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東遊園地の未来

2019年11月14日にFBに書いたこと、転載します。FBに前回、たくさん書いたのは2016年のことでした。よく覚えています。(この日は本当に久しぶりのFB長文投稿でした。)

2016年には東遊園地での社会実験が2年目に入り、神戸市役所が予算をつけて芝生の敷設実験をして下さったタイミングで、東遊園地の未来の可能性を、自分なりにテキストで表現しました。

時がすぎ、仲間と一緒にものすごい時間と労力をかけて、社会実験も計5回終えたあと、今年になって、東遊園地の中で20年間の運営事業をする事業者を選ぶコンペに提案書を提出しました。そしてこの度、運営事業者として選ばれたという発表がありました。

お世話になった方々に、お礼のメッセージを書こうとしましたが、お世話になった方々が多すぎました。なので、少しだけ書くことにします。

みなさんのお力で東遊園地がすてきになっていくプロセスに、私は間近で見る機会に恵まれました。本当にありがとうございました。

2011年から神戸モトマチ大学という勉強会を開催するなかで、2014年から東遊園地が神戸の都心を変えていく一つの大きな鍵になると提案してチャンスを頂き、2015年から社会実験をはじめました。

いろんな出会いがありましたが、その全てが東遊園地の今とこれからにつながっています。

出会いが続く中で別れも一つありました。松原裕さんです。

今では大きな動員力と影響力をもつComin' Kobe(カミングコーベ)ですが、初年度の開催場所は東遊園地。これもまた、神戸の大切な歴史です。Comin' Kobeを主催されてきた松原さんには、去年の夏に闘病中の身とは知りながら、打合せがてら東遊園地に来て頂き、芝生補植を手伝ってもらいました。だから、東遊園地には松原さんが植えた芝生が根づいています。

松原さんだけでなく、東遊園地がつくられた150年前から、多くの居留外国人、志ある数々の日本人、市役所の担当部局のみなさま、そして震災で亡くなった方々の心が東遊園地には集まっているような気がします。

その東遊園地の運営に本格的に関わることになりました。かなり大きな荷物を背負った気持ちもあります。決して簡単じゃない。

でも、手がかりになる光景も目撃しました。

それは、BBBBのリーダーのヤッシーさんがしている市民楽団「ヤッシー楽団」が東遊園地で演奏してくれたときの光景です(写真をご覧下さい)。

東遊園地で、ヤッシーさんのリードのもと、いろんな音楽経験と動機をもった市民が集い、音楽への気持ちを表現してくれた。そして、居合わせた人びとが本当に楽しくそれを聴いてくれた。

2018年10月21日の奇跡的な光景でした。天国みたい。

そのときの光景は、未来の東遊園地の姿と重なっています。

この日の光景のように市民が楽しく活躍するステージが日々続くような東遊園地をつくりたいと思っていますし、それがこの公園の未来の姿のベースになると思っています。

松原さんやヤッシーさんのことを借りていろいろ書いてきましたが、他にも数え切れない人びとが東遊園地を通して、神戸の都心をよくしたいって考えて、具体的に時間を割いてくれました。

だから、きっと東遊園地はもっとすてきな、神戸のハートにふさわしい公園へと育っていくと思います。

今回、公募のスペックとして建物を建設して20年間所有する主体を代表企業とする、という条件がありました。なので、村上工務店が代表企業を担当することとなりました。これはこれで、大きな仕事です。

でも組織の姿はともあれ、東遊園地は市民のものだし、これからはもっと市民のステージとして大事にされるべき存在だと思っています。そして、これからも仲間と一緒に、東遊園地が育っていくための下支えをできることに、心からありがたいと感じています。

(そのための土台作りは、社会実験を重ねてきた一般社団法人リバブルシティイニシアティブが担い、ティーハウス建築設計事務所が設計を担当して下さることとなりました。)

これまで東遊園地と社会実験を支えて下さった全てのみなさまに感謝を申しあげます。そしてこれからも、市民が主役となって、神戸らしい公園と都心を育てていく姿を、私も一緒に見ていきたいと思っています。

久しぶりに書いてみると、なんだか文章の全てがおこがましいですが、そんな夢と感謝を込めて、今回の運営事業者決定の報告とさせて頂きます。

本当にありがとうございます。これからも微力を尽くします。

※2019年11月14日にFBに書いた文章の転載です。
写真 :2018年10月21日、ヤッシー楽団が東遊園地にて躍動。

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