量子もつれ
NHKスペシャルの「量子もつれ」が面白かった。
理論なんか理解出来ないけれど、
生きていてどうも不思議な出来事というものは多々あって
オカルトというよりは私にはそれは
何か光のようなものが起こしている感覚なのだけれど
空間を掴むような思考が単なる「お祈り」ではなく
セッティングされた宇宙の遊びだと思えば安心する。
遠くで起きてることと自分に起きたこと。
共鳴とも知らず。
目に見えないことは存在しているのか。
目に見えた瞬間に存在するのか。
これは最近、よく思うことのひとつだったので
このフレーズが何度も出て来たことはわくわくした。
例えば、人の悪意を目にした瞬間からその悪意が存在するということにしてみたら?
見なければ存在しなくなるのか?
徹底して見ない環境を作った場合、そこにそれは存在すると言えるのか?
これは何でも見て得ようとする今の社会で、
一度見直すべきことかもしれない。そう思う。
「見ないこと」「存在させないこと」をテクニックとして
使うことが見直される、そんな気がする。
書いたものを放つ必要性があるのか、と思うことが何度もある。
ほとんどは「存在しないもの」となる。
目に届かない場所で誰かの目に留まった瞬間に、「存在」しているのだと
思うと感慨深い。
これからは何か失敗したら
これは宇宙の果てで起きた失敗に反応したのだ、とか
言ってみよう。