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【短編小説】染丸の履歴書"人を騙して、生きてきた"

 前職では、人を騙すお仕事をしていました。

 そう答えると、面接官は決まって、怪訝そうな顔を向けてくる。なるほど、では働くは働くでも、詐欺を働いていたというわけですね。などと、ユーモア混じりの言葉を返してくることはない。たいてい、数秒ほど変な空気が流れてから、「ではこれで以上になります。お疲れさまでした」と告げられ、体感気温がすこし下がった部屋から、退室を促される。

 面接という自分の信用性を伝える場で『人を騙してきました』と宣言することがそもそもおかしな話だが、ふざけているつもりも、冷やかしているつもりもない。ただいまは、信用されたいよりも、信用したいのだ。身勝手な話だが、ありのままの自分──よりももっと偏屈な自分を演じてみても、そんな自分を受け入れてくれる場所に、身を置きたい。そんなことを考えてしまっている。だからわざと、試すように言うのかもしれない。『評価されることから逃げている』と言われればそれまでだし、そのとおりかもしれないが、これまで散々他人に値踏みされながら生きてきたのだから、そのくらい、許されてもいいだろう。

「どうせ次も、またダメなんだろうな」

 履歴書を書くのだけがうまくなる。もう、何枚目になるかわからないB5サイズの用紙に必記事項を埋め込みながら、溜息を吐く。もともと俄然ポジティブ、といった性格なわけでもなかったが、就職活動を始めてからというもの、俺の精神比率はずいぶんとネガティブに傾いていた。

 スラスラと軽快に走っていた筆が、止まる。この欄に差し掛かると、いつもこうだ。さっきよりも気持ち一メートル分深い溜め息を追い風にして、その欄を飛ばす。が、自分で思っていたよりも俺はこの作業に手馴れてしまっていたらしく、さらに生来の器用さも手伝って、他の欄はすぐに、全て埋まってしまった。もう引き返せない。いや、引き返そうと思えばべつに引き返せる──用紙を丸めてゴミ箱に捨ててしまえばいいだけだ──が、そろそろ貯金も尽きそうだ。壁に貼られた、ポスターを見遣る。食費のみならず趣味まで我慢しなければいけなくなる、なんてことにならないためには、この出願書類はきちんと完成させなければならない。

 俺は『職務歴』の空欄に、「アイドル」と記入した。

 五人組男性アイドルグループ『K.T』

 右廻芸能事務所が運営するそのグループこそが、俺の前の職場であり、居場所であり、家みたいなものだった。メンバーは家族だと、雑誌のインタビューで何度も語ったことがある。当時の俺は心からそう思っていたし、メンバーもみんな、気持ちは同じだった。はずだ。マネージャーからも、事務所の先輩後輩からも、よく仲の良さを羨ましがられたものだ。

 ステージに立つのは、気持ちが良かった。
 溢れる歓声、湧き上がる熱気。プレイヤーとファンが一体となるライブ会場は、独特な空間だ。そこには規則も法律もなくて、ただ、熱狂だけが流れている。その流れに身を任せて、マイクに向かって声を当てているときだけ、俺は『自分』を確認していた。自尊心なんてものは放っておいたらふわふわとどこかに漂ってしまうものだが、ステージでマイクに声を当てているときだけは、俺はたしかなそれを、実感することができた。

「じゃあ次の曲が、今日ラストね!」

 その日のライブも、絶好調だった。俺はリーダーではなかったが、喋りがいちばん達者だという理由で、重要な局面のMCを担当することが多かった。次に歌う曲が本日用意されたセットリストの最後であることを告げると、会場中から不満の声が上がる。それすらも気持ちが良い。会場を波打つその音波は、ステージで歌い踊る俺たちを非難する性質の悪いブーイングではなく、法外なこの空間が終わってしまうことを嘆くラブコールであることが、わかりきっていたから。

