自分で作る理由
むらさきです。この前靴を作ってから「なぜ売っているものをわざわざ作るの?」と何人かに聞かれました。これだけものがある社会で、当然の疑問です。特に生活に密着した、日常的に使うものほど、多くの製品があり選択肢があります。自分で作らなくても十分生きていけるし、作ったほうが高くつくことの方が多いくらいです。それでも「自分で使うものを自分で作りたい」その理由は何なのか、整理してみました。
1つは、自分で作ったもののことは隅々まで知れるし持つ理由が明確だから。次に、自分にぴったりあうように進化させていけるから。そして、良いものの凄さをわかるようでありたいからです。
私は買い物に行くとよく圧倒されてしまいます。一つのお店だけで試しばきしきれないほどの靴が並び、そしてまたお店も何軒もあり、インターネットを除けばさらに沢山の靴が「買ってくれ!」とこちらを見ています。サイズやデザインはもちろん、作りはどうなのか、何から作られているのか、どのように作られているのか、などなど、「本当にこれでいいのか?」と考えだすと決められなくなり、何も買わずに踵を返す時もあります。それに対して、自分が作るものは選ぶ必要がありません(少なくとも、選ぶべきこと(素材や作り方など)は自分が理解している範囲にあります)。そして使うことにも、私が作り上げ愛着のあるものを使っている、という明確な理由があります。私は私が使うものを理解し責任を持ちたい(できているかはともかくとして気持ちは)。それには、自分で作るのが簡単で、疲れない手段でした。これが、自分で作るひとつめの理由です。
そして、自分にぴったりあうように進化させていけるから。一般に販売されているものは、大抵使えなくなったら、もしくは気に入らなくなったら捨てて、そしてまた新しいものを買います。違うものを買えば、これまでの使い心地や経験や愛着はその時点で0リセットされます。同じものを買えば前と同じ使い心地が手に入ります。ですが、前使って気づいたちょっと気に入らない点が改善されることは(ほぼ)ありません。100は100のまま、それ以上になることはありません。また、商品サイクルの早い昨今、そもそも前使っていたものが手に入らなくなることも多いです。※1
その点、自分で作ったものは、使い続ける中で気が付いた使いにくさを次に作る時には反映させることが可能ですし、仕事が変わったなどデザインや使い方の優先度が変わったときにも、前のいい部分を引き継いだまま現在の自分に合うように変更することもできます。もちろん製品に比べれば初めの完成度は低いかもしれません。はじめは70かもしれません。でも、アップデートを重ねていくことで、80、90、そして100を超えて110にも200にもなる可能性があります。自分のためのオーダーメイドを、さらに育てて、より自分にとって最高のものにしていく。それは実用的にも感情的にも素敵だと私は思うのです。※2
そして3つ目の理由は、「良いものの凄さをわかるようでありたいから」です。自分で作ることは素敵ですし、一方で当たり前ですがプロが作ったもの(自分が作っていないもの)も大変素敵です。経験と技が詰まった職人の手作りのものでも、多くの技術の積み重ねの上に出来上がっている工業製品でも、素晴らしい製品に対してお金を支払って手に入れるのは良いことです。ただ、それらの製品ができるための技術、知識、工夫等、積み重ねられたものは、隠れていて、なかなか実感しにくいと感じています。だから、並べられた商品を見た時にもどれがより良い製品かもわからないし、使う時にもそんなにありがたがれないのかもしれません。
ものを作るというのは、思ったより大変です。そして、様々な工夫と技術によってできています。実際に自分が作ると、世に売られている製品がどれほど工夫され、どれほど考えられてできているのか、それを現実とする技術や社会がどれだけすごいのか、その一端を感じることができます。ものに対しての解像度が上がり、良いものの凄さを実感できるようになります。
他にもいくつかある気はしますが※3、私が作らないでも売っているものを作り、自分のものを自分で作る、をやろうとしている理由は主にこの3つです。「自分のためのもの」ではなく「誰かのためのもの」に囲まれている生活を、「私のためのもの」を使う生活に寄せていけると、毎日がより気持ちよくなりそうだと思っているのです。
※1 同じものを修理しながら使い続けるという手段もありますね
※2 オーダーメイドの専門店と長く付き合っていくとこういうことができるのかもしれませんね。それも素敵です。