受性と洞察力、美への理解と知的な素質が統合した姿である。

という具合に想像力を巧くそれとは逆の知的資質と結び付ける事も出来るが、そうした側面はWEに於ける描写では強調されていない。それから余談だが、WEにのみ5w4とタイプ9との類似性を示唆する記述がある。エニアグラムでのウィングを考慮したタイプは、丁度向かい側にあるウィングのない純粋タイプに似ている場合がある。PTでも不健全な8w9は不健全なタイプ4に見える場合がある、等の指摘がある。だから5w4はタイプ9と似ていてもおかしくはない。

次は上記の5w6の描写をPTのそれとと対比してみよう。PTの5w6は以下のような知的な人物像になっている。

◆・・・科学、科学技術、事実と詳細の獲得に関心を抱く知性の人・・・。
◆・・・全ての副次タイプの中で最も知性に溢れる人である。

タイプ5が知的になる為にはw6の混入が必須だ、とするRisoとHudosnの考え方に綾紫は賛成しないが、とにかく素直に受け取るならば、PTでもWEでも5w6では知性が強調されている。またPTからの引用を続ける。

◆・・・人間関係は風変わりであり、一般的に見て、人生の重要な部分ではない。
◆彼らの注意は人よりも事物に向いている事が多いが、・・・
◆典型的な知的馬鹿であって、社会的適性の無い偏屈者である。

PTに於ける5w6は人間関係を重視しないようだが、WEの5w6も専門を離れて交わる事が出来ない点でそっくりである。そして健全度が下がった5w6に関しては

◆自分の視点や理論(還元主義)に頑固に固執して、自分が賛成しない人を敵に回す傾向がある・・・。

と言う指摘がPTにあるが、これもWEの5w6の極端で反社会的な考え方に符合する。"自分が賛成しない人を敵に回す"という表現もWEの5w6の意見を押し付ける側面を示唆するに足る物だ。以上は類似点。だがWEとPTには相違点もある。先ずPTの5w6はやはりw6の影響を受けている分だけ、社会的適性の無い偏屈者とは言いながらもまだ救いがあるようだ。即ち

◆知的な遊び心や優れたユーモアの感覚だけでなく、魅力的で人に好かれる・・・。
◆友情と約束について深い包容力を持つ。

となている。WEでは5w6のこの面は触れられていない。また社会参加の面ではPTの5w6は

◆生活では実際的な事を好み、興味を持つが、その為の才能も十分に持っていて、自分の新考案と事業の手腕を結びつけて大儲けをする事もある。

という具合にビジネスの才能にも運にも恵まれている場合がある。これに対しWEの5w6は野心的で"エリート主義"をプンプンとさせており、その傾向は"理解できない者とは付き合いたくないと"と言う思いに至っている。このような傾向はPTのタイプ5の何処を探しても見当たらぬし、タイプ6が集団と同一化して自我を保ちたがる傾向ともちょっと違う気がするが、敢て挙げればPTが描くタイプ4の"過補償の段階"、即ち

◆「烏合の衆」に対して軽蔑を感じる事で、自分の主体意識に確信のない事への防衛にする。

と言う記述に近い。

これまでWEとPTに現れた5w4と5w6を比較して来たが、そもそもこの両者は同じ著者による記述であるから互いに似ていて当然だ。しかしWEにはもう1箇所、5w4や5w6と同程度の詳しさで、5w5とも称すべき純粋なタイプ5に触れている部分がある。以下、綾紫の下手糞な訳。