「そっか。みんな、このライブが終わるの、そんなに嫌か。うんうん、わかるわかる。だって俺も嫌だもん! さみしいし、悲しいし、辛いし……ああ、なんか言ってたらどんどんしんどくなってきた」

 会場から、どっと笑い声が起きる。期待通りの反応。

 ネガティブ、だけどポジティブ──『ネガポジのソメマル』。それが俺の愛称だった。およそ愉快とは言えないこんな言葉にも、楽しそうな笑顔を向けてくれるファンが、メンバーが、俺は大好きだった。

「まあでも、人生ってそもそも、しんどいことばっかじゃん? いまこうしている間にも、友達はお前を裏切る準備をしてるかもしれないし、彼女は浮気をしてるかもしれないし、家は空き巣に入られてるかもしれない。嫌なことのひとつやふたつ、あって当たり前なんだよ──でもなあ」

 俺たちはアイドルであって、ジャズ奏者じゃない。閉演に向けてしんみりするようなことはなく、熱狂のボルテージはむしろ、ぐんぐん上がっていく。それぞれのメンバーカラーに染まったペンライトの波は、まるで大きなひとつの生き物のように、激しくうねり、会場全体を泳ぐ。

「そんなつまんねえもん、俺たちのライブで吹っ飛ばせ!」

終わりだけど、終わりじゃない。

 今日のライブが終わっても、また次のライブで、会えるから。

 曲が終わっても、声が枯れるまで、歌い続けるから。

 そう思ってた。けど。

「ライブお疲れ様、染丸くん。でもさあ、ちょっと大変なことになっちゃったね。まさかこの大事な時期に、女性問題を週刊誌に取り上げられちゃうだなんて──これ、きみさあ、どう責任取るつもりなの?」

 身に覚えのないスキャンダルのせいで。
 俺の声は、思いのほか早くに、枯れてしまった。

「うん、いいんじゃない。採用で」
「え?」

シックな雰囲気のカフェ。その一画、隅の席で面接を受けていた俺は、予想外の店長の返答に、呆けた声を返してしまう。

 採用?

「採用って、どういうことですか?」
「どういうことですか……って。ここで働いてもらうってことに、決まってるじゃないか」

 今朝見たアイドル時代の夢に、意識がまだ漬かったままなのかもしれない。俺は現実がいまいち受け止めきれないでいた。あの日置いてきてしまった自尊心でも探しに行っているつもりだろうか──これではいけないと、頭を切り替え、思考のピントを現実に合わせる。人の良さそうな店長は、俺の顔を見て笑っていた。

「なに。面接受けに来といて、ここで働きたくないの?」
「いえ、働きたいです。……でも、俺は」

 履歴書は彼の手を離れ、机の端に追いやられている。

「人を騙す仕事とは、ははっ、よく言ったものだね。ソメマルくん」

 ソメマル。懐かしいその響きに、意識は再び、ステージの熱狂へと引き戻されそうになる。なんとか足を突っ張って、飲み込まれないように踏ん張る。偽りの言葉を着飾って、上っ面の友情ごっこを演出して、ファンから金を巻き上げる仕事に、もう未練はないはずだ。

「そうまです。読みにくくって、すみません」
「あ、そうまくんか。いやいや、ごめんね。珍しい漢字だから……語呂がいいし、もうあだ名として定着させちゃってもいい?」
「……すみません。できれば、そうまでお願いします」
「あ、拒否られちゃうんだ。ちょっとショック。ははは」

 全然落ち込んだ様子もなく、店長。この人はきっと、根がポジティブなんだろうな、と思った。ネガポジどころか、圧倒的にネガティブに傾いてしまったいまの俺とは、波長が合わない気がする。

 俺、ほんとにここでやっていけるんだろうか……

「芸能活動も、接客業もね、似たようなものさ。嘘でいいんだ」

 軽い調子のまま続く店長の言葉に、俺は顔を上げる。 

「嘘で、いい?」
「うん。お客様に満足して、喜んでもらうのが、プロってものだからね。心の中では『なにくそっ!』って思ってても、顔だけは笑ってる。ちゃんとそれができる人が、飲食店には向いてるんだ」

