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カスタネット(中):あの世との通信

■ちょうど、亡くなる4時間ほど前だった。医師が控室にいた我々を病室に呼んで言った。

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「お母様は、あと数時間の生命です。延命治療をされますか。どうしますか。」

 父と私は目を見合わせて、「どうする?」と私が聞いた。

 父は悩んでいるようだった。私は言った。

「もうここ1週間、この状態だから、もう逝かせてやろうよ、かわいそうだから。」
「ウン、俺もそう思う。もういいね。見てられないよ。」
「そうだね、じゃ、そうしようか、先生、もう延命治療は不要です。」

「わかりました。だったら、ここ数時間ですので、夕食とか、まだですよね。夕食とか、必要なことは今、ここ数時間のうちに済ませてくださいね。」

 私達、妻と父は、急いで家に引き帰り、食事や支度をして、病院にこもろうと考えて行動に移した。

 家で食事をとった後だろうか、病院から電話がなった。

「あ、下村さんですか、お母様の様態が急変してきました。ここ1時間が山ですので、急いで病院までお願いします。」とかかってきた。

 私らは、取りも直さず、貴重品のみを持って家を後にした。車を急がせるが、そんな時に限って、信号機で捕まってしまう。

 イライラしている私に妻が一言。

「大丈夫、1時間でしょう、お母さんは交通事故を望んではいないわ、きっと私達が着くまで待っていてくれるわ!」

 そうだね、と気を取り戻した時、信号機の向こうに、大きな虹が出ていることに気づいた。

「父さん、虹だね。きっと、母さんが行く道を作ってくれているのかな?」

「そうね、気が早かったから、もう登って行っているかもしれんね。」

「そうだね、まだ途中で待っていてよ!」

 そんな作り笑顔をして、病院へ道を進めた。

 なんとか、まだ息があった。しかし、医師は言った。

「近くにどうぞ、もうすぐです。声をかけて上げてください。」

 心臓のセンサーの波形だろうか、弱くなってきているのが目に見えてきた。

 何と声をかけるべきなのか、とある本を思い出した。

 その本によると、死にゆく人は、五感はもうない状態だけど、聴覚だけは最後の最後までしっかりしていると読んで知っていた。

 そのことを思い出して、私は妻や父の最後に息子として、

「お母さん、今まで有り難う!」

 こういった直後に、涙が止めもなくこぼれてきたのだった。

 ICUに入る前は、処置前だったので、意思疎通は少しできていた。その時は、この言葉を吐けなかった。生きている人に向かって、言える訳がない。

 そして、波形は一直線になったのだった。

 医師は、心音、呼吸、瞳孔を確認して「お亡くなりになられました」と告げた。

 母は、抜け殻となったのだった。

 セミが幼虫から成虫へと変化する時、脱皮をするが、これと同じ状態で、母は別の世界へと旅立っていった。


■それがその時の一部始終だった。

そんなことを思い出したことだった。

「本当に、お母さん?」

「そうよ、母さんだよ!」

「え、どこから電話かけているの? どこにいるの? 生き返ったの? それとも生まれ変わり?」

 次から次へと、疑問を投げかけたのだった。

「母さんもわからないのよ! ここに鏡があるのよ! するとね、あんたの顔が映し出されたのよ! それで、ヒロシ!と声をかけたらさ、あんたが出たのよ!」

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 ウソ!!と思った。鏡で電話がかけられるはずがない。

「冗談だろ! そんなわけ、ないよ。正直に言ってよ! 今、どこにおると、迎えに行くよ。」

「それが母さんにもわからんのよ。わかっているのは、ここに鏡があって、あんたが映っているのよ!」

 まさか!と思った。しかし、そこまでウソをつく必要もないだろう。

■「鏡」という一言で、思い出したことがあった。

 高校日本史の授業中に、「三種の神器」というのを聞いたことがあった。その三種の中に「鏡」があった。当然、昔の鏡は今風ではなくして、金属片である。しかし、自分の顔は軽く映る。

 神社とかに行った時、よく金属の丸い玊を見ることがある。それには、自分が映っている。つまり、神社に行くと、信じる信じないは別として、神様には、今の自分の気持ちや考えがお見通しということでもある。

 だから、ヒロシは思った。さもありなん!と。

 ということは、今の自分が映っているのか、ウソだろうと、疑念は増すばかりだった。

「ところで、ヒロシ、今、元気なのかい? それが一番心配なんだよ。もういい歳頃だろう。体は丈夫に生んだつもりだけど、どうなの? 大丈夫?」

 私のことを心配してくれている。これは、昔、テレビであっていた、死んだ人の霊にアクセスして、声も似たような声になって、仲介者が通訳?して会話をしていくというものだ。

「大丈夫、何とかやっているところだよ、ところで、」

と言ったところで、砂嵐みたいな音がして、電話は途絶えたのだった。

 自分が映るといえば、鏡といえば、こんなことも考えることがあった。

 例えば、他人の顔を見て、自分の姿が見てとれることがありませんか。

 今のセリフはまずかったか!と思うことがあります。これは、自分の言動が他人に映っているということではないだろうか。

 また一方では、叔母(母の姉)を見ると、母が映し出されていることがある。ちょっとした仕草とか、まるでそこに母がいるように思うことがある。

 これなど、叔母の顔で母を見る、つまり、叔母の顔が鏡となっていると言えないだろうか。


■夢なのかと思って、ほっぺをつねったが、全くもって正気であった。

「大丈夫」ということを確認したので、切れたのか、原因はわからなかった。いずれにせよ、間違い電話やいたずら電話ではなくして、正真正銘の母親であったことは間違いない。

 これ以来、ヒロシは今か、今かと電話を待つようになった。

 最初の呼び出し音で「ハイ、母さん!」と第一声を出すようになり、妻からは「私よ、何言ってるの?」と言われる始末である。

 以来、身近に母親の存在を感じるようになったのだった。しかし、待ち人来たらずで、電話はかかってこなかった。

 まるで夢でも見たかのような、しかし、いい夢を見せてもらったと思い、母親のことも忘れかけていた。

 そんな中、母親の13回忌が近づいていた。

(「下」へと続く)

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