パタン・ランゲージ#94 人前の居眠り
超・久しぶりのパタン・ランゲージの投稿は、「町」や「コミュニティ」を定義するパターンの一番最後、94番目のランゲージです。
人々がやってきて居眠りができるような公園、公共ロビー、ポーチなどは成功している証拠である。
多様な活動を支えるはずの公園
すでに懐かしい感じですが、オリンピックの閉会式では東京の「日曜日の公園」をテーマにパフォーマンスが繰り広げられました。
確かに、代々木公園など管理された大きな都市型公園では、休日ともなると、様々な活動をする姿があちこちで見られ、とても気持ちの良い空間となっています。(先日、パークヨガに参加しました。気持ちいい!)
細かな活動を禁止している公園
でも、一方で、私たちの一番身近にある公園では、子どもたちの遊びだったり、あるいは、ホームレスを懸念してか、窮屈な公園も少なくない。禁止事項の多すぎる看板が話題になったりもしました。
その原因は、行政の管理面での効率だったり、安全対策だったりするのでしょうが、近隣住民のクレームが重なり…というのも要因の一因のようです。
とりわけ、パブリック空間での「居眠り」は何度も物議をかもしています。
看板寝転んだりしないようにベンチの形が区切られていたり、アートという言葉を使って、長居ができないようになっていたりする事例もよく見かけますよね。(排除アート↓…なんとも寂しい言葉です)
おおらかな包容力のある公園
そんななか、訪れるたびにいいなぁと思う公園が、こちらです。
写真はGoogleのストリートビューより。
家事塾の講座でお借りしている3331アーツ千代田につながる、錬成公園は、結構いいい確率で、ベンチでうたた寝(あるいは本気寝)をしている方々をみかけます。そして、ほかの利用者もなんともない風景のように、思い思いにすごしています。ベンチの上に、中央に大きな樹があるのも素晴らしい!
さらに、この公園の先アートセンターへの入り口に、パターン#125「座れる階段」があるのが、さらに素敵。それぞれのシークエンスの相乗効果で、この一帯の場のなんともいえないゆるく自由な感じにワクワクします。
上↑↑の写真は開館前の時間帯ですが、イベント時のスナップはこんな感じです。↓↓ (3331アーツ千代田のHPより)
さまざまな要求を受け止めることができること
アレグザンダーの言葉はこう続きます。
人間を育て、信頼をはぐくむ社会では、時には人前で居眠りをするということが、世の中のごく自然な出来事になる。舗道やベンチで眠り込む人が居ても、それを一つの要求と見なし、まともに受け止めることは可能である。
それが、容易にならないのは、社会問題でもあり、環境がそうさせないという要因もあるといいます。横になって眠れるような場所が少なすぎるから、そんな光景が逆に「不自然にみえる」のだ、と。
少ないなら、つくろう!
また、少ないならつくろう!という動きもでてきています。株式会社グランドレベルさんの企業コンセプト、また、具体的なプロジェクト(たとえばTOKYO BENCH PROJECT)は、多くの人の心に響き、その共感が全国各地の街づくりへと広がっています。 http://glevel.jp/about.html
2021年春の京橋の東京スクエアガーデン。木と赤いスチールのベンチがお目見えしました。
ベンチの設置前、設置後と、たびたび仕事でこのエスカレーターから通りを行き来していたので、そのビフォーアフターには、利用者として、とてもうれしい変化を体感しています。
公共デザインの葛藤
このベンチ、設置後にそのデザインがSNS上で話題になりました。下のリンクのサムネイル画像のデザインですが、この凸部分が「排除ベンチ」と批判されました。
でも。東京ビエンナーレ2020のプレイベントとして、2019年に同じ場所に実験的に設置されたベンチはこちらのタイプ↓
フラットな、真っ赤なベンチです。グランドレベル・田中さんの著書や、大西さんの文章をご覧になったことがある方は、その意図に「排除」なんて考え方は1ミクロンも介在しないことがお分かりでしょう。
プレイベント時に実際に設置した様子は、プロジェクトのサイトに生き生きとした写真がありますので、ぜひご覧ください。
記事には、グランドレベルさんと、建物や公開空地を管理する企業さんとの攻防の様子があるのですが、お互いの意図をすりあわせるデザインのご苦労と努力に脱帽です。
この世の中では、寄る辺のない人間が公共のベンチや公共建物で居眠りを始めると、高潔な市民が神経をとがらせ、直ちに警官が「公的秩序」を回復することになる。
と、アレグザンダーが皮肉るように、やはり、ネガティブな不安がプロジェクトのコンセプト根幹に大きくかかわってきて……実際に外すこともでき、凸部の厚みを最小におさえるという万策を講じた結果のデザインなのだと思います。
とりわけ、建物の外観ぞいに居眠りのできる場所を設けること。
そこに腰掛をつくり、場合によっては、人目に付く場所にベッド・アルコーブの1つか2つを設ければ、素晴らしいやり口といえよう。
だが、何よりもそれは、人々の心構えひとつで決まる ― 信頼を生み出すために万策を講じて、人びとが人前での眠りを恐れなくなり、また街路で眠る他人を恐れなくなるようにすること・・・・
「恐れ」を恐れすぎず、「信頼すること」
先のアレグザンダーの文章に「信頼」という言葉がありますが、私を取り巻く世の中やともに暮らす人への「信頼」を自らが持てるかどうか。その如何がまちの在り方と、自分自身の住み心地を決定づける、と言っても過言ではありません。
この「#94 人前の居眠り」は、パタン・ランゲージ「町」に関する定義の一番最後、総まとめのようなパターンです。
「小さな広場(#61)」「公共戸外室(#69)」「路上カフェ(#88)」「歩行者街路(#100)」「通り抜け街路(#101)」「待ち合わせ場所(#150)」等、場所の公共性の完成に役立つ。
とあるように、具体的な町づくりの場はもちろんのこと、町の構成要素となる95番以降の建物のパターン、特に、いくらハードを整えても、「人前の居眠り」(さえも受け止めてもらえる自由なふるまい)ができるような「信頼関係」がなければ、それぞれの場はうまく機能しない、というわけです。
「居眠りをする人はなにか問題を起こすのではないか」「人のたまり場になって治安が悪くなるのではないか」「壊されるのではないか」というネガティブな「恐れ」によって、先回り排除を施すことは、利用者としての自分自身をも排除することにつながっています。
人前での居眠りを許すような環境のつくりかた
公的な環境には、数多くのベンチ、居心地の良い場所、地面に座れる一角、砂上で気持ちよく横になれる場所などを十分に盛り込むこと。そこは多少の雨除けがあり、人の流れから守られ、場合によっては一段高くし、腰を下ろして新聞を読んだり、うたた寝のできる腰掛や芝生のある場所にすること。
とりわけ、建物の外観ぞいに居眠りのできる場所を設けること。
つまりは、やっぱり、こんな風景。くどいですが(笑)
住宅にとりいれるなら。
このパターンを住宅で取り入れるとすれば、昔ながらの「縁側」は、そんなおおらかな空間といえるでしょう。
そこには、家族だけでなく友人やご近所さん、時には家に関わってくれる職人さんなど、いろんな人が気兼ねなく使える「気安さ」があります。
腰掛けたり、寝転んだり、遊んだり、食べたり飲んだり、空を見上げたり、雨音を聞いたり。そんなくつろぎと居心地をつくりだせたらいいな、と思います。
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