村上 京
生きて来た中で「印象に残っているけれどエッセイにするネタではないと思われる話」を記録。
日々の小さな話、メモ。無料、有料、すぐ消す可能性が高いもの。
認知症介護、通いで5年目。 スマートスピーカーを使って独居介護1。 未成年もいるのでダブルケア。
草刈と共に作る詩
ほぼ自分用の記事のため、高額です。
2ヶ月先に締切があるエッセイの 出だし、が毎朝目覚める瞬間に ハラ、ハラ、ハラ、と 浮かんで、それはもう何回も変わり、 その都度、涙が出るのだけれど 悲しい涙ではないので 家族を起こすことはない。 そして、起き上がれば その文さえ忘れて 今日一日、を生きていくことばかり やってきた。 書くことは同じ でも、書き方が違う。 左派と右派みたいなものを書いて 途中で放り投げて見たくない、が今。 右派書いて、もうやめますって 言おうかな、は毎回毎回考え
農業って大変ですね。 農業やっている人って尊敬します。 これはいつかの私が言っていた言葉で 今の私がよく言われる言葉。 ああ、こういう思いをさせていたのかな と複雑な気持ち。 このA面とB面を知ることが 人生ではそうそう多くはないので (ちょっと体験する、アルバイトする、とは違う) 感慨深い。 同時に 体験やアルバイトで飛び込んでくる人達に どう向き合うか、 が限られている時間内での問題。 知識がいくらあろうとも、 身体経験は急には積み上げられな
あと何年 この世にいられるか 分からないけれど 飢饉、と刻まれた岩を見れば 己の名前を刻んで残すとか 恥ずかしいな、と思う。 食べられる実のなる木を 腐りゆく私の身体の上に 植えてもらえたら そして忘れてもらえたら 平和な1日の一部になれそうなんだけど。
閉鎖的、と 開放的、を 繰り返していることは 星のエネルギーに似ている気がする。
誰かのお役に立ちたい、という気持ちは崇高に思えて驕りにも近い。 そこにお金、が介在するかどうかは、した方が純度が上がる場合もあるし お金のための言い訳に聞こえる場合もある。 役に立ったかどうか、は相手がそう言う場合以外は 謎のまま、が一番良いのかもしれない。 言ってくれた場合も7割くらいはリップサービスかもしれない。 その陰にある野望を見てしまうかもしれない。 その本人すら気づかぬ野望を。 私の駄文よ、言葉の海で溶けて消えてしまえ。 抗っても抗っても全て消え
お盆を過ぎたあたりから肌を刺すような痛みの日焼けに変わり、 ああ、今年の夏も終わるのだなと 色素沈着を繰り返すシミだらけの己の身体で季節を知る。 色が白いね、と言われた若い頃、 色が白いようなお気楽な生活でいいね、と言われているようで嫌だった。 なんでそんな曲解をしたのか。 それはもう自分の生き方へ曲がるカーブだったんだろうか。
どうにもならないことはある。 どうにかなることの方が意外と少ないのかもしれない。 戦争は終わらないし 猛暑は続くし あの人が生き返ることはない。
1981年7月31日。 この日だと思う。
あまりこだわりのなさそうなお店で 美味しいか美味しくないかを期待せず、 コーヒーに300円前後、払うことはある。 それでもその時間がとても充実していて楽しいことはいくらでもある。 100円ちょっとのコンビニのコーヒーが 一日の疲れをとってくれることもある。 反対にやっぱり止めれば良かった、と後悔することもある。 美味しいコーヒーに500円前後払うこともある。 美味しいなあって思うけれど店内もあか抜けていたりすると 身の丈以上に気取って飲むものだから落ち着かな
(2021 .09. 04)岩手日報 18面 みちのく随想 掲載