カスタネット(下):あの世との通信
■とある日、仏壇に手を合わせて、たまたま玊を見て、母親を意識した時、電話がなったのだ。
「ハイ、どなたですか?」
「私、母さんだよ!」
きたーー!、母さんだ!
「あんたが映っているよ! 久しぶりだね。実はね、今、来ているのよ!」
「来ているって、どこによ?」
「家よ、家! 母さんの13回忌だろう!」
「え、見えないよ!」
「見えない世界なんだろうね。でも、あんたの横にいるんだよ! そちらには見えないかもしれないけど、来ているのは本当よ!」
その時、思った。これが量子力学というものか!と。
実は、ヒロシは今、余裕ができて、大学院の通信教育で量子力学を学んでいたのだった。かいつまんでいうと、今流行りの量子力学とはこういうものだ。
■物質は、目に見えない、ものすごく小さな粒からできている。たくさんの過程があるのだが、最終的には、原子の中にある原子核には、陽子と中性子が存在している。
これらの中に、さらにクオークというものが存在している。電子とともに、これを素粒子と呼んでいる。この素粒子に時間の概念がないとのこと。そして、そして、この素粒子(量子ともいう)、光なのだそうで、独自の振動数をもっているとのこと。
一方、我々の意識も光だそうで、電波と同じだそうである。アンテナがその周波数をキャッチすれば画面が映る、テレビのシステムと同じらしい。
これらを量子力学というのだそうだ。
■さて、ヒロシは考えた。近くにいる? ということは、目には見えないだけで、私の意識が母にとび、母の発する素粒子の周波数と私の周波数が一致し、スマホがアンテナ代わりをしたということなのだろうか。
独自に、考えを深めていったことだった。これが学習の応用でもある!
「お父さんによろしくね、いつも近くにいるよ、と言っておくれ!」といって、電話は切れたのだった。
父はスマホを持っていない。
私は持っている。何らかの条件が一致すると、スマホでつながるということではないかと、感じたのだった。
ヒロシはニヤリとした、これはインターネットならぬ、カスタネットだと。
■なぜか、簡単だ! カスタネットは、写し鏡だ。つまり、赤と青の2つの板がなければ音(音波)を発生しない。2つが重なって反響しあって、共鳴して音を発している。1枚では音はでない。
妻には電話はかからない。なぜなら、妻は母を考えることはあっても、知らないので感情がわかない。子どもたる私とでは、飛び交う意識、光が違う。だから、共鳴しないのだ。
私は嬉しくなった。あの世で意識を向けた先との回線を見つけたからだ。インターネットならぬ、カスタネットの存在を!
カスタネットを今一度、よく見てみよう。
横に置いた状態では、天と地のつながりと言えなくもない。地はこちらの世界で、天はあちらの世界だ。
今度は縦に置く、つまりカスタネットを立ててみると、「人」という字にはならないだろうか。人は1対1で人なのである。見えない紐で結ばれているのだ。
量子力学でいう、「ひも理論」だ。
ヒロシは講義は受けていたが、ヒロシの頭では理解不能であった。話によると、素粒子は「ひも」でできているというのだ。ここから先はよくわからなかった。
■そんなことを考えていた矢先の、13回忌、当日を迎えたのだった。
母からの電話はなかった。しかし、お坊さんのお経とともに、きっと、横に座っているぞ!という、強い思いがあったのも事実であった。
これから、いつかは別れるであろう、妻。どちらが先に行くにせよ、カスタネットで繋がれるという強い信念が生まれた今、ますます現実の世界で仲良くしておかねば、意識が共鳴せず、会話もままらないぞと、お経を聞きながら、隣にいる妻を見つめるヒロシであった。
■今、この世は批判だらけの世界、もっと人々が、カスタネットのように、写し鏡となって、つながっていかねばならない時代を迎えているようだ!
「思えば思われる!」「情けは人の為ならず」「思えば実現する!」
これらの言葉は量子力学の世界に他ならない。ヒロシは、ますます通信で学びながら、この世界、あの世界はパラレルワールド、つまり、同時進行していて、意識を向けなければ全く違う複線になって、合うこともままならない。
しかし、意識を向ければ、すぐ横の隣にいるという世界なのだ。
家の外を眺めると、小学生がワイワイ騒いで帰っていた。
溝を覗き込んで、カダヤシを見つめていた子が言った。
「この溝からもさ、水蒸気が出ているのかな? 今日、理科で習ったじゃん!」
「そうだね、見えない水蒸気を見るためには、氷などで冷やせばよかったよね。」
「氷を持ってこようか!」
「いやいや、水で溶けちゃうよ!」
こんな会話を、何気なく聞いていたヒロシは考えた。
量子力学など大それたこを言わないまでも、条件さえ変えれば、見えないものが確かに見えるようになるよな!! スマホがなくても、いつでも、どこでも、誰でも、会いたい人と会えるようになるには、どうすればいいのかな?と、思案にふけるヒロシであった。
爾来、ヒロシは悩んだ時は、常に「横」にいるであろう母に語りかけるのだった。
「どうする?」とね。
自信を持って、行動するヒロシがそこにはいるようになったのであった。
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