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犬神先生の生徒名簿『ネコに子番』
1.
勉強は正解を知るためにするのではなく、間違いを消すためにするものだ。
公立朧呂高校三年一組、出席番号一番、赤頭玲緒(あかがみれお)。
「……うるっさいな、先生」
周囲を威圧する不遜な態度、他者の警戒心を掻き立てる不穏な物腰。
赤頭の風貌は、尖ったナイフそのものだ。
「俺の声は静かな方だと思うが」
「声量の話はしてねえよ」
職員室。
ホームルームもとっくに終わった放課後、ほかの教師陣もとっくに出払っている。
詰めるなら、いまだ。
「お前がやったのか?」
「だーかーらー、なんの話だって聞いてんの」
両手をポケットに突っ込んだまま、赤頭は不機嫌そうな声を出す。
『犬神先生のクラスの生徒が、いじめを受けている』
学期末の試験問題を作っていた俺の元にその報せが飛び込んできたのは、最後の証明問題に着手しかけたところだった。
教師として、対処しないわけにはいかない。
「とぼけるな、赤頭」
「とぼけてねーって」
「なんで呼び出されたか、自分でわかっているだろう」
「わ……わっかんねえよ!」
「声を荒げるな。職員室だぞ」
「あー、もう! うっさいなあ!」
叫ぶ──吠える。
ポケットに、手を突っ込んだまま。
ぶっきらぼうな悪態を、振り撒く。
「それと、赤頭」
「なんだよ」
「化粧品の持ち込みも、校則違反だぞ」
教師として当然の、そんな指導にも。
「だから、わかんねえっての!」
髪を逆立たせる。
2.
眼鏡。痩せ型。ボサボサ頭。
「……なんですか先生。僕がなにかしたっていうんですか」
公立朧呂高校三年一組出席番号二十一番。鮒瀬匠海(ふなせたくみ)。
鼻のあたりまで垂らした前髪の隙間から覗く瞳には、怯えの色が伺える。
「カバンの中身をぶちまけられて、そのうえ先生にまで説教を食らうなんて……僕の今日は、散々です」
「説教をするつもりはない。話を聞きたいだけだ」
「そういう姿勢が、こどもからしたら説教くさいっていうんですよ」
鮒瀬は俯いたまま、目を合わせようとはしない。
「お腹も痛いし……はやく帰りたいんですよ、僕は」
状況はこうだ。
ホームルームが終わった放課後、腹痛に襲われた鮒瀬はトイレに駆け込んだ。
そしてトイレに篭っていた鮒瀬が用を足し終わり教室の自分の席に戻ってみると、自分の机の上が散らかっていることに気付いた。近寄ってみると、それは自分の鞄の中身だった──と。
「その惨状を見たときはとても悔しくて、悲しくて……帰ろうと思ったんですけど」
ここでただ帰るのはよくない──と、たまたまその現場を目撃した生徒に、呼びとめられたらしい。
『いま帰ったら、負けただけで終わるからね』
そんな言葉をかけられて──渋々、この件を問題化することを決意したらしい。出来事を
「お前の鞄をぶち撒けた犯人は、赤頭だという話だが……なにか、あいつの恨みを買うようなことでもしたのか?」
「してないですよ。できるわけないでしょ」
苛立ったような、拗ねたような声音で返してくる。教師に向けるべき態度ではないが……この男の心情を考えると、それをむべなるかなといったところか。
「もう、帰ってもいいですか」
鮒瀬は伏せた目を、結局最後まで合わせることもないまま。
「悪いのは全部、赤頭さんなんですから」
職員室を、出て行った。
3.
「だから、俺はよく知らねえんだって。たまたま、船瀬……の、机を見ちまってよ」
公立朧呂高校三年一組、出席番号十一番。灯路井七憑(とろいなつき)。
長い前髪を、ヘアゴムで縛りデコを出している。明るくて陽気で社交的。クラスの人気者グループの一人だ。
鮒瀬とは対照的なこの生徒が、いじめ現場の目撃者だ。
加害者と被害者、双方の話を聞き、目撃者の証言も取る。俺は刑事でも探偵でもないが、教育者として、結論を出すのならば確認作業は怠ってはいけない。
「鮒瀬の机の上に転がっていたのは、あいつの鞄に入っていた教科書や文房具……と」
「化粧ポーチ、だよ」
「鞄の中身と同じく、鮒瀬の机の上に置かれていた化粧ポーチ──それを見て、灯路井は、赤頭がやったと」
「ああ、そうだよ」
灯路井は、記憶を掘り起こすようにしながら、ゆっくりと語る。
「放課後、たまたま教室を覗いたら、船瀬の机が、散々なことになっててよ」
なんだろう、と思って近づいたら──か。
……なるほどな。
「赤頭のことはよく知らねえけど……あれは、さすがにやりすぎだ」
灯路井は、そこで。
教室でいつも馬鹿騒ぎしている仲間内では見せないような悲痛な顔を、浮かべた。
4.
