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大隈塾がどんな過程をたどってきたか、
簡単に振り返ってみた。

簡単にいうと、
大隈塾は自己崩壊していって、
よみがえった、ということだった。

大隈塾は2002年にスタートした。

当時から、
自分のアタマで考え、自分で行動する
というコンセプトだった。

そして、
人生で二度と会えないような有名人が
毎週毎週やってきて、
その人たちの成功体験を、
シャワーのように浴びせかける、
特別なリーダーシップ講座、と田原総一朗さんはいっていた。

その田原総一朗さんがファシリテーター、
経済界からきらびやかな社長たちがぞろぞろと。
ユニクロの柳井正さん、オリックスの宮内義彦さんほか。
政治からは、安倍晋三総理も麻生太郎財務大臣も来た。
ちなみに、大隈塾にやってきた総理大臣は
小泉純一郎さん、宮沢喜一さん、森喜朗さん、
鳩山由紀夫さん、野田佳彦さん、安倍晋三さん、麻生太郎さん。

ホリエモンのように「時の人」たちも、ゲスト講師でした。

200人の定員に、600人が申し込む人気講座も、
やがて勢いがなくなっていく。
2007年ごろ。

その原因を、わたしたち教員は、
学生たちのせいにしていた。
「学生の感度が鈍い」
と。

じゃあ、すでに有名な、世間受けするゲストのほかに、
ベンチャー企業経営者やNPOの代表たちに
新しい風を吹き込んでもらおう、ということで、

楽天の三木谷浩史さん、HASUNAの白木夏子さん、
マザーハウスの山口絵理子さん、米良はるかさん、
テラ・ルネッサンスの鬼丸昌也さん、カタリバの今村久美さん。

それでも、受講生の数は減り続けた。
まだ教員は気がつかない。
田中愛治先生も、わたしも。
ちなみに、教員は3人、一番多いときで5人いた。
ちゃんとした教授が。
それが、そろいもそろって、
自分たちが間違っていることに気が付かない。

2010年ごろになると、
ゼミ生たちから、大隈塾を変えよう、という声が上がって、
プロジェクトが立ち上がった。

2002年から変わってなかったシラバスを、
ゼミ生たちが書いて、わたしがつくったことにした。
完全に上から目線のシラバスが、
学生目線に近くなった。

でも、シラバスじゃない。決めては。
だから、どんどん学生が減っていって、
定員を200から150、100にしても
定員割れすることもあった。

「大隈塾おわるってよ」
これホントで、
大隈塾は終了する、といううわさが聞こえてきた。
というのは、オープン科目が増えすぎて、
先生1人学生3人という科目まででてきて、
そういうオワコン科目をなくすために、
「大隈塾でさえおわっちゃうんだから」
という口実に使われる、といわれていた。

そこで、大隈塾改革を受け継いできたゼミ生たちは、
「大隈塾はつぶしましょう」
といい出した。

大隈塾の学生たちは、大隈塾をあきらめたのか。

違った。そうではなくて、
新しい大隈塾をつくりましょう1
ということだった。

良い授業なんだから、伝統のある授業なんだから、
ぜひ残してください、お願いします。
ではなくて、
学生のためにならなくなった大隈塾は潰して、
学生たちのためになる大隈塾を、新しく作り直しましょう、
ということ。

コンセプトは、
「学生が主体」で
「プロジェクトで学ぶ」
ということ。

新しくできた、「リーダーシップ開発」と「体験の言語化」という授業、
これと新しい大隈塾で、
早稲田大学の独自のリーダーシップをつくりましょう、と。

大学を説得するために、実績作り。
ゲスト講師に紐付いたプロジェクトを立ち上げ、
あるいは企業とコラボレーションし、
スタディツアーにでかけていく。

くまぶ〜プロジェクトは、このときからできていた。

OGOBたちも、力を貸してくれた。
くまじょ会という女子会は、
早稲田にあるforucafeとのコラボ。
オーナーの平井幸奈さんは、大隈塾のOG。
JTに勤めているOGが、会社と交渉して、
予算を組んでくれて、コラボレーション。

「島留学」で有名になった島根県の海士町、
ここの出身の現役大隈塾生が、スタディツアーを組んで、
島の高校のプロジェクトに参加した。

そして、その成果を、パンフレットにして配りまくった。
このパンフレットのデザイン代も印刷代も、
大隈塾のOGOBたちからいただいた。

そしていよいよ、大学との交渉。
教務部長という、大学全体のカリキュラムを決める責任者が
実際にあって、プレゼンテーションを聞いてくれた。

その道筋をつけてくれたのは、まだ総長になっていない、
なるつもりもなかった田中先生だった。

こうしてなんと、大学は学生たちの提案を受け入れ、
新しく授業をつくることになった。
早稲田大学150年の歴史の中で、
学生が企画した授業が認められた、
最初の授業が、
大隈塾「たくましい知性を鍛える」。
当時、田中先生は、新生大隈塾、といっていた。

2017年、新しい大隈塾がスタート。
14号館地下の教室から、8号館3階の明るい教室へ、
SAという制度を、新しくつくった。

そしt,2018年に秋学期100人超えを達成。
これは学生パワー爆発だった。

秋学期は国際教養学部をはじめとして、
学生たちが留学に出かけることもあって、
春学期に100人を超えていても、
秋学期は80人登録、じっさいに授業にでてくるのは60人、
っていう状態だった。
新しい大隈塾になる前は。

ところが、2018年、秋学期に100人を超えた。
これは、春学期、夏学期、秋学期、冬学期のおわりに、
改善会議、というのを開いて、
大隈塾のどこかgoodか、
どこがイマイチなのか、
その解決策はどうすればいいのか、
ということを、受講生みんなで考えることをした。

そして、前の改善会議ででたbetterフィードバックの
なにを取り入れて改善したか、もオープンにシェアした。

そうやって、自分たちで授業をつくっていることを、
一人ひとりが口コミで、大隈塾のことを広げ、
友だちに「大隈塾っておもしろいよ」って伝えてくれた。

その結果が、秋学期100人超え、
という珍現象が起こった。

もはや、「学生が主体」ではなく、
「学生が主役」
の授業になった。

そして、オンラインで新しい世界へ。

こうして、2002年にスタートした大隈塾は、
2020年まで続いてきました。

来年、20年目。
アフター新コロ、with新コロでもあり、
さらに新しい大隈塾を目指していく。

いまの、「たくましい知性を鍛える」
とゼミ、という構成から

「たくましい知性を鍛える1,2,3,4」
「たくましい知性を鍛える5,6,7,8」

になるのか。

ということで、昨日(7月24日)、
まずは、この春夏学期の大隈塾、
オンラインの大隈塾のgoodなところ、
修正が必要なところ、
どうすればカイゼンできるか。
カイゼン会議を実施した。