地域に「銭湯」が必要な理由
「梅の湯」と「鶴の湯」
東京での「地元」荒川区にある「梅の湯」。
ここはサウナがあり、水素風呂があり日替わりの熱湯風呂、ジェットバス、
おまけに露天風呂まであるので、サウナあとの外気浴までできてしまう。
これで500円。サウナに入っても入らなくても500円。
おじいさんからおっさん、お兄ちゃん、坊ちゃん嬢ちゃんで賑わっている。
釜石ですぐ近所にあった「鶴の湯」。
くっそ熱いお湯で有名で、ホントに熱湯の風呂。
いついっても空いてて、おじいさんしかいない。
で、鶴の湯はなくなった。
地域に「銭湯」が減ってきている
大隈塾出身で江東区でがんばってる高野はやとのnoteみたら、
「地域に『銭湯』と『お花見』が必要な理由」
というタイトルの文章があったので読んでみた。
銭湯は、地域コミュニティを活性化させる。
であれば、
銭湯は、住民を○○させる、もあるだろう。
リーダーシップ的にいえば、
「住民を市民化、倫理化させる」
ともいえる。
つまり、倫理性・市民性を身につける、ということ。
ここでいう「市民性」とは、
シティズンシップかな。
家に風呂があっても「銭湯」は必要なのだ
もっと簡単にいえば、私(プライベート)と公(パブリック)との違い、
お家(内)と他所(外)との使い分けのマナーを知ること。
蛇口にお風呂セットを置いたままでお湯に浸かっていると、
ほかの人が身体を洗えないからやめましょうね、とか、
浴室から脱衣所に上がるときは、タオルで身体を拭いてから上がりましょうね、とか。
ここはお家じゃないんですよ、
みんなが使うお風呂なんですよ、と。
プライベートとパブリックとの違いを身体知として理解する。
だから、家に風呂があっても地域に銭湯は必要なのだ。
わたしたちには、
「コミュニティが機能し続け、より良くなるように、他者と共同する責任がある」
わけですよ。
それは子どもでもそうだし、おっさんでもそう。
それを銭湯では学べている。
銭湯が少なくなれば、そうしたシティズンシップを学ぶ機会も減ってくる。
これも「地域に『銭湯』が必要な理由」
のひとつじゃないかな、と思った。
そういえば『湯道』って映画あったな。