サンコウマデニ:ミルガワ『石のある、うちの庭』『金魚も夢を見る』
はじめに
ようこそ。
これまでも何度か演劇の感想を投稿してきました。
作品鑑賞後の自分の考えをまとめるために、取り組んできましたが、少々目的を変えて。
最近でこそ、記録映像やアーカイブ配信などで、演劇作品が後世に残る可能性がグンと上がっていますが、ソコにいる人に向けて作られることが原則にある演劇において、劇場で鑑賞した人の言葉が、その作品や劇団、カンパニーの評価や分析に繋がるのかなと思いました。
そこで、僕、村岡勇輔の感想を一種の参考文献にするべく、SNSや観劇後のアンケートよりは丁寧に、劇評よりはカジュアルに、作品が劇場にあった証を、僕を通して残して行けるように「サンコウマデニ」という企画として書き連ねていこうと思います。
前置き長くなりましたが、今回は2024年10月19日(土)に観劇した演劇関係いすと校舎『石のある、うちの庭』と风月企画「金魚も夢を見る」について話します。
前置き続きます。
「作品毎に書くんじゃないかい」と思ったそこのアナタ。
すみません。作品ごとに投稿は分けません。
同じ日であったり、同じ旅程で見た作品はまとめて投稿するようにしたいです。
理由としては、多かれ少なかれ近いタイミングで見た作品は関係し合うと僕は考えているからです。
投稿内で、作品は分けていくので、ご興味ある内容とご興味ない内容をご自身で選びながら読んでください。
さて本題です。
演劇関係いすと校舎『石のある、うちの庭』
『石のある、うちの庭。』
作・演出/守田慎之介
10/18(金)19:30~
10/19(土)14:00~/18:30~
10/20(日)11:00~/15:30~
会場/自宅劇場「守田ん家。」
出演/赤飯龍、高野由紀子、平安寺育子、柳本あゆみ、
やわらあさ、吉田砂織、Kisato、橋本幸考
今回は10/19(土)14:00の回を観劇しました。
Xでの予約状況を見るに観客が最もいた回になるかと思います。
福岡市内から車で下道2時間半。
県境を跨ぐのとそう変わらない程の移動時間をかけて向かうは、福岡県行橋市。
会場である守田ん家。どころか行橋に足を踏み入れるのめ初めてな私。
福岡の東側は飯塚までしか行ったことのない私にとって、それより先の道を開拓していく道中から、鑑賞体験は始まっていたような気がします。
私が住む福岡市内とは、本当に違う県に訪れたような気持ちになりました。
そんな、行橋の物静かな住宅地の一角に劇場が。
田舎特有の時間が何倍にも引き伸ばされたようなゆったりとした空気感の中、看板はあるものの、劇場と言うより人の家にお邪魔するような気持ちで会場へ。
家なんですが、中はプロセニアム仕様の会場になっており、守田さんの並々ならぬ演劇への熱量を感じました。
舞台は7畳?8畳?ほどの間と縁側。そして、目の端に映る庭。
行橋に住む親戚通しのお話。
登場人物
セイイチ:この家の家長、父から譲り受けた家でヨリコ、ヒトミ、ニコナと暮らす。ヒトミとは素直に話せない様子。
ヒトミ:セイイチの妻、この家には嫁いできており、リフォームなどを検討しているが、セイイチとの関係が上手くいっておらず、彼へのあたりが強い
ヨリコ:セイイチとマナカの母。ヒトミ同様この家には嫁いできているので、ヒトミを気に掛ける。マナカを溺愛。
マナカ:セイイチの妹。現在は博多に働いており、一人暮らしをしている。
エリコ:セイイチたちのハトコ?にあたる。近所に住んでいて。彼氏がいる。庭先の石の手入れは彼女のお勤め。
トモエ:セイイチたちの従弟。久方ぶりにこの家を訪れる。
国さん:近所に住む。セイイチとゲーム(ちんちろ)で遊ぶような間柄。
おはなしをざっくりと
客入れ中セイイチと国さんがちんちろで遊んでいるところから舞台は始まる。
いつものように家族での時間が過ぎていく中、トモエが家へ訪れる。
トモエは庭にある石の手入れをするエリコの様子を見て、懐かしさを覚える。家の皆がトモエとの再会を喜び、近況を報告しあう。
ヒトミはこの家の一部をリフォームしたいと考えているが、セイイチはその話題を振るとはぐらかすようだ。
翌日、庭のお勤めをトモエがしている。幼いころの記憶をたどっていると、国さんがくる。国さんはトモエの母親のことを思い出し、初恋の相手だったことを語る。
しばらくして、家族一同がそろいトモエの歓迎会の話を持ち掛ける。同時に、エリコは彼氏と結婚を前提に大阪への引っ越しを検討していることを話す。会はトモエの歓迎会兼、エリコの壮行会へ。
会の準備を始める一同。準備の過程でセイイチとヒトミが二人きりになる。
リフォームの話を含め、セイイチにももっと話をしてほしい旨を伝え、セイイチも、ヒトミの意図に応えようと話しかけようとした。その時、家から会用の酒を持ってきた国さんが邪魔をする。
空気の読めていない彼の行動に呆れながら、他の皆も今に現れる。
それぞれが、少し歩みを進める中、会が始まり終幕。
1.家と劇場と作品と
今回の上演の一番の肝は演出やテキスト、演技、音、光、運営回りなど演劇を構成する要素全てが、一軒家で上演することに注力し、最大限力を発揮できるようにしていた点にあるんじゃないかと思います。
目の前で起こることは言わずもがな、観客が玄関から客席へお邪魔するような動線、庭先から登場する人物の足音、頭上や隣の部屋から聞こえる床の軋みなどから没入していました。
最後の歓迎会のシーンに繋がる15分ほど前にカレーの匂いが届いてきたときに、俳優たちと同じ場所にいることを強く感じました。
