吉田実代
今日はニューヨークでボクシングをやってる吉田実代(よしだみよ)さんの試合を見てきた。彼女は現IBF女子世界バンタム級王者、世界チャンピオンだ。その防衛戦。場所はマディソンスクエアガーデン。黒人の女性ボクサーと、みよさんの戦い。みよさんはニューヨークにきてから友達になった中の一人だ。彼女は鹿児島出身で、日本からニューヨークに引っ越してきて、さらに高みを目指すため、ここで頑張ってる。娘と二人で中華街のアパートメントで暮らしボクシングに励んでいる。彼女がやってる鹿児島のラジオにも出た、収録で彼女の家に行ったら、冷蔵庫に、覚えないといけない英語の単語がたくさん書かれていた。どれも、中学生レベルぐらいの英語で、おれとリンクした記憶がある。彼女の小学生の娘とも会った。二人で渡米してきて、彼女はこっちの学校に行き、勉強してる、
発音ももうネイディブのようで、アメリカ人のように話す。そして、二人で暮らして二人でこの国でもがき頑張ってる、お母さんを心からリスペクトしてるめちゃくちゃかっこいい子供だ。今夜は、試合を見てて、みよさんのパンチが決まるたびに歓声が起きた。みよさんコールが鳴り響く。おれは、その辺甘いから、その殴られてる人にも、みよさんのように家族がいて、いま生活を変えるために、のしあがるために、戦ってると思ったら、どっちも頑張ってくれと祈った。肝心の試合は、誰がどう見ても明らかに、みよさんが勝っててみよさんのパンチが相手に決まりまくって、何度も客席が沸いてた。贔屓目なしに、誰がどう見てもみよさんの圧勝にみえた。みよさんの素晴らしいファイトに、人種を超えて、日本人のお客さんだけじゃなくアメリカ人も、みーよ、みーよ、と。会場中から、みよコールがマディソンスクエアガーデンを包み込んだ。しかし結果は判定で相手の選手が勝った。
判定で負けた後、大きなブーイングがまた会場を包んだ。リングサイドで見守っていたみよさんの娘は号泣し、我を忘れて、泣きじゃくっていた。おれは勝手にこの前のおれのライブのトラウマを感じた、コメディクラブで俺の方がウケてたのに、ほぼ笑いがなかった白人の女コメディアンがお客さんのジャッジで勝った。なぜ?と思って翌日、知り合いのアメリカ人に話したら「あぁアメリカあるあるだよ」と。それを思い出した。みよさんの判定負けの後、アメリカ人が、絶対金が動いてる!!って叫んでた。本当のことは、わからない、なにもわからないけど、この国でアジア人には、不平等なものがあると感じた。
試合の結果の後、ニューヨークに長く住んでたビリギャルのモデルで友達の小林さやかちゃんに結果を話したら「さいあく、またそれ」って返信が来た。「さいあく、またそれ」その言葉に、アメリカに住むおれたちアジア人のマイノリティの壁みたいなものを感じた。しかし残念ながら理不尽は、この社会にはセットで付いてくる。だから、俺たちは倍やらないといけないと感じた。コメディの笑いの量でもボクシングでも、こっちが勝ってても、ジャッジで負ける時がある、だから互角なら尚更。だから、圧倒的に、完膚なきまでに、ダウンをとる。マットに叩き落とし、沈める。俺はそんな圧倒的なコメディを作らないといけないと思った。
しかし、僕は今回彼女の戦う姿もそうだけど、客席を見てとても感動した、沢山の日本人がマディソンスクエアガーデンに集まり、みよさんのTシャツを着て、タオルを持ち、応援していた。前にみよさんと話したことを思い出した、彼女が日本に一時帰国する時に、何するの?って聞いたら、どこどこのスポンサーさんのところに、挨拶に行ってー、どこどこのスポンサーさんのところに挨拶に行ってーって、娘を連れて挨拶回りだった。隣の席の日本人のお客さんたちは「わたしたちみよちゃんとカラテやっていてー」とか「みよちゃんの減量の時に来てくれるサウナで働いてます」とか「私7枚買って友達誘いました」とか。ひと席、日本円で一万円近くもする席だ。
みよさんは、世界チャンピオンだが、女性だ、ボクシングの世界、強くても、男性のように有名になるのは大変だと思う。だから集客も大変だったと思う。
だから、彼女のTシャツに書かれたスポンサーの数と、客席に集まった沢山の日本人たちをみて、彼女が日本で、この国で、どんなに頑張って人と繋がってきたか、そしてその努力を、ニューヨークに住む日本人の人たちが知って、彼女が応援されてるのかが伝わった。きてた日本人の人たちにボクシングファンは少ないと思う。吉田みよ、だからここに応援にきたってお客さんばかりだ。だから、この夜は、客席の彼女を応援する日本人たち、負けが決まった時の号泣し、スタッフに抱き抱えられていた彼女の子供を見て、彼女の日々の努力が伝わった。リングの上に上がる時のための過酷なトレーニングはもちろん、それ以外のこと、スポンサー集め、仲間を作り、子供を育て、学校にも行かせる。「舞台の上だけ、ちゃんとやればいい。あとは客来なかったから、おれのネタがわからないような奴ばかりだわ」って、言ってる怠け者の自分を少し恥じた。
そして、みよさんの本番前の顔は、ニューヨークのおれに一番欠けてる顔だった。本当の戦う人の顔だった。言葉を失うほど、凛として研ぎ澄まされた顔だった。どこかアメリカ人にウケたら嬉しい、コメディアンに認められたら嬉しい、というダサい考えが消えた。忘れてた闘争心が蘇った。圧倒的に史上最高に、もっともっと高いところに行かないとと思わされた。みよさんの試合、おれは彼女が知らない国で、娘を育て、知らない言葉や文化の違いの中で、たくさん苦労し、しかし、たくさんの味方を作り、リングで戦う。
その彼女の生きる姿勢がかっこよくて、今夜はめちゃくちゃ大事なものをもらった。めちゃくちゃいいものを見た。
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