避難訓練がリアル過ぎた
昨日、3月3日は昭和の三陸大津波の日だった。
1933(昭和8)年、今年で91年目になる。
釜石では毎年その日かその日の前後で、避難訓練が行われる。
朝8時30分、防災無線が「訓練」であることを前置きして、
地震発生→津波に注意
10分後→大津波注意報、逃げろ
20分後→大津波警報、高いところに急いで逃げろ
みたいに段階的に警告を流した。
わたしやご近所さんたちは、高台にあるお寺(仙寿院)に避難した。
このお寺は、避難場所であって避難所ではない。
避難場所は、緊急避難する場所。生命を守るための場所。
避難所は、一時的に避難生活をするところ。
でも、2011年のときには、そのまま私設の避難所になっていた。
消防団の人が点呼する。
男性と女性に分かれて、人数を確認。
男性24人、女性16人。
「どっちでもない人がいたらどうする?」
というやじが入って、小さな笑いが起きる。
なぜ男女別に数えるのか。
男性は力仕事、女性はメシを炊け、なのか。
生理用品などの必要個数の確保のためか。
わたしが住んでいる地域は、復興住宅が市全体の44%集中している。
でも、そこから避難してきた人たちは1人。
もちろん、ほかの避難場所に避難した人たちもいるだろうし、
市内で一番高い建物だから、基本的には垂直避難することになっている。
だけど、高齢化が超進んでいる。
2011年には、消防団員は避難するように街中を呼びかけることになっていた。
しかしいまは、その決まりはなくなった。
呼びかけはしない、まず自分が逃げる。
高台に逃げたあと、そこから避難指示をすることに変えた。
団長もあいさつで、
「自分の生命は自分で守りましょう」
といっていた。
9時に避難解除の放送があり、
避難場所は解散になった。
わたしはいったんアパートに帰って、
自転車に乗って釜石市図書館に急いだ。
市役所の職員たちの避難訓練をやっている。
大津波に襲われたら、災害対策本部をそこに設置することになっている。
そのシミュレーションだ。
対策本部では、市長はじめ市の幹部たちが3台のモニターを見ながら会議。
IT業者とコラボして、ハイテクなことやってる。
一方、スタッフ部屋は人海戦術。
消防団、消防署と連携して、
情報のさばきに忙しく働いている。
それらを自衛隊が見学している。
避難場所と災害対策本部。
新しいのと古いのと、いろんな価値観が漂っている感じがした。
とてもリアリティがあった。
さて、議会は?