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ドキュメンタリーを撮る人たちのドキュメンタリー

僕を2年間密着したドキュメンタリーが衛星放送協会オリジナル番組アワードのドキュメンタリー部門最優秀賞という大きな賞をとった。監督は日向史有という男で僕と同い年の40歳。賞を撮った番組のタイトルは"村本大輔はなぜテレビから消えたのか?" 

知ってる人も知らない人もいると思うけど以前僕はテレビに出ていた。そんなテレビの中からいなくなった僕を追ったドキュメンタリー番組だ。その作品が賞を獲った。Yahooニュースのトップに久しぶりに記事が上がった後から、なぜか僕にあっちこっちから「おめでとう」と連絡がきたんだけど、おれはあくまで彼の食材であって、おれを料理して皿に乗せたのはシェフである監督だ。それはフレンチのシェフがミシュランの星を獲得した時に、皿の上のロブスターに「よかったね、おめでとう」と言われるようなもので、評価されるべきは彼と彼の仲間達だ。

いや待てよおれは"ロブスター"なんていいものじゃないな。ロブスターは、すでに価値があり、存在感があり、知名度もある。地上波の情熱大陸などの密着番組などにでてる人たちは、有名芸能人で、彼らはロブスターだ。しかしおれはザリガニだ。テレビの中にはいないし、そんなめちゃくちゃテレビに出てたわけではない、芸人達の中にはおれを心の底から嫌いなやつらもいて、いままで組んできたコンビは10人解散してきた、すべて相手に愛想尽かされた、相手を傷つけることを平気で言ってしまい、テレビに出てないのに嫌いな芸人ランキングには上位に毎年上がる。まさにザリガニ、川の生態系を壊す厄介者で、おれは汚れた用水路のザリガニだ。

しかも野生のザリガニは、食べると食あたりを起こすと聞いたことがある。Twitterでの発言、テレビでの発言、漫才での発言、プライベートの素行が、知らない誰かを怒らせクレームになり、何度か所属しているよしもと興業に、食あたりを起こさせたこともある。

日向監督もこんなおれに手をつけたせいで、そんな素晴らしい賞を受賞したのに直後からネットでは批判コメントばかりだった。ヒトラーを称賛した映画でも撮ったかのようにバッシングされている。これを読んでる人たちも"なんてリスキーな男に手を出したんだ"と思ってる人たちもいるかもしれないが、彼らはそんなことはすでに覚悟しているだろう、彼らは、僕にオファーした直後にすでに大きな食あたりをおこしてしまっているからだ。

実は、おれを撮影したドキュメンタリー作品は、本来、受賞もしなければ、撮影もされてなかった。始まる前に終わっていた企画なんだ。オファーがあったのが、ちょうど2年ほど前。マネージャーから「村本さんに密着してドキュメンタリーを撮りたいってオファーがありました、地上波です、いい時間帯に流してくれるみたいです」と。ちょうどその頃、レギュラー番組を減らしていき、空いた時間にイギリスやアメリカに行き、素人がでる小さな酒場のオープンマイクに飛び込んでは英語で作ったネタを試していた。

それを聞きつけたドキュメンタリージャパンという制作会社が、ぜひ、アメリカに行くおれを1ヶ月密着して、それを地上波のテレビ局で流したいというのだ。

テレビ局が放送するテレビ番組というのはテレビ局側が作るものと、制作会社が作ってテレビ局に買ってもらい放送するものがあって、今回はドキュメンタリージャパンという制作会社側が、日向監督が、僕に興味を持ち、テレビ局に売り込み、それを番組にすることが決まったらしい。

アメリカまでの旅費も1ヶ月のホテル代もでるし、おまけにギャラまでもらえる、さらにはテレビに出なくなってから、まわりから"いまなにやってんの?"と言われることが多くなってきたので、ちょうど、こんなことをやってる、と彼らに見せることもできるので、僕はすぐにその番組の出演を受けることにした。

