七つの前屈ep.捺鍋手愛須「振り撒くハクアイ~溢れ、愛。~」⑨fin.
9.
「あ、あの……きみ、この前僕に告白してくれた、受付嬢だよね?」
捺鍋手愛須は、美人だ。
なんせ、ビルの『顔』というくらいだ。端正なルックスがないと、とても成り立つ仕事ではない。
「あのときはびっくりしちゃって……急に逃げ出したりして、ごめん」
そのうえ、優秀だ。人当たりも良い。
「まさか、捺鍋手さんが、僕のことをそんな風に思ってくれてたなんて、気づかなくてさ」
噂や風説は、だれしも平等に享受するわけではない。
大方の愛が、そうであるように。
「うれしかった」
博愛を振り撒いて遊んでいるかに見える彼女だが、実はある程度上の人間には勤勉で通っている。それは態度よりも才能のほうが他人の印象に強く残るという、とても彼女の趣向する
ところの無差別思想からはかけ離れた、ひどく残酷な評価ではあるのだが。
つまり。
愛は、一方的なそればかりというわけでは、もちろんなく──
「実は僕も、あなたのことが」
「ねえ」
──しかして、そこは捺鍋手愛須。
人類すべてを平等に愛する女。
彼女は特別も異常も、決して許さない。
博愛の前では健康も幸運も才能もすべて、ありふれた好きのひとつでしかない。
「わたし、これからとーっても素敵な殿方貴婦人たちと出会う予感がしてるの!」
「え……それって、どういう」
「だからもう行くわ。気を付けて帰るのよ、愛しのダーリン」
──あの赤い服のワイルドなお兄さんは、だれかを好きになったことがあるのかしら……あの手のタイプに惚れてしまう女の子って、けっこういるからね。汚らわしくて、くだらないけ
れど。
なんて、彼女にとっては珍しく、だれかの色恋事情にすこしばかり興味を示してから。
「ああ、人間って、愛おしいなあ」
受付嬢らしく、表情に笑みを張り付けながら。
私腹を肥やす管理職も腸を煮やす上司も、嫉妬に狂う愛人も──健康に毒されたサラリーマンも退出したビルを、後にする。
次の舞台へ向かう。
どうしようもない退屈が続く、明日へと。
いましがた告白してきた男の名前など、もう忘れて──今後どこかで巡り合う文脈があるとすれえば、そのとき、また思い出せばいい──。
次の舞台の主役となるのは、彼女。
愛せど恋せぬ発情姫。
元気が取り柄のビルの顔。
ピュアなバイセクシャル。
『博愛』に満ち満ちた受付嬢──捺鍋手愛須。
「そして、つまらない」
無差別奔放な彼女が愛を捨てるまで、あと──
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