ワールドカップ釜石

ついにこの日がきた

釜石だ。
東北新幹線に乗っている。これで何回目だろう。

2011年3月の東日本大震災。
すでにラグビーワールドカップは、
2019年に日本で開催されることは決まっていた。
どこでやるかはまだ未定。
震災後、
「ここ(釜石)でやろう!」
と気勢を上げた人たちは、
ほぼ100%「夢みたいなことをいっている」と
心のなかでは自覚していただろう。

ごく少数の人が、
「叶わぬ夢」でも「見果てぬ夢」でもなく、
「夢みたいなことをいうな」の夢でもなく、
「どうしても実現させたい夢」をみていた。

ラグビーワールドカップの試合を
釜石に誘致するには、スタジアムを作る計画がいる。
スタジアムを作るには、誘致が成功する目算がいる。

卵が先かニワトリが先か、ではない。
卵も先でニワトリも先だ。
こんな「夢」をはっきりと見据えて動いた。

たくさんの人たちが亡くなって、
まだ行方不明の家族がいる人たちも多くいて、
避難所生活からようやく、仮設住宅住まいにかわったばかり。
仮設住宅はやがて自立、自活していくことが条件だった。
家屋も家族も無事だった人たちも、
自治体の運営が非常事態だから、
安心できる普通の生活ではなかったし、
過疎と高齢化はますます進むことが予想された。

ボランティアがたくさんきて、
ほかの自治体からの応援の職員が大勢きてくれて、
支援と補助に頼ったなかで、
ラグビーワールドカップを釜石でやるjことが許されるのか。

たしかに「鉄と魚とラグビーの街」とはうたっている。
しかし高炉の火は消えた、ラグビーも以前より強くない。
魚も、震災と津波でなくなった。

ラグビーどころではない。
まずは鉄と魚、つまり産業と生活の再建だろう。
ラグビーはそのあとだ。

普通に考えればそうなるはずだ。

でも、「そのためには夢と希望が必要」と説いて回った。
come trueを目指す夢、
光さす明るい希望。

当時、地元の人たちが立ち上げた自立のための団体がたくさんあって、
みんな口を揃えて「ワクワクするような」といった。
ワクワクするような、心躍るようなプランを立て、
お金と人を集め、実行していく。
団体の数だけ、ワクワクなプランは実施され、
メディアで紹介されていった。

これ以上ないワクワクは、
ラグビーワールドカップのはずだ。

そう信じて動いてきた人たちと、
最初は反対だったけど、
最初は懐疑的だったけど、
最初は他人事だった人たちも合流して、
大きな流れをつくっていった。

その夢が今日、現実のものとなる。

たくさんの大漁旗がスタジアムに翻っている。
釜石にこそ、希望がある。