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🌈70歳で大学に入学した父🌈夢を諦めないで!🌈

 
🔷「もう年だから…」「今からでは遅すぎる…」と思って、何かを諦めたことはありませんか? 私の身近に「自分が無理だと思って諦めなかったら、夢を叶えるのに遅すぎるなんてことはない!」と身をもって示してくれた人がいます。私の父です。父は70歳で大学に入学したのです!

 父は普通のおじいさんです。でも、「大学を卒業したい」という夢を叶えることができました。もし、父に特筆すべきことがあるなら、もう年だからと諦めなかったことでした。

🔷「もう年だから…」「今からでは遅すぎる…」と思って、夢を叶えることをためらっているあなたに読んで欲しいです。
 
 



「70歳で大学に入学した父~夢を諦めないで!~」


<大学を中退せざるを得なかった父>


<中退せざるを得なかった>


 
私の父は真面目で粘り強い人です。でも若い頃、立命館大学(当時は立命館専門学校)を中退しました。経済的な理由からだったのです。

 
当時、父は、立命館大学の夜間部に通っていました。昼間部に通う経済的な余裕がなかったからです。ところが、家族のために働いて生活を支えなければならず、夜間部ですら辞めざるを得なくなったのです。「学費が続かない。可愛そうやけれど、大学を辞めてくれるか」と父は祖父に言われたのでした。

 
父には相談できる人も、援助してくれる人もなく、大学を諦めるしか選択肢がありませんでした。あと6ヶ月勉強を続けたら、立命館大学を卒業できたのです…。


20歳の父


<中退を後悔した日々>


 父は長い間、学位を取らずに大学を去ったことを後悔していました。大学を中退したため、思わしい仕事に就くことができなかったのです。父はとても真面目に働いていましたが、経済的に苦しい生活をせざるを得ませんでした。

 
私が中学生だった頃、父の立命館大学時代の友人が、私の中学に教諭として在籍していました。父は、教諭になった友人の姿を見かけると、「あの時、大学を卒業していたら」と中退したことを強く後悔したと言っていました。

 
しかし、父はどんな時も向学心を失いませんでした。職場で必要な技術の勉強をし、資格試験にも積極的に挑戦していましたが、本当は大学を卒業したい気持ちを強くもっていることを、私は子どもながらに感じていました。



<69歳で浪人70歳で再受験>


<受験資格が見つからない>


 
父が69歳になった時のことです、父は立命館大学が社会人学生を募集していることを知ったのでした。父が大学を去ってから半世紀の歳月が流れていました。父は受験したい思いを強く持ちながらも、学ぶことから離れていた歳月のことが気がかりだったようです。

 
父が若い頃、大学を中退した時、父には相談できる人も援助してくれる人もいませんでした。でも、父が立命館大学に社会人入学を希望していた時、私は中学の教師になっていました。「今度は、私が父の相談相手になり、支えになろう!」と強く思ったことを覚えています。

 
ついに父は受験することを決意しました。

 
ところが、父に受験資格があるかどうかが問題になったのです。父が立命館大学に通っていたのは、戦前で学校制度が現在とは違いました。父は旧制中学を卒業し、立命館大学(当時の立命館専門学校)に3年まで在籍していたのです。それが、受験資格になるかが問題になりました。

 
当初、父が在籍した記録がなく、受験できないかと危ぶまれました。しかし、立命館大学の事務局の方が熱心に調べてくださり、在籍記録が見つかりました。こうして、父は晴れて受験資格を得たのでした。

 

<諦めなかった父>


 
何とか受験資格を見つけてもらって、69歳の受験生が誕生しました。当時、私は両親とは別居していましたが、実家を訪ねると、毎回、父に捕まって、受験勉強のお供をすることになりました。私がいつ実家に行っても、父は受験勉強をしていました。父が勉強しすぎて、倒れるのではないかと心配したほどでした。

 
そして、いよいよ父は立命館大学の入学試験を受けました。

 
でも、残念ながらその時の入学試験は不合格でした。その時、私は正直なところ、69歳の父が浪人して、再受験するのは、ムリだろうと思いました。

 
でも、父は諦めませんでした。父は優しく穏やかな人柄ですが、同時にとても粘り強い人でもあります。希望を失うことなく試験に備えたのでした。

 

<立命館大学合格!>


<立命館大学合格>


そして、父は69歳で一浪して、翌年の入試に臨みました。ずっと父を支えていた母も、一緒に受験勉強をしていた私も、父の受験を、固唾を呑む思いで見守ったのでした。

 
父は合格しました! 父の努力が報われたのです。合格の喜びを十分に表す言葉がないほどの父の喜びでした。父が70歳で大学入試に成功したことは、反響を呼び、新聞でも取り上げられました。


立命館大学入学式



 
父は70歳の大学生でした。敬老パスを使ってバス通学し、講義はいつも一番前の席に座って受けました。それは、父が勉強熱心だったこともありますが、老人性難聴もあって、一番前の席でないと講義がよく聞こえないからだったこともあるのですが(笑)

 
父はほとんどの教授よりも年上で、キャンパスを歩いていると、教授に間違われ、生徒から挨拶されることもあったそうです。そんな父についたニックネームは「教授」でした。

 
 

<立命館大学卒業>


 
父は大学の中で最もよく勉強する熱心な生徒の一人でした。実家を訪ねると、父はいつも勉強していました。父は姉(私の伯母)の喪儀の日以外は、一日も大学を休みませんでした。


熱心に勉強した


 
それでも学業から離れていた半世紀のブランクは大きくて、単位取得に苦労していました。4年で単位取得できず、半年遅れましたが、父はついに念願の「立命館大学卒業」を果たしたのです。

 
 

<夢を諦めないで!遅すぎるなんてないから!>


 
父が69歳で受験に失敗した時、私は正直、再受験はムリだと思いました。でも、父は諦めませんでした。父は身をもって「夢を諦めないで!遅すぎるなんてないから!」と私たちに教えてくれたのです。

 
父の大学入学、卒業を通して、私は夢を叶えるのに遅すぎることなんてないこと、そして諦めなければ夢は必ず叶うのだということを教わりました。

 
 

<何事も簡単に諦めない>


 
立命館大学卒業後も、同人誌や新聞の読書欄への投稿を欠かさなかったのです。エッセイ集『はるかなりふみのみち』も自費出版しました。立命館大学時代の社会人同級生とも長く交流が続いたのです。若い同級生と共に学び交流していたからか、父は気持ちが若々しかったのです。何事も簡単に諦めない粘り強い父は、96歳で亡くなりました。


 



父はごく普通のおじいさんでした。父が立命館大学卒業という夢を叶えられたのは、「中退した立命館大学を卒業したい!」という強い願いを持っていたことと、諦めない粘り強さがあったからです。夢を叶えるのに、年齢は関係ありません。夢を諦めずチャレンジして下さいね。



心の制限を外し夢を叶える作家&セラピスト★村川久夢


🔷村川久夢はこんな人

🔷心の制限を外し夢を叶える記事

🔷拙書『50歳から夢を追いかけてもいい5つの理由』5章では、高齢になって夢を叶えた先人三人を取り上げています。カーネル・サンダース、グランマ・モーゼス、そして父です。Amazon Kindle 読み放題の方は、無料購読できます。


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