読書メモ(嘔吐)
◆感想
・久しぶりにサルトルの嘔吐を読んだ。過去の実体験から自分が形成されているという事実ととはいえ今の自分と過去は切り離されていて未来の自分は自由であるという主張がすごく輝いて感じた。
自由こそが人間の本質で故に全責任を自分自身が背負うという実存主義的な思想に共感すると共に、人間の悩みは古来からずっと変わらないんだなと思った。
◆あらすじ
物語の舞台は18世紀のフランスのブーヴィルという港町。主人公である30歳のアントワーヌ・ロカンタンは、旅行家兼歴史研究者であった。
ある日突然、ロカンタンは海岸で拾った小石やカフェのウェイターが着けているサスペンダーなど、なんでもないものを見て吐き気をもよおすようになった。公園の樹木であるマロニエの根っこやマンホールの蓋自らの手さえも、見ると吐き気をもよおすようになってしまった。
ロカンタンはついに、自分の吐き気の正体が「実存しているという事実」であることに気づいてしまった。
私が今ここにいることには何の必然性もなく、今ここにいる私の価値は、何物によっても保証されていない。
今ここに存在する私は、いかなる物語からも疎外された「余計なもの」である。
ある日ロカンタンは生きていくことへの不安に苛まれ、元恋人で役者のアニーに会いにパリへ行く。偶然を嫌い必然的な時間を生きているアニーに会うことでかつての自分が蘇るのではと思っていたが久しぶりに再開したアニーは完璧な瞬間なんてない、と人生を半ば諦め、金持ちの男の愛人として生きていた。ロカンタンは絶望した。
後日行きつけカフェでレコードの音楽には吐き気を感じないことに気づく。それは音楽の世界は必然的な世界だからだ。メロディーはすべてが必然的で不変であり、完璧な瞬間だったからだ。
そこでロカンタンの場合は小説家を目指す。生きてる以上、この偶然な実存の世界を去ることはできない。しかし、必然的な存在になれないけれども、自分が作品を作り、必然的な世界を作ることはできると考えた。
◆よかったインプットメモ
・存在に意味はなく偶然であり、存在に意味を持たせるのは自分自身である
・現在は過去からも未来からも切り離されている。現在について言及するときの「今」ですらその時点では過去となり今の自分はまだ何者でもない
・未来から現在を描き切り完璧な現実を過ごすことは不可能である。