英語でネタを作り、練習などをして、その時を待った。しかし渡米する2週間ほど前に、突然、気まずそうな顔したマネージャーと、チーフマネージャーと、ドキュメンタリー制作チームの人たちが、僕の楽屋に現れこう言った。

"番組なくなりました"

僕は驚き、理由を聞くと原因は僕のTwitterだった。その時、芸能人が大麻で捕まると言うニュースがあって、ワイドショーのコメンテーター達が、相次いで大麻批判をした、その中のコメントで「大麻を合法化しようと言うやつは大麻をやったことがあるやつだけだ」という声もあり、そんな偏見ないだろう、と思って、大麻をやったことがない僕が「大麻を合法化しよう」と一言呟いた。それがネットニュースになり、それを目にしたテレビ局の人たちが「こんな危ないやつは出せない」と急遽、番組は中止になったそうだ。まあ、聞けば、局のなかに、もともと、僕を使うことへの反対の人たちもいたらしく、反対の彼らをその制作会社のドキュメンタリーを作るチームの人たちは必死に説得し、今回の番組を了解をもらったそうなんだが、僕のTwitterでのその発言で「ほらみたことか、やっぱりこんなやつだったんだ」というような流れになり、番組中止が告げられた、と。口は災いの元というがいまはTwitterは災いのもとだ。

番組が中止になるということは、1ヶ月抑えられていた僕のスケジュールは空白になる。芸人はなんの補償ない。1ヶ月間、無職、無収入だ。その時、あらためて、この日本の、雇用とは、芸人てのは、この時代にまだその日暮らしなのか、と。そして言論の自由なんてのは"芸人"には一番必要なのに、それすら、奪うのか、と腹が立った。そもそも僕がアメリカで挑戦するスタンドアップコメディとはいかなるタブーにも切り込むもの。「大麻を合法化していい」ぐらいの発言ぐらいで、僕を不安視して番組を終わらすようなやつらに初めから、おれのスタンドアップコメディを流せるわけがない、しかも、おれが大麻をやったわけでもない、ただの発言だ。

完全に、僕は1番の被害者の顔をしていた。日向監督及び、ドキュメンタリーの制作チームは、めちゃくちゃおれに謝ってきた。テレビ局側と、戦えなくてすいません、と。後日、おれは彼らを食事に誘った。最後に、彼らに、めちゃくちゃご飯を奢らせよう、それがこのモヤモヤを和らげる1番の解決策だ、と、小さな復讐を考えた。いい店を予約し、彼らを呼んだ、いや誘き寄せた。

しかし、そのレストランに来た日向監督が「よかったらこれ差し上げます」とめちゃくちゃ分厚い資料をだしてきた。それは彼が番組が決まったから、ひとりでアメリカに下見に行って、片っ端から集めたアメリカの資料だった。

僕のアメリカの密着を撮影するために、さきにアメリカに行き、カルチャーを学ぶならここに行く、とか、一番、厳しいと言われるコメディの劇場はここ、とか、なんなら、コメディクラブに自分でお金を払っていき、気になった芸人に取材までしていて「これはもう必要なくなったので、今後、もし村本さんが、アメリカに行くとき、これを役立ててください。差し上げます」と、彼が僕のために一生懸命集めてくれた資料を渡された。そういえば、彼らのような制作会社は、それが番組になって初めて、テレビ局から、製作費が渡される。

それが番組にならないまま終わったということは、ここまで、テレビ局に必死に僕の番組を作りたいとプレゼンしてくれた時間、アメリカに先に行き、僕のために取材までしてくれたお金、それが全て自分たちの責任ではなく僕のひとつのTwitterで台無しになっていた。被害者は僕ではなく、彼らだったと気付いた。そう「なぜ村本大輔はテレビから消えたのか」は一度、消えていた。僕を口にしたばっかりに食中毒を起こしてしまい、終わっていた番組だった。

