表現活動としての「掃除」
私のライフワークの一つに「家事塾」があります。故・辰巳渚さんが社団として設立し、私たち「家事セラピスト」に遺してくれた、頭はクリエイティブに、身体は地に足つけて、そして、心は自分に素直に、暮らしや生き方を考える学びの場であり、学び人があつまるコミュニティです。現在は「辰巳渚の家事塾」として活動しています。
「家事塾」の所属なので、家事が好きだったり、得意なのかと思われることが多いのですが、好きな時もあればめんどくさい時もある。そんな自分もよしとして、その時々に家事とよいおつきあいができればよい。できれば楽しくクリエイティブに。という心持ちになったのが家事塾の学びです。(こう書くと欲張り、笑)
「家事塾だけど、家事を教えない」という家事塾なので、個人的には、掃除の裏技とか時短テクとかは持ち合わせていません(笑)。悪しからず。(もちろん、仲間には家事の達人もいます)
家事って哲学的でもあり、社会的なテーマでもあるので、
家事を考えることは、自分を見つめたり、家族との関係性を考えたりすることでもあります。
お坊さんの修行としてのそうじは、精神性と深くかかわり、非常に哲学的な要素を含みます。掃除を通して、自分を感じ、心が整う実感がある人も多いでしょう。
また、学校や公共空間をそうじする活動などは、自分と所属コミュニティとの関係性と深くかかわり、社会的な要素も多い。掃除を通して、その場への愛着や仲間意識が強くなる経験もお持ちでしょう。(やれやれ義務だからな…という感情があったりもするかもしれませんが…)
さて、ウィズ・コロナの生活が始まって半年たったころから、優美堂再生プロジェクトに参加しています。中村政人さんによる、東京ビエンナーレのプロジェクトのひとつです。
「大掃除をする」という最初のアクションは、それまで永らく眠っていた建物を起こすアクション。
家事塾とはまた違った視点での「掃除」というコンテンツへの興味もありましたが、ここでの「掃除」はまさに表現活動だったと思います。
「私もここに興味がある」
「私もここを大事にしたい」
「私もこの場の未来を見たい」
という気持ちの表れで、掃除を楽しめ、身体が動いちゃった。というのが、今思う自己分析です。「優美堂」という美しい名前は、眠り姫さながら。大量の額は、城をびっしりと包む茨のツルのようでした。(とすると、中村さんはリラの精か…)
きっと、初回のアクション時に、その魅力に惹かれてしまったのでしょう。
そして、先日は展示会場の設営のお手伝いをする場面での掃除。会場を設え、整える場面で、私にできること。その場で与えられた役割ではあるけれど、掃除をするうちに、同じ空間で準備をする人たちを見るうちに、
「私はこの場をリスペクトしている」
「この場が成功しますように」
という心情の現れが「掃除する」という行為に付加されていくのを実感したのでした。
身体が動けば心も動く、逆に、心の有り様は身体のあり様にも響く人間の仕組み。心情が伴わない掃除ほど苦痛なものはありません。身体が先か、心が先かわからないけども、やってみる!というアクションが効く。
そんなことを思うのでした。
優美堂再生プロジェクトについてはこちら。
https://tb2020.jp/ongoing/yubido01-03/
辰巳渚の家事塾について、家事セラピストについはこちら。
https://www.kajijuku.com/
以前の優美堂プロジェクトについての投稿もご紹介します。わたしのものと優美堂仲間(ユウビスト)のものと。
ひらかれた優美堂再生プロジェクト|村上有紀 @mdesign47993482 #note
https://note.com/murakamiyuki/n/ne026ced46dc4
優美堂再生プロジェクトの個人的振り返り|前田 とまき (TOMAKI) @tomakimaeda #note
https://note.com/tomaki/n/n191b215adabf
感謝が循環するコミュニティ(優美堂) Thanks-Based Society|カルノリーマン/片瀬三丁目商店街イベント係 #note
https://note.com/yujiya3/n/nc472e0e839c6
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