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七つの前屈ep.硝子張響「血塗の赤春~壊せ、傷。~」③
3.
「よお、『モスキート』──突然だが、お前の大事な人間を預かった。だれだかわかるよなあ? ……返してほしければ、いまから言う場所に来い」
響のスマートフォンに着信が入ったのは、色欲に溺れた少年がスマホを閉じて、その画面に映し出されていた幸福そうな笑顔を浮かべる少女との馴れ初めを語り終えてから、三十分が経過した頃だった。
平和な公園──もとよりすでに辺り一面、血の色に塗られていたとはいえ──に、緊張が走る。
「もちろん一人で、な。これはタイマンだ。正々堂々喧嘩しようや」
人質を取っておいて正々堂々もなにもないだろうが、こちらがなにかを言い返す前に、相手は電話を切ってしまった。
事態はいつも、唐突に急変する。
流動する。
「おい、どうする響……人質に取られたのって、あんたの──」
「うるせえ」
来人の狼狽える声は、響には届かなかった。痛みにも痒みにも届く有能な右腕ではあるが、それでも頭を止められた試しはない。
煩悩で猛進は制御できない。
種を為す色欲と破綻した勇猛は、概念レベルで逆走している。
「行くしかねえだろ。赤信号を無視して突っ込んできた暴走車は、有無をいわさず即廃棄だ」
戦場の悪魔は、その場を流れる緊張の電波よりも早く、駆け出していた。
おそらく自分を恨むだれか(心当たりが多すぎて絞り込むことは不可能だし、会ってもたぶん覚えていない)に指定された場所に突き進みながら。
風に掻き消える声で呟くのは、決断を迷わない彼の抱える、たったひとつの後悔。
思い出したくもないのに、脳の奥にこびりついて消えてくれない、断片的な過去の記憶。
「ちっ……また、こうなっちまうのかよ」
壊れてしまいそうな勢いで握りつぶした彼の携帯電話と繋がっていた、着信履歴の名前の表記は。
「これ以上傷つくのはもう、俺だけで十分だってのに」
硝子張嘶。がらすばりいななき。
響の姉。22歳。大学生。学費全額免除、特待生。
これから出会うことになる、とある舞台で描かれる物語の、七人の登場人物──つまらない退屈を抱えた男女。
「……待ってろ、姉ちゃん」
彼ら彼女らとその関係者の中で唯一、九つの音を有する女性。