しかし消えた番組を再び甦らせたのは彼らの情熱、熱意以外にほかならない。

1ヶ月休みになった僕は、とりあえず一人で、アメリカに行くことにした。せっかく日向さんが集めてくれた資料もある、1ヶ月なにもせずに日本にいるより、アメリカでネタを試して英語を学ぼう。あと、ニューヨークにはちょっとしたトラウマがある。ニューヨークのコメディクラブに飛び込みで出た時に、めちゃくちゃすべって、帰り道、自信をなくしたのと、ホームシックで、ビルの隙間で泣き崩れたことがあった。

その同じコメディクラブにリベンジしにいきたかったから、僕は新しいネタを作り、アメリカに行くことにした。最初はロサンゼルス、そしてテキサスと、コメディクラブをまわって、ネタを試し、最後は、ニューヨークに戻って、めちゃくちゃすべった因縁のコメディクラブで、そのネタをやることにした。

ニューヨーク到着する直前、日向監督から連絡があった。「僕もニューヨーク行っていいですか?カメラまわしていいですか?」と。僕が「テレビはなくなったんでしょ?流す予定あるの?旅費とかどうするの?」と聞くと「大丈夫です、上司から、行ってこい、撮ってこい、なんとかする」と言ってもらえました、と。そして彼はニューヨークにきて、僕を撮影し続けた。まだテレビで流す予定もない、だから、予算もない。僕がきれいなホテルで暮らしてる中、彼は通訳の人の家に、安い値段で泊まらせてもらってた。

日向監督とはニューヨークでいろんな話をした。僕がふと、「どうしておれを撮りたいんですか?」と聞くと、その時、彼はこう言った。「僕は村本さんと同い年の40歳です、だいたいこの歳になると、新しいことの挑戦ではなく、これでいく、と人生を決めます、だけど、40歳で英語を勉強し、アメリカに行き、スタンドアップコメディに挑戦しようとしてる姿をみて、撮りたい、と思いました」と言われた。

彼は1週間近く、ニューヨークでの僕を密着してくれた。無事、因縁のコメディクラブで、リベンジを果たした瞬間も撮っててくれた。日本に戻り、僕が福島に行き、ライブをやるときも、その翌日に、宮城県の丸森町という台風19号の被害があった町行った時も、韓国と日本の関係がすごく悪くて、韓国では、反日運動が激化してると聞いた時、韓国人の話を聞こうと韓国に行った時も、沖縄の石垣島が、自衛隊の基地建設で、島の人たちが怒ってると聞いて、石垣島に行った時も、彼はカメラを持ってきてくれた。流す場所も決まってない映像を。

いつも彼はこう言った「上司が"大丈夫、行ってこい"と言ってくれました」と。そしていつも、撮影終わり、彼と一緒に飲んだ。撮影の最中に、僕がお酒を飲んでるのを羨ましがって、飲みだしたこともあった。彼は純粋でいい男だ。彼のおかげで、いや彼らのおかげで僕は自然な姿を出すことができた。

彼は、言い訳のプロフェッショナルでもある。一度、アメリカで最高の体験をしたことがある。僕が好きなアメリカのコメディアンが僕がいる近くの劇場に出演すると知って、その会場に飛んでいったら、すでに受付は締め切られてた。

僕が「途中からでもいいから入れてくれ」と言っても、絶対ダメ、と断られた、僕はどうしても見たかったので、僕は日本から来た芸人だ、と言って、もっていた英語で書いたネタ帳を見せて、受付の大きなアメリカ人の男に、少しネタをやった。受付の彼は爆笑し、OKいいよ、と言って中に入れてくれた。僕がいきなり走り出し、その劇場に行ったということもあって、日向監督はそれを撮ってなかった。僕はあんな素晴らしい瞬間どうして撮ってなかったんだ、と彼を責めると「みたかったな、でも僕思うんです、それは、神様が村本さんにしか見せてくれなかった特別な景色なんですよ」と。

たしかに、ごもっとも、と一瞬思ったけどすぐさま、あんたが撮り逃しただけだろ、とも思った。二度目、コロナ禍の時、被災地の丸森町に行こうと思い立った。こんな時、丸森町はどうしてるんだと。監督にLINEして「日向さん、一緒に丸森町いく?」と言ったら、僕には彼女もいて、万が一、向こうでコロナがうつったら、と思うとすいませんが、いけません」と断られた。