話としては、親戚同士の会話の中で、それぞれの人物のこれまでやこれからや今が語られていく中で、特別大きな出来事が起きるわけではない。
しかし、この劇空間の作りがゆえに、そのテキストが心地よく、居間を垣間見るような落ち着きをもったまま110分魅入ってしまいました。
2.誠実さ
演劇においてしがちな技術的なウソ。
見えないものを見たり、聞こえないものを聞いたり、その逆で、見えているものや聞こえたりするように振る舞う技術。
それは、作品によっては必要になるかと思いますが。
今回の作品においては、どれだけその嘘をなくしていくか。それがこの作品説得力に繋がったんじゃないかなと思います。
居間ですから、舞台上には日常遣いのテーブルがあるし、舞台奥には日本家屋特有の棚や置物、生活感あふれるキャラクターシールまみれの衣装棚。
これらが存在感ある状態で目の前にある以上、無視はできないですよね。
でも、それらのモノはテキストに取り入れなくとも、作品の世界観とマッチさえすれば、舞台装置として、具象劇になるわけで、今回の作品においては、その役割を担えていたと思います。
そして、役者たちの嘘のない芝居。
視界の外で行われるやり取りも、見えはしないが、聞こえたり感じたりするこの作品では、見えない俳優とのやり取りや違う部屋を移動する音が本当に聞こえてくる。
それは、ノイズなどではなく舞台上の人物も反応し、この家で起こること、話すことが筒抜けていることを伝えている。
終盤、セイイチとヒトミのリフォームについての話が比較的長尺で繰り広げられるのだが、国さんの登場で、それが崩され、それを咎めるように他の女性陣も現れる。
この家の構造と各キャラクターの個性を的確に描写しており、身震いしました。
いすと校舎の作品は三股町で行われた、まちドラ2024で初めて拝見したんですが、相変わらず、日常の切り取り方が非常に巧みで、刺激的な出来事が起こらなくても、観客を没頭させる魔力がありますね。
外の明るさが影響する作品において、基本夜公演の方が没入感があって好みなんですが、今回の作品においては、どっちも違う色があって、違う良さがあるじゃないかなと思っています。見てないので断言できませんが、昼夜で優劣が出ないのは圧巻。
自宅劇場、良いですね。
うらやましい。
风月企画「金魚も夢を見る」
2024年10月18日(金)~2024年10月20日(日)
风月企画「金魚も夢を見る」
作・演出/风月(非・売れ線系ビーナス)
出演/樅山幸音、千代田佑李(以上万能グローブガラパゴスダイナモス)、
金子好、手嶋萌、风月(非・売れ線系ビーナス)
会場/アートスペーステトラ
須崎町の路地裏にあるアートスペース。
通常劇場ではない場所のはしごは初めてかもしれない。
客席は15席程度
舞台の使われ方は独特で、客席と同じ場所に奥行き2m程度のアクトスペース。一段上がり下手には部屋。上手には、2階に繋がる会談とトイレ(観客も使用可)と奥に繋がる通路。最奥にはキッチン(多分、本当に使えるやつ)。
水が入った大きな瓶や、小さなミラーボールなど、いろいろな小物が散りばめられている。
风月といえばミラーボール、ミラーボールといえば风月。そのくらい、このセットはよく目にします。
登場人物
あるひ:金魚をいつでも迎え入れられるように水槽に水を張っている。
こっこ:ある日が好き。情緒がよく動く。
ちゃん:線引きがある人。喫煙者。
少女:少女。
映像:风月が出てくる。
おはなしをざっくりと
Office髭男dism『ノーダウト』を俳優たちがカラオケで歌っている音で煽り始まる。
少女のかたりと、あるひの語り。
「ペットは人間のエゴ」というキラーワードが頭に残る。
あるひは立ち上がり、自身の部屋にこっことちゃんの3人で帰る。
飲みなおし。
こっこはちゃんへ不満をぶつける。
でも仲直り。陽気な三人。
あるひは吐き気でトイレに駆け込む。
中々出てこないある日。
残された二人は、会話を続ける。
パーソナルスペースの話。
トイレからはある日の声。
心配する二人が駆け寄るとトイレに閉じ込められる。
少女とある日の会話。
トイレから現れるこっことちゃん。
繭にくるまれる。
繭から出てくると、部屋に戻り、おなかが減る。
南蛮漬けを食べる。終幕。
1.趣味と技術とギミック
私はこれがしたいんだ、これを見せたいんだという意思をビシビシ感じました。
それが、良かった。これって一歩間違えれば、寒くてキモイ作品になるのに、この作品においては、そういう寒さが無かった。
その理由を考えてみたんですが、役者たちの技量と、キャスティングやステージギミックの活用が巧みだったからなのかなと分析しています。
嫉妬しちゃうくらい、みなさん演技がお上手。
特にちゃんを演じる金子さん。
フリートーク含め、たたずまい、声の出し方などなど。全てに説得力があった。普段俳優をしているわけじゃないんですって。ほんと、やってらんねえです。
そして、演出です。
くるまれるちゃんとこっこ。
キッチンまでの距離感が心地よかったり、お客さんも使っていたトイレをめっちゃ芝居でも使う。あるものすべてを活用する発想に心つかまれました。
観客とのバランスを考えると全体的にもっとシャープな作品になるのかなとは感じましたが、すごく夢とキラキラが詰まった作品でした。
客席の都合上見えない演出もあり、そこを拾えなかったのが残念。
その分見たいところを見たいだけ見るといった、美術館の鑑賞体験に似たものを味わえました。
自分よりも少し年下の世代にこんなもの見せられちゃあ、悔しくなるよな。
頑張ります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?