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記憶期を生きる。人生十二相と葬送のフリーレンより。
『人生十二相』という本があります。
故・辰巳渚さんの著書で、副題に『おおらかに生きるための、「捨てる!」哲学』とあります。人生の節目に起こる困難を乗り越える知恵を、家事や日本文化の視点で書かれています。
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ひとの人生には12のフェーズがあり、それぞれのフェーズを生き切る(=終わらせる)ことで次のフェーズを軽やかに生きていく、そのための考え方や暮らしのヒントが具体的に紹介されています。
記憶期を生きる
この世に生まれてからの人生、12のフェーズが年表のように示されているのですが、面白いのが死後の人生が12番目にあるということ。それを辰巳さんは「記憶期」と名付けています。身体は死を迎えても、残された人の思い出として記憶の中を生きている、それも人生であるということです。これは、近しい大切な人の死を経験したことがある人は、きっと共感することと思います。
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今年、なんとなく見始めた『葬送のフリーレン』というアニメ、最初は淡々として「?」と思いながら見ていましたが、いつの間にかハマってしまいました。
勇者ヒンメルが冒険を終え、幸せな人生を閉じたところから始まる物語ですが、ヒンメルよりもはるかに長い寿命をもつ主人公、魔法使いフリーレンを通して、ヒンメルが多くの人の記憶期を生きていることがよくわかります。
ヒンメルとの会話、一緒にみた景色、プレゼントされたもの、それらの断片からヒンメルが今そこにいるかのように描かれるシーンがたくさんあり、その影響をうけたフリーレンが次の世代の仲間にその哲学を伝えていく、その脈々とした流れが描かれていて、素敵なアニメです。
フリーレンと対峙する魔族、断頭台のアウラとのやりとりも印象深い。ヒンメルとの思い出とその想いを語るフリーレンに、言います。
「ヒンメルはもういないじゃない」
このひとことが、フリーレンの静かな怒りを助長させます。(その後スカッとする展開になりますので、見てみてください。)
さて、どんな記憶期を生きるかは、この世でどんな人生を送ったかによるところも面白いところです。よい記憶期を送るには、この世の人生をしっかり生きねば、と思います。
立派な人生をというわけではないけれど、親しい家族、子どもや孫、友人に、笑顔で思い出してもらえるような人生を。
そんなことを思う6月26日。
今日は、この本の著者・辰巳渚さんの命日です。
先日も生前の辰巳さんにお世話になった仲間と集まり、思い出話に花が咲きました。そして、今日の命日は、それぞれご縁のあった方々が、思い出の中の辰巳さんと会っているのではないかと思います。
辰巳さんは、いままさに記憶期を生きている。
そのありがたさを感じる大切な日です。
辰巳さんは文筆家でしたので、文章というかたちでその哲学を残してくださっているのもありがたいこと。生前の辰巳さんの言葉をご紹介。笑顔の面影と一緒に「いま」を過ごそうと思います。
【くらしへのまなざし】あなたが日々、家を整えるとき。あなたが日々、家族と向き合うとき。あなたのなかにしみこんでいる、子どものころの家や、幼い日の親との会話を、たどり直そうとしているのではありませんか。私たちを支えるのは、しあわせな空間の記憶。次の一歩を踏み出す勇気は、しあわせな関係の記憶から生まれる。忘れられない、身体に残り続ける記憶。それは、「思い出」と呼ぶにはあまりにも深く刻み込まれた、私の「いま」そのものなのかもしれません。