 ほんと、理不尽なことだらけだからね。店長は笑う。人の良さそうな笑み。もしかしたらこの笑顔も嘘で、内心は失礼な新人候補に業を煮やしているのかもしれない。でもそう思ったら、逆にすこし、楽になった。

「きみは、そういうのはできるんでしょ?」
「俺は……」

 そういうのは──できるだろうか。心で怒って、顔で笑う。正直、自信がない。
 だって、俺はステージの上では、心の底から、楽しんでいたから。
 
なんだ。俺は結局、プロになりきれてなかったのか。芸能人としても、嘘つきとしても。
 そう考えた瞬間、モヤモヤが、心の中から、スーッと、消えていく気配があった。
 もう、B5サイズの用紙と向かい合う生活は、終わりにしよう。

「まあ。人生、嫌なことのひとつやふたつ、あって当たり前ですからね。お客様のクレームくらい、なんてことはないですよ」

 これで、ようやく。

「そうかそうか、たのもしいね。じゃあ、さっそく明日から、シフトに入ってもらいたいんだけど」
「あ。明日は『NANA』のライブがあるから、入れません」



 これでようやく、趣味にお金をたくさん遣える。

「……」
「……」
「え? なに、『NANA』って」
「あ、気になります? 『NANA』というのはですね、右廻芸能が新しく発足した、もうすぐ波に乗りそうな、波がきたら、その波を絶対うまく乗りこなすであろうアイドルグループなんですけど!」
「つまり、まだ波には乗ってないんだね」
「俺、自分がアイドル辞めてすぐは、絶対ライブ会場なんか二度と行くか! って思ってたんですけど、たまたま偶然、なんの気なしにちらっと覗いてみたライブで、『NANA』の……アイちゃんが歌い踊る姿を観て、もうちょっとだけ頑張ってみようって思えて……! あ、アイちゃん、というのはですね」
「ちょっと待って、整理させて。あれ、アイドルは嘘つき、なんじゃなかったっけ?」
「そうですよ。アイドルの語源はそもそも、『偶像』って意味ですから」

 アイドルは、人を騙して生きる。
 でも、それの何が悪い。
 俺はすっかり、ファン側として、アイドル文化の──否、『NANA』の──否々、アイちゃんの、虜になってしまっていた。

 アイちゃんが、明日も歌ってくれるから。
 俺は、今日を頑張れる。

「わかってないですね。アイドルは偶像! だからこそ、価値があるんですよ! いいですか、アイちゃんは、女神なんです!」
「え? あれ、さっきまでとテンション全然ちがくない? なんだったの、あの失意に溢れた感じ」
「いやあ、昨日、『NANA』のライブ映像観てたら朝になっちゃってて……寝不足で」

 だから、面接前の仮眠のとき、アイドル時代の夢なんか見てしまったのだろう。
 まったく、現実と偶像を、ごっちゃにしないでほしい、俺の脳内。

「そっか……まあいいや、わかった。うちはシフトも自己申告制だからね。休みは自由にとるといい。しっかり働いて、その分、趣味にお金を遣えばいいよ」
「ありがとうございます! ……それで、店長」
「なにかな?」
「ここ、賄いって出ますか?」

 この店の求人に応募したのも、オムライスがおいしいと評判だったからだ──アイちゃんが大のオムライス好きであることは、ファンにとっては常識だ。いまでは、俺の一番の大好物でもある。

 推しの好物は、己の好物だ。

「うん、出るよ。なんならいまから、食べていくかい?」
「はい! いただきます!」

 もしもそのプロフィールが、仮に嘘だったとしたら?

 まあ、かわいいから、それでいいじゃないか。

 これまで俺は、人を騙して生きてきたんだから。

 これからは、騙されながら、生きていこう。

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