◆純粋なタイプ5
通常の段階での純粋なタイプ5は環境からの分離独立を勝ち得ようとするが、その手段はニーズを減らす事である。かかるタイプ5はエネルギーの使い過ぎを強く意識している為、いつもこれから何かしようと思っている場合には、それに十分な内的余力があるか否か疑って掛かる。ないと思えば行動しない。だから純粋なタイプ5は環境から受け取る物を最小限に留めんとしつつ、また、エネルギーや持てる物も維持しようとする。それは他人を必要としなくて済む為だ。かくて純粋なタイプ5は人生の私の部分を非常に重視しつつ、家庭や職場を守ろうとするかも知れない。それから純粋なタイプ5は1人でいる事を愛し、社会的接触を避けるから、エニアグラムに於ける真の孤独人だ。純粋なタイプ5は特に集団の中では、他人がいるだけですぐ圧倒されると感ずる。親しみ易く話し好きな場合も皆無ではないが、それでもやはり他人との交わり方は遅々としているし、社会的な相互のやり取りではがっくり力が抜けてしまう。そんな場合、純粋なタイプ5にとって、活力の回復の為にどうしても家で1人になる時間が必要になる。他人が何か期待感を持てば、純粋なタイプ5はこれに対し怨念のような怒りを抱く事もある。そして純粋なタイプ5は金の節約の為欲求を切り詰めようとする事もしばしばだが、それ故益々独立やプライバシーへの干渉を避ける。また純粋なタイプ5はウィングの影響下にあるタイプ5に比べてもずっと、感情面で超然としたタイプだ。勿論友人や特に親しい人に暖かい側面を示す事もあるが、それでもやはり平均すれば情緒面で乾き切っていて、他人に対する感情表現にもの凄い困難を感ずる事に変わりはない。不健全になると、社会的接触を只管何処までも避けると言う点で、純粋なタイプ5は窓を閉ざした変人になるかも知れない。孤立が原因となって歪んだ思考や観念が生まれる。そして純粋とは言いながらも特にややw6に近い場合、妄想型人格障害のような傾向を呈する場合もある。

上記のタイプ5は、上述の5w4・5w6と比べ、笑える程タイプ5らしいタイプ5だ。そしてこのようなタイプ5を出発点として、w4の要素が他人の眼を通じた「特別な自分」への関心を高めるならば、想像力と狭いが深い人間関係--何れも個人固有の世界の問題であるから「特別」である--がその特徴となる事は実に自然である。またタイプ5に於いてw6の要素が不安への感度を高め、その代償として社会的な落ち着く場所への願望をもたらすとすれば、そうした場所は指導的地位とも縁の下の力持ちとも異なる知的な役割に限られる事もたやすく想像出来る。しかし、これまでのRisoとHudsonのタイプの説明には、「純粋タイプ・一方のウィングを有するタイプ・もう一方のウィングを有するタイプ」と言う3ツ組的な発想はなかった筈である。

PTまでのRisoとHudson
   +-5w4
   |
純5-+
   |
   +-5w6

WEでのRisoとHudson
   +-5w4
   |
純5-+-純5(5w5)
   |
   +-5w6

純粋タイプを残すのは竜頭万里子の流儀だったのだが、それはともかく、実際、WEの日本語訳[3]でも「AでなければB」式のウィングの説明が出ている箇所がある。勿論綾紫はウィングの描写に於ける「AでなければB」式の発想法には不満を抱いており、もっと「AでもBでも主タイプになかった何かをもたらす」と言う側面を強調すべきだと思っている。だから5w4や5w6と同程度の精細度で純粋なタイプ5が描かれているのは歓迎すべき事だ。しかし一冊の本の中で2分法か3分法か、方針を変えたように見えるが、何か理由でもあるのだろうか。

ここでちょっと足踏みだが、WEとPTの相違点をまとめてみよう。そうすると5w4に関しては

◆5w4には対人志向があるが、それはWEで顕著。WEでは、5w4が深く関わる時期と引っ込む時期の指摘がある。
◆5w4は活発な想像力を有するが、これを実際の成果に結びつけられる力はPTで顕著。

という若干の相違がある。5w6に関しても

◆どちらも知的だが、w6が元々弱いタイプ5の対人面を改善する作用はPTで顕著。
◆どちらも社会参加が出来るが、その結果大儲けし得るのはPTの5w6。WEの5w6では主にプライドの高さが強調されている。

という若干の相違がある。この違い、実に微妙であるから、WEの記述を訳した綾紫の力不足が産んだアーティファクトでない事をただただ願うのみである。そこで念のためもう一度、WEを見よう。・・・あれ!・・・あれ!

