後悔で溢れる世界〈b:お悔やみ編〉ep.芦分三科「芽生えた心、ここに在らず」②
2.
「あなたが落としたのは、鉄の心ですか? それとも、鋼のメンタルですか?」
通学路。
彼女は、そこが好きだった。
と言っても好きになったのは最近になってからのことである。以前はただ与えられた使命を全うするためだけに、事務的に、機械的に通っていただけだった。
「……三科? ちょっと、おーい」
でもいまは、好きな人と会える、大好きな場所だ。
「──あ、夏向。おはよう」
「おはよう。どうした、なんか悩みでもあるのか?」
悩み。そんなもの、彼女はもちろんこれまで一度も持ったことはなかった。
人間ですら、ハピネスウォッチによって常に最善で最適な未来を生きることになったこの時代には苦悩なんて感じたことのない者がほとんどだ。
機械そのものである彼女に、悩みなどあるはずがない。
そう、機械である『三号機』には。
「ううん、なんでもないわ。……ていうか、その不毛な挨拶は湖陽とのやつでしょ? なんでわたしにもやんのよ」
「いやー、俺が湖陽ばっかりと仲良くしてても、三科が嫉妬するかなーと思ってさあ」
「男に嫉妬なんてするもんですか。……はあ、なんだかバカらしくなっちゃったな」
制服を着崩して歩く彼女は、校則違反の茶髪を揺らして、軽く笑う。
それを受け、その横に立つ恋人が、怪訝な顔をして少女の顔を覗きこむ。
「やっぱり、なんかあったのか?」
すこしだけ、トーンを落とした声。深刻になりすぎないように気遣いはしながらも、その表情がさきほどとは打って変わって真剣であることがすぐにわかる。
この男は、そういうやつなのだ。
「だから、なんにもないってば。なに、もしかして束縛系? ひくわー、まじうける」
そんな彼だから、彼女は好きになったのかもしれない。
「人が心配してんのに、なんだその言い草は! ……ま、ならもう聞かねえよ」
いや、きっとそうじゃない。
恋にはたぶん、理由なんていらない。
「でも、本当に困ったことがあったら、なんでも言えよ? 俺は、お前の彼氏なんだから」
好きだから、好きになったのだ。それだけだ。他に理屈なんかいらない。
「……うん。ありがとう。わたしたち、運命の恋人同士なんだもんね」
胸に手を当てながら、彼女──元後悔誘発機三号機は。
人間となった芦分三科は、改めて、自分の恋心を確認する。
「好きだよ、夏向」
それを覆い隠してしまいそうなほどの後悔と不安を、無理矢理心の奥に押し込めながら。
あの授業参観の放課後に交わした、軽薄で嫌味な科学者とのやり取りを思い出す。