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エニアグラム:タイプ何番?

【問題提起】

突然だが、エニアグラムに於いて以下のような記述にはどのタイプが該当するだろうか。

(00)・・・合理的で実際的な人生の方向付けがあり、これは職業としてエンジニアを選ぶ人の人格に多く見られるものである。
(01)科学への興味を持つが、この性格には科学主義と呼んで良い独特の偏り、換言すれば演繹的でなく科学的でない思考法を軽視する傾向がある。
(02)・・・極めて特徴的なテクノロジーへの志向性の根が見られるのである。
(03)・・・理知的な技能が効率性に役立っていると考えられるが・・・また技術と技術主義への志向性として現れるのである。
(04)・・・通常この葛藤を論理的な体系、又は論理そのものに訴える事によって解決しようとする。
(05)・・・知的なタイプであるのみならず、最も論理的なタイプ、論理に貢献している人である。
(06)・・・潜在的哲学者である。
(07)・・・効率の悪さや行動上の問題は、抽象的、理論的な事への行き過ぎた志向性の結果であるが、・・・

どうやら知的傾向は効率を上げる場合も下げる場合もあるようだ。それはともかく、わざわざクイズとして出したのだから、「合理的」「(理)知的」「抽象的」「論理的」「科学」「技術」「テクノロジー」「哲学者」「エンジニア」からすぐ思いつくあのタイプでない事は確かだ。となると次点で斯様な言葉に当てはまりそうな特徴を帯びるタイプ1w9だろうか。

それから以下のような人物像はどうか。

(08)・・・習慣と規則に縛られている。彼等は自己の均衡を維持する事に極めて高い関心を持っており、その結果、杓子定規とも言える程保守的で伝統に支配されている。慣れ親しんだ事、グループの規則、もしくは「物事がどのようになされているか」に対する過度のこだわりには・・・
(09)際立って能動的な気質の中でこうした認知の欠如に相応する特性は、「具象主義」と呼ぶことが出来、その表出形態は融通のなさから過度に現世的な態度に至るまで幅広い。それは繊細さや神秘性を犠牲にした生存と実用性に対するSancho Panza的関心であり、意外性と霊的なものに対して心を閉じる事である。
(10)内面性の喪失とそれに伴う諦観的な性格の組み合わせの結果は、親切で気楽な「俗世間」症候群となるが、これが極端になると融通の無さと偏狭になる事もある。
(11)・・・極端な外向性は体質に根差しているばかりでなく、その体質が内面的なものからの防衛的逃避のための支柱の役を果たしていると言うことが出来る。
(12)・・・つまり、強い愛国心や所属への強い欲求への順応と保守的な思想を持った、義務感の強い勤勉型である。

こちらは前者のタイプより難しい。というより描写に一貫性が欠けている。(08)の保守性からタイプ6か、でなければタイプ1が連想される。タイプ1はしばしば改革者と称されるが、保守的な態度も変化する世の中の現状を憂う、という意味では改革者と解釈できなくもない。(12)の勤勉な義務感もこれを補強している。だが(11)の外向性はタイプ6・1には当てはまらない。 R.  Rohr[2]のようなタイプ8と見紛うタイプ6もないではないが、タイプ6が外向的とされるシーンは殆ど、5w6が5w4より"まだしも"社交的とされる解説の中、即ちウィングとしての影響力だけであって極めて限定的であるし、タイプ1もRiso[3]ではJungの外向思考型とされながらも、トライタイプ145の解説

ではタイプ4・5と同様「自我を内面に抑え込む」成分として解釈されている。(09)の繊細さや神秘性の欠如も、タイプ6・1はタイプ4に比べればそう見えるかもしれない、といった程度で、必ずしも典型的な特徴ではない。(10)に至っては書いてある事に矛盾が含まれている。融通の利かない偏狭さは現状で既得権を得ている上級国民にありがちな傾向であり、そのような人々は「俗世間」から隔絶された世界の住人だからである。敢えていえば(09)・(10)・(11)は極端なタイプ7w8・8w7かもしれない。

