〜セツナチャンのブログ〜『桃色のナイフ』
1.
盗みは、挨拶みたいなものだった。
「さすがセツナだね、たんまりじゃん」
"金さえあれば、何でも手に入る"。
傲慢な大人たちは、子供たちに吐き付ける。持つものも持たざるものも、そんな溜め息の毒に侵されていく。
愛のないこの世界は、毒だらけ。
「……べつに。やり方を教えてくれたのは、あんただし」
「それでも、実行したのはセツナだ。すごいじゃん。このテク、そんな早く使いこなせるなんて」
そんな世界を生きるあたしに、愛を教えてくれたのは。
血も凍って、紫に濁ったあたしの青春に、桃色の光を与えてくれたのは。
あたしの、名前を呼んでくれたのは。
「じゃあ、改めて。ウチはモモ。気軽に、モモちゃんって呼んでよ。セツナ」
もしかしたら。
「これであんたも、ウチらの立派な仲間だ。──ようこそ、桃色の楽園『ピンキースカイ』へ。歓迎するよ」
金なんてなくても。地位なんてなくても。頭なんてよくなくても。
一緒にバカなことやれたなら、それが仲間だ。
もしかしたら、あたしがずっと求めていたものなん
て。
「……ごめんな、あんたなんて呼んで。よろしく。モモ」
ずっと、それだけだったのかもしれない。
2.
「規則を破れば罰される。当たり前のことだよな」
当たり前って言葉が、あたしはそんなに好きじゃなかった。
嫌いというほどではないけれど。
相容れない言葉だとは思うから。
「そんなことわかってるってば。で、具体的にその"罰"って、なんなのよ」
──まだ、大丈夫だよね?
胸の中で何度も何度も、『ピンキースカイ』に入ってから今日までの行動を反芻し、心を落ち着かせながら、確認する。
「かかかっ! なんだ、なにびびってんだよ」
そんなあたしの態度を、目の前の男──構成員の一人、灯器荒也(とうきこうや)は笑い飛ばす。
「いいから。さっさと答えろよ」
「だからそう慌てんなって──ん?」
荒也の眼が、鋭く光る。訝しむような視線。
「……てかよ、刹那。そんなに必死になるってことは、もしかして」
これまでに何度も浴びせられた言葉。
「お前、すでになんか違反を……?」
震える身体を抱き締めながら。
わたしは、逃げた。
3.
春の日差しが心地良い。
出会いと別れの季節には、初めてを祝う音が鳴る。
「恋心はね、人を邪悪にするもんだよ。本や映画で語られるほど、良いもんじゃあない」
ピンクのドレスに全身を染めた恰幅の良いおばさん──宿玲清(やどれきよ)とお話をするのは、楽しい。自分と遠いところにいる人種だからか、気兼ねなく話すことができる。
「セツナも、騙されちゃいけないよ。男なんてみんな、嘘つきなんだから」
そう吐いて遠い目をする、彼女の過去を推察する見識眼など持ち合わせてはいないあたしだが、きっと嫌な男に酷い目に遭わされた過去でもあるのだろうことは、なんとなくわかった。
「清さん。大丈夫だよ、あたしは男好きじゃないから」
「あら? 刹那は女でないとイケナイクチかい?」
「ちがうよ。そうじゃなくて、男とか女とかは、あたしとしてはどっちでもいいの」
恋愛。あたしには、よくわからない感情だ。くだらなくて、どうでもよくて、かんけーない。
「ふーん……変わった子だねえ」
……なんていうか、やっぱり。
辛い記憶も、嫌な思い出も散々体験したはずの大人ですら、恋はしていて当たり前のものと捉えてる。
やっぱり、よくわからない。
「ま、なんにせよ。だったらセツナは安心さね」
「安心? なんでよ」
母親のような、先生のような、近所のおばちゃんのようなこの人はしかし、あたしにとって、そのどれでもなくて。
「だって──人が大事なものを捨てるとき、その理由は、決まって恋か愛だから」
わたしたちは、"仲間"だ。
4.
「なんでだよ!」
あたしは叫んでいた。たしかこの日は、雨が降っていたと思う。
「……かかっ! どうしたセツナ、そんなに慌てて」
わからなかった。どうしたもこうしたも。なにもかも。
「なんで──なんで、お前がそんなことになってるんだよ!」
「言ったろ? 当たり前だって」
『規則を破れば即破門』。
それこそが、自由がウリの桃色の楽園『ピンキースカイ』唯一にして、絶対の掟。
「なんでだよ……お前、あんなにピンキースカイの……モモこと……!」
「人の気持ちってもんは、移ろいやすいもんさ。その一刻しかそこに存在できねえ、季節みてえにな」
なんで、どうして。
わかんない。わかんないわかんないわかんない。
でも、たぶん、きっと。
「俺にはどうやらこっちの桃の方が、綺麗に思えちまったらしい」
清さんが哀しそうな顔をするのも、モモが仲間を切り捨てることになったのも、荒也が規則を破ってチームを抜けるのも。
全部、ぜんぶ。
わたしのせい、だ。