が~~ん!

綾紫とした事が、重大な間違いを犯していた。WEの5w4・5w6はそうではなく、所謂"本能のサブタイプ"に関してそれぞれ性的・社会的な5だった。それから綾紫が純粋な5としたタイプ5は自己保存的な5だ。従ってその描写にウィングとは直接の関係はない。しかしながらその中身は、多少の違いを度外視すれば、何と

自己保存的5=純粋な5
性的5=5w4
社会的5=5w6

にそっくりな事か。そもそもエニアグラムの伝統では"本能のサブタイプ"と称される別の分類の方法も伝わっており、これをPalmerは以前から、RisoとHudsonは最近になって紹介している。その内訳はもう明らかにしてしまったが、

自己保存型
性型
社会型

である。PTの受け売りだが、自己保存型の人は金や体の快適さ等に関心を抱きやすく、しかも最も実際的である。性型の人は接触の強烈さ・親密さを渇望していて、しかも人生の多方面に亘り探検的である。社会型の人は集団の価値観に関心を有し、階層の中での位置付けに敏感であるが必ずしも他人との親密は求めない。こうした要素から、タイプ5の各傾向を導出出来るだろうか。

そもそもエニアグラムのタイプ5は有能さへの憧れ故にやはり引きこもって思索するタイプであるから、性型/社会型の本能とは対立している。性型本能はPTによると

◆接触の強烈さと親密さへの欲求
◆多方面に亘る探検のような接し方
◆差し迫った義務や基本的な生計維持を省みない場合も

という傾向を有する。しかしタイプ5は"思考センター"がそのまま生の形で力を握っているタイプであるから、特に理由が無い限り、外界に対する怖れ故に思弁の世界に閉じこもる。従って、性型本能の現れたタイプ5(綾紫が5w4として紹介した)は上のような親しさへの欲求に矛盾を感ずるからこれを常時、ではなく期間を限って表現する。但しこの欲求は、人的対象に限定する必然性がないならば、自分自身の思弁に対する激しい一体化への願望にも転化するのではあるまいか。即ちRisoとHudsonが描写する様な対人的な面に限らず、タイプ5の性型本能の現れ方は、空想一般への耽溺や天才肌の思考エネルギーの噴出、とは解釈できないだろうか。それから社会型本能は

◆集団的な価値観への関心
◆階層に於ける位置付けへの敏感さ
◆注目・承認・名声・所属による安全等への欲求

等で形容されるが、性型本能に於ける親密さへの欲求とは区別されている。而るに社会型本能の現れたタイプ5(綾紫が5w6として紹介した)で強調されているのは知性であり、帰属意識ではない。元々帰属意識のないタイプ5に於いて社会型本能が自己主張しようとした場合、何とか折り合いの可能な社会参加の形態として唯一、知的能力を発揮する場面だけが残ったのであろうか。とすれば社会型本能の現れたタイプ5が専門外では他人と交わりたがらない、それから無理解な者とは付き合いたくない、と記述されている理由も理解できる。しかしどうだろう、性型に於いてその欲求の対象を人的対象に限定されぬ、と見做したように、社会型に於ける帰属意識の対象も社会性を帯びていないへと拡大可能ならば、例えば思考体系をこれに加えられないだろうか。即ち、タイプ5が何らかの学者ならば、社会型本能を使って既存の思考の遺産を渉猟精査し、性型本能でそこから新しい着想を得ると。以上、性型/社会型本能とタイプ5の関係に対し、綾紫流の解釈を示した。