という事で本当にタイプ何番なのだろうか。

【種明かし】

以上「かもしれない」止まりだった。答えだが、前半の説明の中で(00)~(03)はタイプ3、(04)~(07)はタイプ6に関するもので、出典はNaranjo[1]である。「論理」等の言葉からすぐ連想出来るタイプ以外を形容せしめている点に、Naranjoならではの特徴がある。勿論、エニアグラムのタイプは決して能力や、少数の気質傾向のみからは決まらない。エニアグラムに於ける唯一の定義らしい部分は根源的欲求と怖れであり、後者に関しタイプ3・5・6に於いては順に

◆値打ちが無い
◆無力で役に立たず無能なのではないか
◆誰からも何の助けも借りずに自力で生き残る事は出来ないのではないか

となっている[3]。だから、「合理的」等の概念とタイプ3・5は符合する。タイプ6の根源的怖れは余り理性を強化する働きには思えぬが、ある面合理主義的な現代社会にあっては他のタイプ以上に合理主義にこだわる傾向を産むかもしれない。なにしろ、「OO主義」とは、OO本来の適用範囲を敢て超え、OOへの信仰を抱く態度であり、これは何かに助けを求めるタイプ6的な態度と符合するのだから。但しこれはNaranjoの記述を後知恵的に正当化しようとすれば不可能ではない、と言った程度であり、Naranjoの記述が正しい事の証明にはならない。そもそも、根源的な要素のみを信ずるならば、1つのタイプに限った中でも多様な、即ち表面的には相反するような人物像を描く事が出来る。そうした状況で「合理的」等の特徴を何処かのタイプに当て嵌めるならば、「合理的」以外の可能性を消去出来るだけの強い論理の展開が必須である。しかしエニアグラムのタイプの解説は殆ど記述的な解説、即ち特徴の列挙であるケースが殆どであり、根源的な要素から順序立てて特徴を数学の定理の証明の如く導出した例はない。エニアグラムには限らぬ心理学全般の困った傾向だ。

後半の問題の答えはタイプ9。タイプ9は通常、出しゃばらず、急がない平和主義者のように見られているが、そのような傾向は昨日挙げたNaranjoのタイプ9の特徴はとは必ずしも符合しない。それに一部繰り返しになるが、Naranjoの特徴同士に矛盾が感じられる。先ず「繊細さや神秘性を犠牲にした生存と実用性に対するSancho Panza的関心」だが、実用志向の人間は非常に柔軟で活動的で、しかも凡そ主義であるとか主張であるとか言った世界とは無縁である筈だ。だから「融通の無さと偏狭」という表現は極端で非世俗的な理想主義のようで、実際的人間が陥りがちな弱味ではない。まして「強い愛国心や所属への強い欲求への順応と保守的な思想」はどうだろうか。そうした世界に耽溺するるのは、現状と違った状況に憧憬を感じると言う意味でやはり実用性とは無縁な理想主義者である。これに対し実際的な人間は確かに反戦、平和、人権等の左寄りの主張には与しないが、それは右寄り思想への賛同を意味しない。徹底したノンポリ、機を見るに敏な武器商人である。そしてNaranjoはタイプ9を外向型と解釈している。だがタイプ9はRisoとHudson[2]によると内向感覚型に近いし、またMBTIとの比較では内向性と知覚的態度を呈するとされている事例もある。Naranjoも実はISTJとの類似性は認めている。

このような大きな違いに対し、誰もまともに取り組もうとはしていない。何処か、JungとMBTIには大きな隔たりがあるのに、同じと信じ込まれている現状

と似ている。

以上、Naranjoの癖の強さに触れながら、つい不満を述べてしまった。今日はここまで。

[1]C.Naranjo著・柳朋子訳、性格と神経症、春秋社、1997年。

[2]R. Rohr and A. Ebert, The Enneagram: A Christian Perspective (English Edition) Kindle版


[3]D.R.Riso・R.Hudson著、橋村令助訳、性格のタイプ 増補改訂版、春秋社、2000。完全に訳しただけでも大変な労作。

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