『信じる』根拠は、自分が信じるしかない。
”結婚したい”という願望は持っていますが、
いざ実際に結婚するかどうかと真剣に考えてみたときに
”どういう人であれば信じられるのだろうか…”と
考えさせられました。
結婚するということは、
結婚後の財産は二人のものになって、
人生の重要ごとに対しては二人が納得する上での決断を出さなくてはいけなくて、
子供ができたとしたら、二人で育てなくてはいけなくて。
結婚したあとだって、
お金にすごくルーズな人だったらどうしよう、
莫大な借金を隠していたらどうしよう、
浮気をするような人だったらどうしよう、
お酒を飲むと凶変したらどうしよう
とか、
考え始めると、無限に心配事は出てきてしまうことでしょう。
『信じない』という決断は出しやすいのに
ギャンブルしてる姿を目撃する、
借金取り立ての電話がかかってきた、
浮気現場を目撃した、
お酒を飲んで暴力を振るわれた、
とか、
もしも決定的な証拠を出してくれたら、
『信じない』という決断は出しやすい。
”こんなことをされたら信じてはダメ”
という要素はあっても、
”これがあれば信じれる”という要素は思い浮かばなくて
『信じる』って、
とてもとても尊い行為なのだと思い知らされました。
”信じよう”と決めることでしか、相手を信じることはできない
”この人は、私に何があっても見捨てはしない。
私の幸せを心から願ってくれている”
と確信持てる相手といえば、
家族くらいしか思いつきません。
生まれたときから側で見守ってきてくれて、
33年間の歴史がある家族。
でも、結婚相手については、
家族とのような歴史を築く前に、”この人だ”と決めなくてはいけない。
結局は、自分が”信じよう”と決めることでしか、
相手を信じることはできないのだと思い知らされます。
信じた先の、幸せのために
”誰かを信じる”ことは、とても難しい行為ですが
一緒にいるのに「信じられない」ということ、
「信じられる」と宣言できる誰かがいないことって、
とても辛いことだとも思います。
騙されないように警戒はしつつも、
「大丈夫なんじゃないか」って感じさせてくれる相手であれば、
疑ってばかりいずに、
『この人を、信じてみよう』と決断するべきなのでしょうね。
『信じる』行為は、とてもとても怖いけど、
その先の幸せを手に入れるために
誰かを思いっきり信じられるように
挑戦したいと思っています。