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「わかったこと」より「わからないこと」のほうがたくましい

『観察力の鍛え方』を読んでる。

著者の佐渡島庸平さんが大学に入ってすぐのころ、
先生からこんなことをいわれたそうだ。

18歳の君たちは、世の中でもっとも保守的です。教科書に書いてある「わかったこと」ばかりを頭に詰め込んでいる。でも、革新的なことを考えるには「わからないこと」を学び続けないといけない。大学とは、わかったことを教える場ではなく、わからないことを一緒に学ぶ場です。(『観察力の鍛え方』 佐渡島庸平 SB新書 2021年)

アカデミーは「わかったこと」の集積で、
先人たちが努力して解明して、再現性をもたせたものを知識として伝達される。
それを受けて、また新しい「わからない」ナゾを見つけ、
もしかするとこうじゃないか、という仮説を立てて、
検証してナゾを解いて、新しい「わかったこと」リストに入れていく。

でもそこで、「わかったこと」がひとつではなく、
「わかったこと」がいくつもあったときがやっかいで、
それこそ「18歳の君たち」は、唯一の「わかったこと」に、
どんだけ速くたどり着くかのトレーニングをしてきたので、
「わかったこと」がいくつもあったり、
「わかったこと」になかなかたどり着けないとき、
不安で不安で仕方がなくなる。

だから、
「正解にたどり着くには、どうしたらいいですか?」
最短で、もっとも安易な「わかったこと」にたどり着く方法を教えて下さい、
という問いを発する。
問いになっていない問い、ともいえるけど、
学生だけじゃなく、ビジネスパーソンとして十数年やってても、
最短で、もっとも安易な「わかったこと」にたどり着く方法を教えて下さい、
という問いを受けるときがある。

そうなるよね、と思う。
そうならないように大隈塾では、たくましい知性を鍛えていこうと思う。

「わからないこと」が生む不安を受け入れることも、
たくましい知性かもしれない。