なぜ人間に目がふたつもついているのか、考えたことがある。
小学一年生の頃だ。学校の保健室で視力検査を受けたときに、俺は生まれて初めて、『片目を瞑っていても視界は通る』ことを知った。
これまでも目に砂が入ったときとか、こけて痛がって泣いたときとか、左右どちらかの視界のみで世界を眺めた経験はあっただろうが、意図的に、作為的に、あえて片方の目を閉じて一点を凝視するという行為はなにせまったくの未経験だったから、素直に度肝を抜かれたものだ。
まあ、つまりなにが言いたいかといえば。
世の中なにも、見るか見ないか、だけではないということだ。
「いじめはよくないよな」
放課後の教室。だれもいないはずのそこで、ゴソゴソと動く影に、俺は声をかけた。
「なあ、鮒瀬」
「せ、先生……」
影の正体は、ボサボサ頭に眼鏡をかけた男子生徒。
鮒瀬匠海。
「帰ったんじゃなかったのか、鮒瀬」
「……忘れ物を」
「忘れものってのは、これか?」
俺はポケットに入れていた右手を抜き、鮒瀬の目の前に差し出す。
「それは……なんで、犬神先生が」
化粧ポーチ。
俺が掴んだそれを突きつけられ、鮒瀬は驚いた声を上げる。
「没収した」
「没収……?」
「赤頭からじゃない。灯路井からだ」
「は?」
赤頭は、終始苛ついた態度を示していた。
苛立ちを感じる理由は、必ずしも怒気だけではない。
「赤頭は、不注意で失くしたと思っていたようだがな。そして、落とし物として見つかったそれの持ち込みを、俺に咎められるものだと」
罪悪感を感じたとき、人は気性が荒くなる。穏やかに映る人間だけが、優しい心を持つわけではない。
鮒瀬は、ずっとなにかに怯えていた。
しかし決して、臆病なわけではなかった。あいつのあの態度は知られたくないなにか、気取られてはいけないなにかがある、という線で考えるのが妥当だ。
灯路井の言動には、状況と噛み合わない点がいくつもある。
よく知らないクラスメートである赤頭の化粧ポーチを正しく把握していたこと、それをすぐに犯人に結びつけたこと。鮒瀬との入れ違い、教室に戻るタイミングのズレ。
思い出すにも、色々ある。実際に見た現実を描く場合もあれば──「そういうことにしておくように」と脅された場合も、ある。
「なあ、鮒瀬。灯路井を使って赤頭を陥れて……この事件の首謀者は、元凶は、黒幕は──お前なんだよな」
「…………ふ」
人は見た目によらないし、真実は目に見えることが全てではない。
「ふふっ。ふふふ」
無機質な机と椅子に囲まれ、夕陽のオレンジに照らされながら。
大人しそうな男子生徒は──前髪と眼鏡の奥に佇む瞳を、光らせる。
「鮒瀬匠海」
「そんな、何度も名前を呼ばないでくださいよ。僕、名簿とか点呼とか、嫌いなんですから」
「俺とお前、間違っているのはどっちかわかるな?」
「どっちもでしょ。僕はたしかに人間としてせーかいじゃないし……あなたの回答も、満点ではない」
たとえば、『元凶』っていう部分とか、ね──くつくつと笑いながら話す鮒瀬。さっきの職員室や、日常の教室では現れない姿。
どちらが本当でどちらが嘘かなんて、だれにもわからない。
俺にも、自分自身にすらも。
ただ。
「なんで、こんなことをした」
後悔だけは、しちゃいけない。
させちゃいけない。
「さあ……なんでだと思いますか?」
動機も証拠も曖昧な、この事件を。
「それを考えるのが、教師(あなた)の仕事でしょう?」
採点しようか。