七つの幸運ep.剣筋剣士「剣は腰に、誓いは胸に」fin.⑧
8.
「地区大会で負けたくらいで廃部になんかなるわけねえだろうが、ばーか!」
更衣室から漏れ聞こえる罵声を浴びながら対峙するのは、ふたりの男女。
汗だくの道着姿のまま腕を組む男と、両手にタオルを抱えた制服姿の女。ふたりは鼓膜を揺らして脳に突き刺してくる言の葉など気にも留めず──互いに、聞こえていないような振りをして、正面から向かい合う。
「とりあえず、礼を言っておくわ。今日の地区大会は、あなたのおかげで優勝できたのは間違いがない」
「──そんな、拙者の力だけということは」
「あるでしょ。バカなの? 予選リーグからトーナメント決勝戦まで七試合、三十五人抜き七十本。全部、あんたが一人で取ったんじゃない」
剣筋剣士は、融通が効かない。というかどこか、空気が読めないキライがある。
いくら「手を貸してほしい」と頼まれた『助っ人』とはいえ、剣道部生でもない文字通りの部外者が勝ち抜き戦の大会で全戦全勝するべき道理など、あるはずもない。
弁えろ。
「おかげで、うちの部員は五人とも汗のひとつもかかずに念願の優勝旗と県大会への出場権をゲット……ほんと、あなたには感謝してもしきれないわね」
「いや、いいんだ、感謝など! 滅相もない!」
「……あんたって、ほんとアホだよね。不憫になるくらい」
直接的が過ぎてもはや骨が剥き出しなくらいわかりやすい皮肉にも力一杯の謙遜をみせる剣士に、剣道部マネージャーの安頃理南は怒りや呆れを通り越して哀れみの目を向けながら、溜息を吐く。
「──でも、ほんとにバカなのは、うちの部員達の方か」
伏し目がちに俯くその表情からは、先ほどまで浮かんでいた苛立ちや憐憫の色は消えている。
そこにあるのは、ただの悲しみ。
正部員がただの一勝も挙げてないどころか、試合場にさえ立っていない。真実に、ただ虚しいだけの勝利。
「……諦めも、肝心なのではないか」
空気を読むのが苦手でも。
「これ以上、彼奴らに期待をかけても、いい事態には転びそうにないが」
引き際を察するのが不得手なわけでは、ない。
「…………」
南は手首に巻かれたミサンガを握り込む。強く、強く、爪が皮に食い込む。
練習でも、試合でも。
冷たい床に座りながら、自分だけが枠組みの外に弾き出されてしまっているような感覚に、南はどうしようもないもどかしさと、一抹の寂しさを抱えていた。
『わたしは、彼らと一緒には戦えない』
女だから。弱いから。理由を探せばたくさんある。言い訳ですらない、どうしようもできないただの事実が、たくさん。
「……諦められるわけ、ないだろ」
でも。それでも。
「わたしだって──わたしだって、域高剣道部の一員なんだ! 板の上で戦ってるあいつらのことを、わたしが、諦められるわけないだろ!」
「今日の試合は、だれかひとりでも板に立ったか?」
「それでもだよ!」
なにかを選択するとき、利や意味ばかり求める者は、信用がならない。
「……なぜ、彼奴らにそこまで期待する?」
「わたしにも、よくわかんないよ……でもね」
賭け事をするのに、道理や理屈を求めるのは無粋だ。確率論も、心理学も、ここぞというときに逆張りのできる度胸と好奇心には敵わない。
「わたしは、あいつらに"賭けて"んだよ!」
少女の叫びに、剣士の身体の奥から、声が蘇る。
『──儂は、うぬに己の命運を賭けると決めた』
「なんでかわかんないけど、あいつらなれやってくれるかも、って……絶対できるって、信じてるんだよ!!」
『──儂がうぬを信ずる道理は、それだけでよかろう』
それは、輪廻の果てに刻まれた、遙か遠いむかしの記憶。
人が人を信じるのに、理由はいらない。
"なんとなく"。それを正解にしてしまえばいい。
「──は」
「おい、剣筋ぃ!」
感情のすべてを吐き出し、爪の食い込んだ手首から血を滴らせながら俯く南に、なにか言葉をかけようと剣士が口を開くと──同時に、更衣室の扉が勢いよく開いた。
そうして、木刀を手に持った剣道着姿の男たちが五人、ずかずかと出てくる。
「今日はありがとなぁ!」
「お前のおかげで優勝できた」
「最強の助っ人ってやつかー?」
「みんな腰抜かしてびびってたぞ」
「あんたの強さは本物だ。感謝しかない」
そうして、思い思いに労いと感謝の言葉を口にしてから──決意の形相で木刀を握り込み、掌返しの宣戦布告。
「「「「「でもごめん──やっぱこのままじゃ気が済まねえから俺たちと勝負しろ」」」」」
どの面下げて、とはこのことだ。勝手気ままにもほどがある。無粋を通り越して無礼千万もいいとこだ。
「あ、あんたら……! ははっ。うん、そんなコスプレエセ侍、叩っ斬っちゃえ!!」
生まれる時代を間違えた。もとより遙か遠いむかしより、迫害されることには慣れている。
それに。
「はっはっはっ! やはりこの時代には、拙者のような武士には合わぬのか!!」
──刺繍糸の女。言う通り、この者どもの目は、まだ死んではおらんようだ。
己の選択を盲目的に過信するのは、賭博人の性だ──信ずる者は、救われる世界であってほしい。
信じ合えば、巡り合える未来であってほしい。
「来い! 貴様らの果たし状、この剣筋剣士が受けて立つ!」
なにを捨てても尽くしたい者の側に仕える。
侍として、人として。これほど幸せなことはない。