僕は、丸森町のお年寄りたちにコロナをうつしたら、心配だ、ならわかるけどまさかの自分が丸森町のお年寄りから、コロナをうつされる側かい、という発想に「そっちかい」と彼を責めると彼は「これは村本さんだけでなく僕のドキュメンタリーでもあります、僕が行かないのもドキュメンタリーです」と。「たしかに…」と一瞬と思ったが、いやいやいや!と我に返った。

新幹線で移動する時も、彼はやらかしよる。新幹線で僕の横でカメラ回してていいですか?というので「いいけど、おれ、グリーン車ですよ?いいんですか?」というと「ですよね、グリーン車には予算ないので乗れないのでやめます…」と悲しそうな顔をするから、まあ、新幹線の中で色々質問したいんだろうな、と思って「じゃあいいですよ」と言って僕は自由席に乗って、彼の横に座った。しかしいつまで経っても彼はカメラを回さない。おれの方から「撮らないの?」と聞くのも野暮なので、しばらくほっておいたら、横から、スヤスヤ聞こえてきた。バッと横を向くと、彼は爆睡してた。

え、爆睡してる、と思ったら、駅に着く5分前ぐらいにムクっと起きて、2、3分だけ、カメラを回した。「え、車窓越しの僕を撮りたかっただけかい…」と。そんな天然の男だ。全国あっちこっち行った。色んな姿を撮られた。しかしこの映像の買い手はなかなか見つからないみたいだった、予算を回収する予定がないのに、お金だけはかかっている。

彼らはとりあえず撮った映像を、YouTubeチャンネルを作りそこで順々に流すことにした。プロの撮った映像は素晴らしいのに、おれが悪いのか内容が重いのか、素人のYouTubeのほうがたくさんの人たちに見られる。おれ個人としては気にならないんだけど、アクセスの少なさは一生懸命やってくれてる彼らに申し訳なくて。人気がなくてすいません、と何度も思った。

だからといってTwitterで、それを告知してくれとも頼まれたが、途中から"僕のドキュメンタリーですよ"とツイートするのが恥ずかしくなり、僕はやりません、と拒否した。しかし、しばらくして、やはり観て欲しいという気持ちもあるから、気が向いたら、ツイートしたりした。こんな気分屋に振り回されて彼らも、大変だったろう。彼らは必死にいろんな媒体に、これを流して欲しいと売り込んで、やっと流してくれる衛星放送をみつけた。

最初は地上波の番組だったが、おれの発言のせいでそれは、YouTubeにいき、それは、やっと彼らの努力で衛星放送になった。そして、今回、その放送が大きな賞を獲った。僕は嬉しかった、おれが何かをしたわけじゃない、彼らの2年間の苦労が少し認められたことが嬉しかった。

日向監督と僕はどこか似ている。僕はお笑いを通して、みてみぬふりされてる透明人間にスポットライトを当てたい。僕たちは分けられる、日本人、外国人、男、女etc。しかし線を引くと、その線の下敷きになってしまう人たちがいる、たとえば、男と女に線を引いて分けると、LGBTなどが、線の下敷きになる。日向監督の最新作「東京クルド」という作品だ。それは、日本に住む難民認定されないクルド人の若者を追ったドキュメンタリーだ。渋谷で今公開されてると聞き、観に行った。

日向監督は、日本人、難民、と線を引いたその下にいる人たちをカメラに映していた。この僕を撮ってくれたドキュメンタリーは、僕がスポットライトを照らされることによって、僕が照らそうとしてる、彼らも一緒にスクリーンに映ってる。

彼らの物語は、今回、これが賞をとったことで、たくさんの人たちの目に止まり、彼らが、色んな人たちに見つけられると思う。「村本大輔はなぜテレビから消えたのか」日向監督とドキュメンタリージャパンは消えた僕にスポットをあててくれた。だから僕は裏方の彼らを知って欲しくてこれを書いた。彼らが僕を観てくれてたように僕も彼らをみてたからだ。あらためておめでとうございます。

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