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福島のある小さなラジオ局

避難所に小さなラジオ局が誕生した。
「おたがいさまFM」といった。

福島県の郡山市に富岡町の人たちが避難していて、
その避難所で、ダンボールで仕切りをつくって、
避難所だけでしか電波が届かないラジオで、
毎日2時間だけ、生放送する。

できたのは震災から2ヶ月後の2011年5月。
最初のゲストは、たまたま避難所を訪れていた太田光代さん。
(爆笑問題の太田光さんのパートナーで、爆笑問題が所属する事務所「タイタン」の社長)

ダンボールの放送局にめったにメディアに出ない有名人だから、
テレビとラジオと新聞と、もろもろの取材が入って、
スタジオの前にイスを並べて「お客さん」に座ってもらった。
「お客さん」はいうまでもなく、避難所にいる避難者。

以来、このラジオ局はお客さんのためにイスを並べ、
お客さんは、イスに座ってラジオの放送を直接聞いていた。
お客さんの片手には、配給されたラジオが握られていた。

笑い声が耐えない災害ラジオだった。
災害ラジオは、安否情報や物資支援の情報、道路や電気などのインフラ情報をしっとりと届けるのが一般的だったなかで、
「おたがいさまFM」も初日はゲスト、2日目は新聞記事を読んだり、避難所からのお知らせなどを流していたが、3日目に、
「あるパーソナリティがすごく面白いことをいったんですよ。そしたら笑い声がドワッと館内に響いた」
リスナー参加型ラジオだったので、その笑い声が直接ラジオでも流れた。

ラジオを担当していた富岡町社会福祉協議会の吉田恵子さんのモノローグ。

あ、とそのときに思いました。もしかしたらみんな、笑うきっかけを待っていたのかもって。大地震もあったし津波もあったし原発事故もあったし、みんな悲しい思いとかつらい思いとかしながら我慢して生活しているわけですよね。

震災から2ヶ月間、笑うきっかけを待っていた。

だから人にものすごく気を遣ったし、笑っちゃいけなかったんだろうなって。それぞれの人たちが自分の感情を封印しながら生活してたんだと思うんですよ。泣くことは許されるんです。泣くことは許されているんですけど、どこかでやっぱり笑いたいという感情は持ってて。でも一人で急に「あはははは」って笑えないから、みんなで笑えるきっかけを待っていたんだなって。

『福島モノローグ』 いとうせいこう 河出書房新社 2021年