後悔で溢れる世界〈a:後回し編〉ep.科学者1「朽ちない罪、果てない罰」⑦

7.
『やめてよあなた、気味が悪い……そんなモノ飲んで、お腹の中にいるこの子に害があったらどうするの?』

 小指を絡めて約束を交わしたあの日から、六年の時が流れ。女学生だった少女は、自らの胎内に命を宿す妊婦になった。

大学生だった彼は、薬学者になった。

薬の試作品が完成した。

『最低……今日がだれの誕生日かわかってるの? いつも研究研究って、そればっかり……わたしたちは、家族じゃなかったの? ──幸せから逃げてるだけじゃない』

 唇と指輪を交わして永久を誓ったあの日から、七年の時が流れ。妊婦だった妻は、家庭を守る母になった。

 人間だった彼は、老いなくなった。

 不老の薬が完成した。

『そうよね……。あなたは結局、わたしよりも、あの娘よりも──家族よりも、人類の方が大事なんだものね。羨ましいし、尊敬するわ。才能溢れる名誉教授さん』

『……どんな気持ちなの? 妻よりも、娘との方が見た目の年が近いってさ。正直、わたしはすっごく気持ち悪いよ。あんたなんか、もうお父さんじゃないよ』

 七つのロウソクを刺したケーキを渡しそびれたあの日から、十五年の時が流れ。若かった彼女の皮膚は、皺だらけになった。幼かった幼女は、社会人になった。

 変わらない彼は、死ななくなった。

 不死の薬が完成した。

『ねえ、なんでまだあんた生きてるの……なんでまだわたしより若々しいの……? はっ、よくそんな顔できるね、いまさっきまでずっと研究室に籠ってたのに。ほとんど一緒にいた時間なんてなかったくせに。忙しいもんね。エリートだもんね。だからずっとそうやって、そんな姿のまま生き続けてるんでしょ? あんたさあ、人類の未来を担う天才なんでしょ? だったら……だったら、お母さんを生き返らせてよ! ねえ、ほんと、なんでまだあんただけ生きてるの!?』

 娘が『お父さん』と呼ばなくなってから、二十年の時が流れ。生きていた彼女は死んだ。若かった少女は老いた。

 化け物は、やがて家族を失った。

 歴史に取り残された愚かな天才の胸に、黒々とした波紋が拡がる。

「不老不死の薬なんて、作るべきじゃなかった……飲むべきじゃなかった……永遠じゃなくてもいいから、限られた時間の中で、ずっと傍にいたかった……」

 その時代、人々はそれを認知し、認識し、向き合っていた。

「後悔している……ごめんな、詩……花……!」

〔くくくっ、いまさら名前を呼んだところで遅えだろうよお──詩は掠れて、花は枯れちまったんだからなあ。それにしても俺様を呼ぶなんざ、てめえの業はよっぽど深いらしいなあ……ガキ〕

 どうしようもない感情を言葉として口に出した瞬間、彼の意識の奥底から黒々とした高笑いが響いてきた。

 都市伝説なんかじゃない。辛いときや悲しいときも、嬉しいことがあったときですら、この時代までの人間は、その感覚と共に生きてきた。

「だれだ、お前……っていうか、どこから……」

〔俺様は、〈後悔〉だ──これから長い付き合いになるぜ。よろしくな〕

 挫折を乗り越え化け物を生む薬を開発した科学者は、業に塗れた後悔を踏み越えて、やがて世界からひとつ概念を消し去る機械を造り出す。

 優しかった妻の微笑みと、可愛かった娘の笑顔を、想い出の箱に閉じ込めて。

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