ところで自己保存型本能の現れたタイプ5(綾紫が純粋な5として紹介した)は、今読み返しても笑える程5らしいタイプ5だ。何故そうなのか。従来のタイプ5の描写がタイプ5、と言うより自己保存型本能の描写に偏していたとも考えられるが、それは単なる偶然か、或いは自己保存型本能とタイプ5の傾向との間に、特別な関係があるのか。WEを見ると"The self-preservation instinct in the five"とあり、決して自己保存型のタイプ5ではない。だから本能のサブタイプの描写はタイプの更に細かい分類ではなく、タイプが状況に応じて表現する異なる側面、とでも解釈すべきだろうか。それは措くとして、実に自己保存本能の現れたタイプ5は5そのものである。PTに於けるタイプ5の一般的説明から抜き出すと

◆・・・潜在的に自分を脅かし圧倒する物として世界を体験し、人生の多くの要求に応える事が出来ないと自分自身を見ている。
◆・・・問題は、行動よりも考える事を重要視し、自分の思考に深く没頭する事から生じる。
◆自分個人の資質や能力は限られていると信じているので、行動や必要を切り詰める事で不安に対応する。
◆健全なタイプ5ですらも、腹の底からの経験と言う意味では、余り深く根差していない。

等の記述が見つかるが、何れに於いても外界に対する怖れや反感故に距離を保とうとする傾向が現れているが、これは自己保存型本能の現れたタイプ5の様子そのものである。タイプ5は思考センターのタイプの中でも最もそれらしいタイプであるから、思考センター特有の自身のなさと不安を引きこもると言う行動で最も端的に表現している。而るにPTは、自己保存本能の説明を

◆現代社会で解釈される意味での基本的な生存欲求で頭が一杯である

と言う記述で始めている。これは他に比べ、凡そ生物として生きる際の最も切実な欲求であるから、自身のなさや不安があれば特に顕在化し易い。これに対し社会型の

◆集団的な活動に自分が加わる事で得られる価値観や尊敬の影響に関心を集中させる

と言う傾向(尊敬の影響とは変な日本語だ)や、性型の

◆体験の強烈さ

を求める気持ちは、RisoとHudsonの考えでは自己保存型本能と対等であるが、現実にはやはり不安が払拭され余裕が出来た時に始まる意識と解釈するのが自然ではあるまいか。よってタイプ5では思考センターが比較的生の形で発達している為、怖れが思弁へ引きこもる傾向を加速すると共に、自己保存型・社会型・性型の内最も深刻な自己保存型の本能を顕在化せしめる。この意味で思考センターを顕著に表現するタイプ5は、自己保存型本能が優位に立つ事でよりタイプ5らしくなる。

以上、前半に於いてタイプ5に限った話だが、ウィングと本能のサブタイプの類似性を指摘した。後半では本能のサブタイプの解釈を少し広げる事を提案した。また最後に、タイプ5が自己保存本能を伴う事でよりタイプ5らしくなる理由を示した。

今日はここまで。

[1]D.R.Riso・R.Hudson著、Wisdom of Enneagram。邦訳はあるが、まだ一部が「基礎編」として出ているのみ。
[2]D.R.Riso・R.Hudson著、橋村令助訳、性格のタイプ 増補改訂版、春秋社、2000。完全に訳しただけでも大変な労作。
[3]D.R.Riso・R.Hudson著、高岡よし子・ティム マクリーン訳、エニアグラム あなたを知る9つのタイプ 基礎編、講談社、2001。上述のWisdom of Enneagramの抄訳。

追伸:タイプ3にも

自己保存的3=3w4
性的3=3w2
社会的3=純粋な3

のような類似性を感じて已まない。他のタイプはそこまではっきりしないが、エニアグラムに於いては物証から演繹するような方法論がない以上、ウイングがどうの、本能のサブタイプがどうの、と議論しても言葉遊びからの脱却はできず、だったら一本化すれば簡単だ、と思ってしまう此頃である。実際、両者の相関を指摘するこんなページも見つけた。

勿論

なぜウィングはサブタイプではないのですか?
以前はウィングがサブタイプを生み出すと考えられていましたが、最新の研究と数多くの人々へのインタビューから、同じタイプの人々の違いを理解する真の鍵は27のサブタイプにあることが明らかになりました。

という見解もあるのだが。


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