コロナの年賀状 来年の年賀状
子どもの頃、年賀状は手書きで、鉛筆じゃなくてボールペンか、少しかっこいい人は筆で書いた。
郵便局へ行くと干支の朱のはんこがあって、私は好まなかった。
年賀状はかつて社会人の常識だった。
義理の祖父から教わった。
就職したら手紙はきちんと出せないとだめだと、そして参考書を買ってその都度引いた。
子ども同士でやり取りしてた内容と一変して、普段使わない言葉をぎこちなく並べることで大人社会に染まろうとしてみた。
街の印刷屋は名刺と並んで、年賀状が一つの風物詩的業務だったんじゃないかな。
自分は枚数もいらなかったし、モノクロの愛想のないデザインが嫌いだった。
定型文から選んで住所を印刷してもらうのかな、全く興味がない。
写真屋のビジネスだったろうか、フォト年賀状が流行った。そのうちパーソナルコンピュータの自家製年賀状が一斉を風靡して、これが年賀状の終焉ではないか。
途中のワープロ機を抜かした。あまり意味ないので。
私の話・・
パソコンは社会人なりたての頃はなかったので、しかも印刷屋の個性の無いのが嫌いだったので、手書きで頑張ってデザインしたりして書いていた。
子どもの頃は年末の大掃除に輪をかけて楽しくない時間が、大人になっても変わらず。
子どもの頃は、それと反対にお正月にもらう年賀状がものすごく嬉しくて、好きな人から来た年賀状は宝物のように大切にした。誰から来た、来なかった、何枚来た、大問題だった。
人より早かったが、パソコンを手に入れて自分で印刷できるようになって、アイディアを駆使してこれ見よがしに作って送った。お金がかかるのがネックだが、年々増えていく枚数に自己満足してた。
テクノロジーの進歩とともに、デジカメにadobeのソフトを導入したり、データベースで住所管理したり。そのうち宛名書きは専用ソフトにすんなり移行したが、いかにセンスよく短時間で大量に出せるか、そんな価値観の時期が比較的長く続き、最後は仕事しても良いくらいのクオリティーまでになった。
しなかったけど。(ここまでの作品の変遷は敢えて割愛)
そしていただく年賀状が、新機種のプリンターを買って高額な純正インクをベタでも平気で使う暇な人に叶わなくなると、デザインで抵抗してみたり・・
の頃はまだ良かった。
近年・・
ひどい
年賀状ソフトかテンプレートか分からないけど、味気のない絵、心のこもらない定型文+手書きの一言。があればまだいい。
いただいていながらこんな言い方はないが、惰性で出してるだけみたいな。それでいて元旦に束になって届く。
出してないところだけ急いでチェックして宛名印刷して投函。これが元旦の仕事。
うーん
出してる自分も同罪!?
自分もこれまで、そんな年賀状しか出して来なかなかったから!?
私の年賀状は読まれてる?
さらに首をかしげるのは、
年末まで会っていて、仕事納め終わってもSNSでコメントしてて、正月早々メッセージ来て、会ってご挨拶して、それでも年賀状??
多少極端だけどこんなもんです。
2020年、昨年コロナでした。
年末の第3波、全国の日の感染者数2000人超え、連日過去最高、うなぎのぼり、医療崩壊危惧されました。
飲食店悲鳴あげてました。政府のGoto事業疑問視されました。内閣支持率下がりました。
ご承知のとおりマスクしない人誰もいません。
これであけましておめでとうはあるか?
正直怒った。自分にも。
公務を終えてから昨日(4日)午前まで、仕事しまくりました。わざと入れたわけではない。自分がすべきことと信じたことをひたすら。普段と変わらず。
昨日年賀状投函し終えました。
お詫びを書き添えて。
届いた年賀状だけにさせていただきました。
全て手書きにしました。
宛名も全て。
文字を書き始めると、お一人お一人に違う文章になります。ぎっしりになるので絵など入りません。
コロナで亡くなっている方がいるのに、苦しんでいる人が大勢いらっしゃるのに、時間をかけて手書きができる幸せを噛み締めながら。無駄なことに時間を使うもんかと思いを込めて。
政府は今更になってゼロカーボン宣言、SDGs、リモートワーク。あほか
思いました。文章を印刷する事の意味ってあるの?
来年の年賀状も決めました。
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