後悔で溢れる世界〈a:後回し編〉ep.榊枝七科『大っ嫌いだよ』⑧ fin
8.
「どうしたの、七科。話って」
放課後。だれもいなくなった二年二組の教室で、一組の男女が向かい合う。
一人の人間とひとつの機械が、向かい合う。
「わたし、転校することになった。明日」
「え?」
「ごめんね、突然」
「お父さんの転勤は、なくなったはずじゃ」
「仕事でトラブルがあったみたいでさ。なんでもお父さんの担当してる機材が、壊れちゃったんだって」
「でも……そんなの」
「だからね、湖陽」
昨日の放課後。お父さん──開発者から言い渡された転校に、彼女は機械の身でありながら、ひとつの条件を加えた。
『わたしは転校して、田中湖陽とお別れをします』
「別れよっか。わたしたち」
『でも転校は、明後日にしてくれませんか』
「別れるなんて……」
『一応聞いておこう。なんのために』
『明日彼に、きちんとわたしの口から、お別れを告げるために』
「たとえ距離は離れたとしても、それでもこの関係のまま……」
「それはむりだよ」
『ここにきて、まだ情が?』
『違います。ターゲットに、〈折り合い〉をつけさせるためです』
「なんで!」
『中途半端な"後悔"は、生涯付きまとうことになる』
「わかるでしょ」
「わからないよ」
『それに縛られる辛さは、あなた方が一番、よくわかるでしょう?』
「……じゃあ。正直に言うね」
『それが歴史的発明を生んだんだ』
『それはあなた方が、天才で秀才だったからですよ』
『田中湖陽は違うと?』
『彼は至って普通の凡人です。そんな後悔は受けきれない。壊れてしまう』
「わたし、湖陽のこと、そんなに好きじゃなかったんだ」
『壊したくない、とか、思っているんですか?』
『壊すべきではありません。大事な試験対象なんですから』
「そんなに好きじゃ……ない」
『わかった。たしかにきみの言うことは一理ある』
『後処理は、じゃあナンバースリーにでも任せましょうかねえ』
『三科姉ならうまくやってくれますよ。わたし達には、好き嫌いはないんですから』
「いつもの冗談じゃないよ。なんていうか、好きでも嫌いでも、なかったっていうか」
『では明日、あなたは田中湖陽に会って、具体的にどうするんです?』
「いつものあれもじゃあ、冗談で……嘘だったんだ」
『やるべきことは決まっています』
「うん。嘘に決まってんじゃん」
『明日わたしは、湖陽に』
「じゃあ、僕のこと、本当はどう思ってたわけ……?」
『嘘をついてきます』
「なんとも思ってなかった。好きでも嫌いでもない、無関心だよ」
──嘘。
好きの反対は無関心、という言説がある。
「そっか……はは。それはたしかに、いちばん辛いや」
『嘘?』
『ええ』
しかし関心の有無がそれに対する好嫌の指標になるのも、おかしな話だ。
「ごめんね」
──最初から最後までずっと、嘘ばっかりついちゃってごめんね。
『田中湖陽がきちんと〈折り合い〉をつけやすいように、うまく誘導します』
好きの反対は別のまた好き、大好きの反対は別のまた大好き、でいいではないか。
「わかったよ。別れよっか、僕たち」
「……ありがとう」
──わたしは機械で、あなたは人だから。
『機械と人間の間に、愛が生まれるはずがありませんものねえ』
それは人であるとかないとかは、関係なく。
「でも。これだけは忘れないで」
「なに?」
──ほんとうはね。
『ほう……きみは彼との別れの嘘に、どんな言葉を選ぶんだ?』
では、『大嫌い』の反対は?
「なにがあっても、僕はずっと──これからもずっと、七科のことが、大好きだよ」
「!! っ……っ……っ…………わたしは……わたしは湖陽の、そういうとこが──」
──ほんとはずっと、湖陽のことが。
『わたしの彼への、最後の言葉は』
そんなのもちろん、決まっている。
「大っ嫌いだよ!」
──大好きだよ。
『これからも、ずっと好きでい続けるから』
大好き以外、ありえない。