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『七つの退屈』ep.未処方硲「薬要らずの健康体~侵せ、毒。~」⑤
5.
「もう、おにぃーちゃんなんて嫌い!」
「なんでだよ、なんでそうなるんだよ」
未処方硲が勤務先の泥棒騒動に『巻き込まれなかった』日からちょうど十年前、そして当時の彼が属する教室での盗難騒ぎによる犯人捜しで『疑われなかった』日の放課後。
自宅に帰ると、リビングでは妹が長兄を叱咤している最中だった。
「わたしのプリン食べたでしょ!」
未処方泡。やくいらずしゃぼん。泡みたいに浮かんでは消える、起伏の激しい情緒不安定。未処方家第三子、長女。
「ちがう、俺じゃない。父さんか母さんだろ」
未処方水面。やくいらずみなも。空と海の境目、ただそこにあるだけの頂点。未処方家第一子、長男。
どちらも生来、自由奔放な性分で、しかも大の遊びたい盛り。そんな中学生の下の妹と、大学生の上の兄貴の中間に、毒にも薬にもならない第二子にして次男、未処方硲は立っていた。
彼の立ち位置は、舞台がどこであろうと変わらない。
どれほど飛びぬけた個性が集まっても、均せば案外、代わり映えのしない基準値が浮かび上がってくるものである。
「お父さんもお母さんも、さっき電話して問い詰めたら違うって言ってたもん!」
「じゃあ、だれなんだよ、だれがお前のプリンを食べたんだよ」
どうやらこの日平凡な中流家庭で起きていた平穏無難な諍いは、情緒不安定な妹、泡が楽しみに取っておいたプリンを何者かに食べられてしまったようで、その盗み食い事件の犯人の第一容疑者として、長兄の水面が激しい事情聴取に遭っている──という状況だったらしい。
どうせむかしのことなので結論から述べてしまえば、
妹がさんざその在処を探していたスイーツはなんということはない、自分の胃の中にすでに収められていて、真相は昨日の夜中に空腹をガマンできなくなった彼女が半ば無意識にプリンを手に取っていただけだった。
という、昔話にもならないありふれたエピソードなのだが、ここにおいてもその答えに辿り着くまでの過程において、やや歪な──歪に思えてしまうほど、真っ当すぎる一幕があった。
「みなもにぃーちゃん以外だれがいるのよー!」
「ほら、よく見ろよ。そこにもいるだろ、水よりも濃い、血の繋がったもうひとりのお前の兄が──」
再三述べておくが。
「僕?」
ここは本来、疑念の矛先は、未処方硲に向かって然るべき場面だ。
「──な、わけないか。すまん」
「そうだよ、ハザマにぃーがそんなことするわけないじゃん! ごめんねー、ハザマにぃ」
波風を立てず、荒波を生まない基準点は。
「いや、気にしてないよ。大丈夫だから、どうぞ続けて」
兄弟喧嘩の渦中にも呑まれない。
「ほら、さっさと白状しなさい、このダメ兄貴!」
「いてて、お前、硲と俺だと態度が違いすぎるだろ」
水面に投げた石は沈み、谷間に覗く泡は弾ける。
石も谷も、水と泡とは相いれない。
「こういうとき、事を丸く収めるには……」
兄と妹の微笑ましい諍いを眺めながら、未処方硲は考える。思えばこれが、後に入社する会社で日夜クレーム処理に明け暮れることになる彼の、人生最初の営業マン的仕事であったかもしれない。
「じゃあ僕、ちょっとそこのコンビニで、プリンでも買ってくるね。三個ほど」
無難な解決というのは、難しくないから無難なのだ。