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心理的安全性はリーダーではなくメンバーたちでつくっていくもの
大隈塾では「ディスカッション」をしない。
代わりに「ダイアログ」はしょっちゅうやっている。
ディスカッション:議論もダイアログ:対話も、
自分と相手(複数のときも)がいて話をする、ということだが、
たとえば、ディスカッションが「AかBか」を決めることだとすれば、
ダイアログは「AもBも」「あるいはCもあり」。
ディスカッションは合意の形成であり、
ダイアログは選択肢を増やすことにもなる。
ダイアログをするときに、ひとつだけ決まりがある。
それは、「否定をしない」。
自分がAという意見を持ってて、一方で相手はBという。
そのとき「Bもありだね」と。
相手は「Aもありだね」と。
「じゃあ、AとBと合わせてCもあるかもね」と。
否定をしない、ということでどういうことが教室内で起こるかというと、
話をしやすくなる、発言しやすくなる、という雰囲気になる。
否定されない、ということは、自分の意見を受け入れてくれる、ということになり、
「じゃあ、わたしはこう思っているけど」
「いいね!」
という現象があちこちで見られる。
これを「心理的安全性が確保されている」という。
石井遼介さんの『心理的安全性のつくりかた』が出版されたとき、
これを先に知っていれば苦労しなかったのに、と笑った。
大隈塾には1年生から4年生までいる。
学部もばらばら、すべての学部から集まってくる。
そういう集団がグループに分かれて話し合いをするとき、
どうやったら1年生が安心して話に加われるだろう、と考えた。
どうやったって4年生にはかなわない。
「どんどん活発に議論して!」
とはっぱかけても、そうはならない。
言葉だけでは行動は変わらない。
だったら、と学生からのアイディアで、
「否定しない、ってのはどう?」
というのがあって、それだ! となった。
そのとき、平田オリザさんが「議論じゃなくて対話」といっていたことを思い出し、「議論」「対話」「会話」を区別してみた。
議論と対話の違いをはっきりさせて、
否定しない、というルールをつくったら、
発言が増える。
先週の大隈塾では、春クオーターを振り返る対話をした。
その感想文には、
「たった2ヶ月とは思えない」
ほど積極性がついた、という1年生が何人もいた。
高校生までは、学校の教室では正解を求められることが多かったから、
「否定しない」「ぜんぶ正解」
というか、
「否定されない」
という安全な環境が成長を促したのだろう。
心理的安全性は、リーダーではなく自分たち受講生がつくっている、
ということを自覚し始めてもいる。