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私は新井千裕という作家が大好きだ

私は新井千裕という作家が大好きだ。

初めて読んだ時に、その自由でPOPで冗談ぽい雰囲気の中に、どこか切なくて命の儚さと寂しさも感じられる不思議な文体にシビれてしまった。
それ以来、私は新井千裕という作家がずっと大好きだ。

当時1990年代前半は、まだほんのりとバブルの残り香が感じられるような切ない時代で、インターネットも携帯電話も普及しておらず、当然だがWindows95もなくて、当たり前だけれどグーグル検索やWikipediaなんてものもなく、人々は情報を探すのに本や雑誌や物知りにたずねるしかなかった。
今にして思うと原始時代や江戸時代とさほど変わらないような話だ。

新井千裕にハマった私は、図書館や古本屋に通い詰めて、どうにかこうにかその当時に刊行されている本をすべて読むことができた。
大変満足であった。

そして、新井千裕が青春時代を過ごした早稲田大学はどんな所なのだろうと強い興味を持った。
地元のほどほどの県立高校の三年生になった私は、国立大学を勧める担任らの反対を押し切って、早稲田大学に進学した。

当時はまだ合格発表が大学の掲示板に大きな紙で貼りだされたりする時代だった。
広末涼子がドコモのポケベルのCMで笑顔を振りまいていた。
携帯電話ではなく「ポケットベル」だ。
PHSという携帯電話が盛んに宣伝されていた。
1996年の春はそんな感じだった。

大学に入ると、学生用にパソコン室の利用IDとパスワードというものが配布され、学籍番号をもとにしたメールアドレスが与えられた。
だっさいだっさいシンプルなデザインのホームページなんてものがちらほらと現れてきて、どうやら新井千裕の作品の中に単行本未収録作品がいくつかあるようだと知った。

現在のWikipediaに掲載されている情報がこちらである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BA%95%E5%8D%83%E8%A3%95

単行本未収録作品
彼女の赤い薔薇(『月刊カドカワ』1988年5月号)
二人でミルミルを(『月刊カドカワ』1988年7月号)
鴨と戦争(『群像』1992年3月号)
薔薇の庭の蛇(『小説中公』1994年9月号)
蛙が怖い(『群像』1995年5月号)
きらめく結石(『本』2005年3月号

これらの未収録作品の存在を知ってから20年以上、いろいろ探してみたがこれらの文学雑誌を見つけて買うことができなかった。

いつか国会図書館に行って読みたい!
と思ってから20年くらい経っていることびっくりし、このままだと次に読みたいなんて言う頃には老人になってしまうと思い、身内か自分の命に関わる事態でない限り、すべてに最優先して翌日に国会図書館に行く事にした。

国会図書館のホームページで検索すると、これらのうちのいくつかは確実に書庫にあることがわかった。
その夜は明日の図書館が楽しみで全く眠れなかった。

永田町3番出口から徒歩で国会図書館を目指す。
いつもながら手塚治虫が描く未来みたいな、星新一のショートショートの挿絵みたいな街並み。

昭和の未来感がある道路のたたずまい


コントみたいな遠近法


いかめしい顔で立つのが仕事の警察官を何人か横目に通り過ぎながら、図書館の入り口に立つ。
この建物のどこかにずっとずっと恋焦がれていた本がある。それはとてもすごい事だと思う。


国会図書館の入り口

利用者カードを新規で作成して、大きな荷物はロッカーに入れさせられ、中身の見えるビニールバッグに入るだけの少しの荷物とともにゲートをくぐり、本を検索したい気持ちを抑えてまずは館内の探索をしたり、食堂でラーメンを食べたりした。焦ってはいけない。

バカみたいに賢そうな吹き抜けのスペース



チャーシューの肉肉しい感じが独特で美味しいラーメン


そして改めて落ち着いた私は、図書館内のPCで月刊カドカワや群像などを検索して閲覧依頼や複製コピー依頼をするなどした。

ただ、きらめく結石が収録されている『本』2005年3月号の検索に非常に手間取った。
「本」は講談社が発行している書店のレジ横なんかで無料配布されている「出版社PR誌」というもので、膨大な図書館の蔵書の中で、「本」という検索をすると、当然だがものすごく大量に違う書物が出てくるし、「本 講談社」と検索してもダメ。
水族館で魚という名前の魚を探すような、美術館で絵というタイトルの絵画を探すような状態にほとほと困ってしまったので、インフォメーションカウンターのスタッフさんに相談した。
検索のしかたのコツを教わってからやってみると、嘘のようにすんなりと『本』2005年3月号を探しあてることができた。

そしてついに私はこれら6タイトルの単行本未収録作品のコピーを合わせて612円で手に入れることに成功した。
(国会図書館の蔵書はコピー機で自分でコピーをとることはできず、コピーして欲しい箇所に指定のしおりを挟んで、コピー依頼の用紙をプリントアウトし、詳細な依頼を手書きで記入し、その用紙と本をコピー担当窓口に出す必要がある。かなり手間がかかるのだけれど、本の状態を保つにはしかたがないと思う。電子データ化されているものはプリントアウト依頼をすることで印刷してもらえる。いずれも有料。)

これまでの想像の中では短編~中編以上の長さかと思っていた下記の3作品は、実際には見開き2ページの作品だったが実に面白かった。
後の作品につながるような描写もあり、とても感慨深かった。

鴨と戦争(『群像』1992年3月号)
蛙が怖い(『群像』1995年5月号)
きらめく結石(『本』2005年3月号)

そして、下記の3作品は楽しみすぎてまだ読めていない。
だって読み終えたら今現在の地球上に存在するすべての新井千裕の作品を読了することになってしまうから。

彼女の赤い薔薇(『月刊カドカワ』1988年5月号)
二人でミルミルを(『月刊カドカワ』1988年7月号)
薔薇の庭の蛇(『小説中公』1994年9月号)

実に贅沢で悩ましい問題に、先日から直面している。

過去の自分よ、お前はついに新井千裕のあの作品らを手に入れたぞ。

季節はもうすぐ11月。2023年の後ろ姿が見える時期だ。




(追記)
10月25日 AM3:00~5:00
薔薇の庭の蛇
彼女の赤い薔薇
二人でミルミルを 
を読了した。

人はいつ何があって死んでしまうかわからない。
読まずに不慮の事故や急病で死んでしまった時の無念さに比べたら、未知の楽しみを保全するよりも、暗記するほどに読みまくってやろうと思った。
読んでしまったことでタイトルから内容を想像する自由は失われたものの、新井千裕らしい文体を存分に味わえた。

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