後悔で溢れる世界〈a:後回し編〉ep科学者1 「朽ちない罪、果てない罰」③
3.
例えば、二つに分かれた道があったとする。
二つの道を前にした人間がまず初めにすることは、「悩む」ことだ。そしていずれ、自分の意思でいずれかの道を「選択」することになる。答えに到達するまでの時間に幾分かの差異はあろうと、どんな勇敢な賢者でも、この工程を踏まずして成立する判断はありえない。そしてこのときその者の頭には、左右どちらかに進んだ場合の「最善」がイメージされているはずだ。右に行った方が近いか、左に行った方が近いか……妄想し、理想を創り上げる。そしていざ進み出した道が険しく遠い道程であったとき、選択の段階で捨てたもう片方──右に進んだのなら進まなかった左、左に進んだのなら進まなかった右の道──に構築した理想に縋る。そして呟く。「あのとき、あちらの道を通っていれば……」と。
それが『後悔』の正体だ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花──何のことはない、都市伝説扱いされるずっと以前から、後悔とはそもそも自分自身の心が生み出す虚構に過ぎなかったのである。
しかし、では『絶対に正しい判断をしてくれるだれか』が居たとして、それが『右に行け』と言ったとしたらどうだろう?
そうすれば「選択」は生まれず──「後悔」も生まれない。
仮に右の道に行って散々な目に遭ったとしても、それが最善なのだとしたら、左に行けばもっと酷い目に遭ったはずである──そうやって、容易に『納得』してしまえる。結論に、結末に、未来に、不満は感じなくなる。自分の責任が伴わない、他者が下した判断であるからこそ、逡巡もせずに易々と受け入れられる。その方が楽なのだ、人間にとって。
これまでは親だったり先生だったり、先輩だったり上司だったり、友達だったり同僚だったり、世間だったり社会だったりがその役目を担ってきた。ただ、人が敷いたレールはひどく不安定で、不格好だ──嫌疑と反発は避けられない。
だから人類は、機械に依存する。
ビッグデータでの統計とAIの概算能力を駆使して、着用者にとって最善で最適の未来を選択してくれる『ハピネスウォッチ』の登場と、その時計の着用義務化は、世界の在り方を大きく変えた。時計に依存し、選択を放棄した人間の心からは『後悔』が消え、人類は一見、不安も不満もない幸福な人生を送れるようになったのである。
だがそれは嘘とまではいかなくとも、まやかしではある。
その時計はたしかに、基本的には着用者が「幸せになりやすい」未来の選択を示しはする──統計的に。だが、完全や完璧なんてものは存在するはずがないのだ。どんな物にも不備は生じるし、どんな計算にだって誤差は生まれる。
ハピネスウォッチは必ずしも最善の未来ばかりを選択しているわけではないし、厳密には着用者がその時計の選択のみに従って生きているわけではない──現に客観的に見ればとても満たされてはいるとは言い難い人間はそこかしこに存在するし、時計を見ずに発する言葉もあれば、瞬きもするし、息も吸う──ただ意識的に『自分はすべての行動を時計の示す通りに行っている』と、感じさせているだけなのである。そして『時計の示す未来こそが最善なのだ』と、着用者自身が信じて疑わないだけなのである。
魔法が奇跡なのだとしたら、科学は詐欺だ。
そこにはたしかに、種も仕掛けも存在する。
世界のルールを作り変えた科学者は、人類を騙し続ける。永劫朽ちぬ身体を引き摺って。